2017年04月12日 (水) | Edit |
ちょいネタ切れ気味なので、わざわざブログにアップするほどもないと思うんですが、メモ代わりのエントリを再録。

「恐怖心の歴史」ジャン・ドリュモー著
「毒の歴史―人類の営みの裏の軌跡」ジャン・タルデュー ド・マレッシ著
「図説 死の文化史―ひとは死をどのように生きたか」福井憲彦, フィリップ・アリエス著
「図説「最悪」の仕事の歴史」トニー・ロビンソン著
「毛皮と人間の歴史」西村三郎著

「鏡の歴史」マーク・ペンダーグラスト著
「トウガラシの文化誌」アマール・ナージ著
「眼鏡の社会史」白山晰也著
「スパイスの歴史―薬味から香辛料へ」山田憲太郎著


さて、大型書店の歴史コーナーに行くと、少々風変わりな「歴史」の本がいっぱいあります。
なかで、「性」に関するものをピックアップすると、

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2017年01月09日 (月) | Edit |
一部再録有り。

◆韋后と中宗(その1)

二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めたとさ。
一人は泥を見た。一人は星を見た。
(フレデリック・ラングブリッジ「不滅の詩」)(※1)
(※1)「ジョジョの奇妙な冒険」新書判コミックス1巻からの引用



韋皇后
韋皇后(いこうごう、? - 唐隆元年6月20日(710年7月21日))は、唐の中宗の皇后。韋玄貞の娘。京兆万年(現在の陝西省西安)出身。しばしば韋后と呼ばれる。

神龍元年(705年)、武則天より譲位されて中宗が復位すると、武三思らと結託し、従兄の韋温とともに朝政を掌握した。景雲4年(710年)には自らの即位を意図し、娘の安楽公主とともに中宗を毒殺、温王李重茂(殤帝)を皇帝に擁立した。しかし間もなく李隆基(玄宗)が政変を起こし、その父である相王李旦(睿宗)が復位した。韋后は殺害され、その身分も庶人に落とされた。Wiki「韋皇后 (唐中宗)」



俗に言う「韋后の禍」(※2)を惹起した人物であり、「三面記事的悪女」といった役どころです。
失態続きの夫を見限った挙句、色と権力に溺れ、邪魔になった夫を殺しました。

2016年10月13日 (木) | Edit |
◆その1.たしかに存在した人

諏訪御寮人。

小説やドラマで「武田信玄最愛の女」、「絶世の美女」と持ち上げられたことが仇となり、一部の読者からは、「愛された確かな裏付けもないのに」「美女であった証拠もないのに」とやや批難の目を向けられています。

けれど、武田勝頼という人物が存在した以上、生母もまた存在します。
たとえ、「人となりを推し量る史料」がなくとも。

学者ならば「史料が存在しない為、人柄も容姿も不明」で済ませていいでしょうし、それこそが学者の良心です。

2016年05月11日 (水) | Edit |
フリードリヒ大王の運命の女たち(笑)。
事実上皇帝マリア・テレジア、皇帝エリザヴェータ、公式寵姫ポンパドゥール侯爵夫人。

 

エリザヴェータ帝とポンパドゥール侯爵夫人登場の二作品しか紹介できてないけれど、マリア・テレジア帝(事実上)が主役の、タイトルもずばり「マリア・テレジア」(庄司陽子著)もあります。
あるんだけど、「生徒諸君 教師編」25巻に収録なのでリンクはなしにしました。
あれの表紙絵が自分のブログに表示されるなんていやだ。

2016年03月21日 (月) | Edit |
本エントリは、小説家って我が強くないと務まらないんだろうなーとの思いから綴ったものです。

その1.吉屋信子「女人平家」
   

新田次郎氏は、自著「武田信玄」において、出身地、諏訪出身の側室を理想のヒロイン像とし、一方で、正室三条夫人を貶めて描きました。
(わたし自身は、実際に「武田信玄」を読んで、湖衣姫には10gほどしか感銘を受けなかったのですが、三条夫人については、良い造形に思えました。簡単に書くと「不美人な葵の上」って感じで。)

2016年03月03日 (木) | Edit |
(注意1)録画せず、再放送も見ず、本放送視聴一発勝負の記憶頼りで書いてます。少々の記憶違いがあっても、大目に見てください。

(注意2)本能寺以降の関東情勢も、真田家の動向もほとんど知りません。あえてぐぐらず、でも、ツィッターを含めてネットで目に入る感想は史実バレも含めて拒んでないよ♪のスタンスです。


タイトルはキャッチーにと思い、「うざい女」と入れましたが、バッシングの為のエントリではありません。
逆に、「うざい女」三人衆、きり、松、薫ママンについて考えてるうちに、応援したくなりました。「うざっ」という気持ちは変わりませんが。


2016年02月15日 (月) | Edit |
◆永井路子と杉本苑子(その1)

永井路子さんと杉本苑子さんは、わたしが好きな作家です。
エッセイ等を拝見するに、このお二人は友人でもあります。

お二人の創作ジャンルは歴史で、同じ日本史畑、時には、同じ時代、同じ人物を執筆しておられます。
作家として、歴史に造詣の深い者として、見解の相違をお互いどう受け止めておられるのでしょう。

わたしが知る限り、永井路子さんは、おねね贔屓で淀殿を高く買ってらっしゃいません(淀殿嫌いではないと思います)。
一方、杉本苑子さんは、淀殿贔屓で、こちらは明確におねね嫌いです。
他にも、お二人の著作を拝見していると、孝謙天皇と藤原仲麻呂との関係、北条政子の解釈等、お互いの意見が異なるケースが見受けられます。

2015年12月25日 (金) | Edit |
再録エントリですが、以前いただいたコメントは未再録です。コメント、ありがとうございました。



◆その1「チェーザレと伊周」


藤原伊周(ふじわら・これちか)は、は平安中期の貴族。藤原北家、摂政関白内大臣藤原道隆の嫡男です。
という説明より、かの「この世をば わが世とぞ思う 望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んだ、藤原道長の甥(長兄道隆の息子)と言った方がわかりやすいかな。

2015年12月16日 (水) | Edit |

「大帝の恋文 ロマノフ大公女物語」
作者:一原みう
イラスト:真敷ひさめ


小説に添えられる作者による「あとがき」はたいてい、「可もなく不可もなく」なんですが、たまに作品本体をぶち壊しにしたり、逆に、盛り上げるものもあります。

2015年10月08日 (木) | Edit |

「日出処の天子」
作者:山岸凉子


雄麻呂は実在の人物でありますが、「日出処の天子」(山岸凉子著)(以下「処天」)に登場する雄麻呂について語ります。
以下、すべて史実ではなく、「処天」に基づいて語っています。