1902年01月11日 (土) | Edit |
二階堂マリ。
初代「キン肉マン」がギャク路線であった頃、キン肉マンとミートくんの憧れの女性として活躍しましたが、格闘路線への変更とともにフェードアウトした女性キャラです。
入れ替わるように登場したのはビビンバですが、彼女もさほど活躍はせず、最終章「王位争奪編」の最後の最後で、唐突にキン肉マンのお妃候補(恋人)として登場し、結ばれることが暗示されて終わりました。
格闘メインのこの漫画では女性キャラは活躍しずらいのです。

読者のほとんども気に留めなかったであろうマリさんでしたが、驚いたことに「二世」で再登場を果たしています。
主人公万太郎が一目ぼれしたヒロイン凛子の養母として。

初代においてフェードアウトした理由付けもされています。
マリさんもキン肉マンのことが好きだったけれど、引っ込み思案でおとなしいマリさんは自分の気持ちを上手くわかってもらうことができず、キン肉マンもそんなマリさんに対して遠慮があった。
一方、ビビンバは好きという気持ちをストレートにキン肉マンにぶつけ、キン肉マンもそんなビビンバに無理なく魅かれていった。
二人の間に割り込む余地のない事を悟ったマリさんは、幼児教育の現場を勉強する決意を抱いて海外に旅立ったのでした。

キン肉マンと同じ年頃であったマリさんは、当然、「二世」でも、キン肉マンと同様に年を重ねています。
おそらく50代半ばでしょう。

その年齢にふさわしく、再登場時のマリさんは、口元に小さなしわが描かれ、眼鏡(老眼鏡?)をかけた姿で再登場しました。
ミートくんとの再会時の回想にみられる、若いマリさんと比べるとあきらかに老いています。

けれどマリさんは再登場三話目にして、老いた顔で描かれなくなってしまいました。
しわは描かれなくなり、娘の凛子とさほど差のない年齢の女性のようです。

マリさんがいきなり若い顔だちで描かれるようになったのはなぜでしょう。
「だってゆでだから…」(※1)で、すんでしまうことかもしれませんが、わたしには、「女には『老い』は許されないから」だと思え、切なくなりました。

なぜなら、キン肉マンもテリーマンもバファローマンもラーメンマンもブロッケンJr.も、その他の初代で活躍した超人たちは、いつ登場しても老いた姿で描かれているからです。
マリさんのように若々しい外見になることはありません。
男たちはいつの時も、口元のしわどころか、ほうれい線、目元のしわ、かすかにたるんだ頬で、「老い」をきちんと描写されています。

ルネサンスにおける老いへの態度も、男に対するのと女に対するのとは違っていた。老年男性は権力や富を持っていることが多いし、神の似姿ともなるほどなので、外見をあげつらわれることは少ない。(中略)ダ・ヴィンチも老いた自分の横顔を、美しい青年と対比させて描いているが、そこには若さに負けないだけの威厳がある。(※2)



そう、男にとっては「老い」は絶対的な喪失ではありません。
「老い」と引き換えに彼らが手にしたもの、闘いで培った友情、勝利、名誉、賞賛、達成感はそのまま人生の積み重ねとして肯定されています。
だから、男性キャラは老いたままの姿で描かれるのでしょう。

けれど、女にとって「老い」は、

男の眼から見てすでに異性ではなくなった、謂わば廃品としての、醜く邪魔なだけの老女の典型を造型したのである。普遍的といえば聞こえはいいが、色香を失った老女は没個性的に捉えられがちだ。(中略)「美女はそれぞれに美女だが、老婆はどれも一様である」(※3)



若いというだけで美しいわけでもないし老いているからといって醜いわけではないという事実は忘れられる。性愛の対象でなくなった時点で女性は美しくないのだから、「美しい老婆」という言葉は形容矛盾なのだ。(※4)



一方、女性にとって老いは美の崩壊だ。(中略)しかも美の崩壊は、自分が感じるというよりは、他者からの露骨な視線によって痛烈に思い知らされる。その他者のうちでも、大きな力を持つのは男性で、彼らは老いへの恐怖を映し出す鏡として、嫌悪を込めて老女を見る。(※5)



男性にとっては、性愛の対象であるべき女性が、無残に老いさらばえる事実ほど恐怖と嫌悪を感じるものはないのだろう。(※6)



数年前から「アンチ・エイジング」が流行しているのも、きっと、女が、老いることは女として扱われなくなること、即ち存在を否定されてしまうことだと感じ取っているからでしょう。
わたしには、あの「アンチエイジング」の掛け声が、ものすごく不快な煽りに聞こえます。

無意識にせよ、そして悪意によるものではないにせよ、作画の中井氏に「女が老いること」への否定があるから、マリさんが若く描かれているのではないかと想像してしまいました。


(※1)「だってゆでだから…」
ゆでたまごの代表作「キン肉マン」において、 あまりにも設定の矛盾や科学的な間違いが多いために「ゆでたまごの漫画なんだからしょうがない」というニュアンスで使われる。
この一言が出るとそれ以上の突っ込みを入れるのは野暮というものである。
(某所より引用)

(※2)から(※6)は全て
中野京子さんの「怖い絵」中、『老婆の肖像』より引用しました。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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