1902年01月23日 (木) | Edit |

フ××××ムの定義とは、男性も女性も平等に権利と機会を与えられるべきであるという信念です。つまり、男女は政治的、経済的、そして社会的に平等であるべきであるという考え方です。
【エマ・ワトソンが挑戦する“新しいフ××××ム”の取り組み】より引用)



「パリスの審判」と「熊猫的迷宮」で醜悪なフ××××ト像が用いられたことについて、ずっと書きたかったんですが、説明できるだけフ××××ムを勉強していないし、何よりも、言葉を尽くし、誠意を尽くして説明しても、「フ××××ム」と言っただけで理解しない人、理解出来ない人たちが多いと実感してきた失望が強く、ずっと後回しにしていました。

一応、「フ××××ム」の「フ××」を聞いただけで、怯える方々向けに、冒頭には、エマ・ワトソンによるスピーチ「新しいフ××××ムの取り組み」にリンクしました。

スピーチの良さはさておいて、正直、これが「新しい」とは思えないんですけねえ。
グロリア・スタイナムなど1970年代に、
「フ××××ムはアンチ・ナショナリズム」
「性とか人種とかによって生まれながらに規制されないような、そういう公平な社会。そして、多様な価値や生き方が許容される社会」
と提唱してたし。

まあ、エマ・ワトソンのスピーチが「新しい」と賞賛されるほどに、「フ××××ム」への誤解と偏見が強いってことなんでしょう。

迷いましたが、伏字を用いています。
伏字にした単語に脊髄反射でくらいついて、クソリプ、もとい、中傷誹謗を書き込んでくる人が多いと懸念されるので、検索避けです。
見苦しいですが、ご勘弁を。

クソリプとは → ぐぐって下さい。なかでも「クソリプだらけの桃太郎」は面白いよ。

◆「エロイカより愛を込めて」(青池保子著)、「パリスの審判」における「フ××××ト」の描かれ様について

ひどかった。ひどかったです。

初めて読んだ時、悪い夢を見ているのかと思いました。

「パリスの審判」にて、伯爵が女学者に変装したのですが、開口一番。

「この私をご存知ないですって!?」
「知らないふりをするのは、女性排斥のセ××ラだわ!」
「私の著書『フ××××ムから見たドイツ・ルネサンス期美術論の批判的論考』をご存知のはずだわ!」
(「エロイカより愛を込めて」内「パリスの審判」より引用)
(以下、セリフは同作より引用)



と、立て板に水でまくしたて、周囲の男学者たちを
「フ××××トだ~」
「触ると祟るぞ~」
と、怯えさせてます。

責任上、「正確に!」と、本を見ながらセリフを引用したのですが、本当に気分が悪くなってきます。
「フ××××ト」の単語に、なんでこんな醜悪キャラ付けをするのかと。

「フ××××ト」の描きようもひどいけど、「セ××ラ」も明らかな誤用です。
もしや、作者さんは男の感覚で描いてらっしゃる?

「昔の女はセ××ラぐらい、笑って流してくれた」
「今だって、ちゃんとした女はコミュニケーションの一環だと理解してくれてる」
「セ××ラ、セ××ラと煩くがなり立てるのはフ××××トだけだよ」
と、ある種の男の言い分をそのまま受けれいてらっしゃったのか?作者さんは。
(なお、↑この「男のいい分」は、Twitter上で流れた「セ××ラしたい男たち」の言い分を参考にしました。)

周囲の男学者の反応もひどい。
伯爵の化けた女学者の振る舞いが不適切なら、毅然と注意すればいいものを、ひたすら怯えている。

伯爵が化けた女学者は、自分で「フ××××トだ」と、名乗ったわけではありません。

(1) がなりたて、
(2) 「フ××××ムから見たドイツ・ルネサンス期美術論の批判的論考」を自著としてふりかざし、
(3) 「セ××ラだわ!」と声をあげた。

以上の振る舞いに対する反応が、
「フ××××トだ~」
「触ると祟るぞ」

一連のセリフと行動からわかるのは、「彼女は、頭が悪く礼儀知らずの厚かましい女だ」ということです。
なのに、「フ××××ト」のレッテルを貼った。
すなわち、男学者さんの頭の中では、
「フ××××ト=頭が悪く礼儀知らずの厚かましい女」との意味になってるわけです。

(女に対する侮辱語としても「フ××××ト」は機能するのに、この種の男性を表す言葉がないのがもどかしい。ミソジニーも、マッチョも、ちょっと違うし。)

(それに男性ばかりとは限らない。女性にだっています。
性別による不平等の是正に取り組む女を揶揄し、「あの女はフ××××ト」とレッテル貼りをして、マウントを取ったつもりになって、偏見と憎悪を吐き出すのが大好きな、女を見下してかかる「名誉男性」女。
自分の歪んだ認知の中でしか生きていないから、「feminism is not feminine」の意味すら理解できず、フ××××トと決めつけた相手が俗に言う「女らしい」趣味や嗜好を持っていたらバカにしてかかる、品性下劣で男気取りの「名誉男性」女。

こういう女を指す単語が見当たらないもので、「名誉男性」を繰り返しました。)

初めて読んだ時は、悪い夢を見ているかと思いました。

「パリスの審判」以降、現時点刊行分まで、そういった醜悪なフ××××ト像は登場していませんが、もう、作者さんの名に触れる時、虚心にはなれなくなりました。

ちょうど、ななみんが有する強烈な漫画蔑視を知った後では、彼女(塩××生)の名を見て、虚心になれないのと同様に。

とはいえ、好きな作品の作家さんだから、「パリス」以降今に至るまで、ひどいフ××××ト像が出てこないのは良識が働いたからだと思いたいです。

◆話の展開に、「必要」であったのは理解しています。
傍若無人の「触ると祟るぞ」と思わせる女学者に化けることで、その後の窃盗をやり易くする為だと。

じゃあ、なぜ、その為の醜悪な変装が「フ××××ト」像でなければならなかったのか?

仮説のひとつとして。
「フ××××ト」なら、こういう醜悪な役割をふっても、どこからも抗議はないだろうから。

周囲を辟易とさせる変装ならば、例えばユダヤ人の男学者でもよかったと思います。
(「ユダヤ人」は一例です。おそらく、被差別の立場であれば、代替可能。)

「この私を知らんだと!?」
「知らないふりをするのは、ユダヤ人排斥の人種差別だ!」
「私の著書『ユダヤ人との関わりから見たドイツ・ルネサンス期美術論の批判的論考』を知ってるはずだ!」

「ユダヤ人だ~」
「触ると祟るぞ」

その後の窃盗の為のごり押しも含めて十分成り立ちます。

でも、アイデアの段階で没でしょう。
「ユダヤ人」とすれば、読者の目のうるさいであろうから。
うるさいだけでなく、実際に抗議も受けるかもしれないから。
多くの読者からも不見識を指摘されるかもしれないから。

「フ××××ト」ならば、世間も読者も「フ××ってこわーーーい」と見なしてるから大丈夫。どこからもクレームはこないよ。

・・・作者さんは、結局、「フ××××ト」について、「フ××ってこわーーーい」の認識しかないままだった、ってことですか!?

なお、「伯爵は普段から女性に化けることが多いです」「伯爵は女が嫌いだから、女を貶めるような変装をしたんですよ」といった、クソリプ、もとい、ご指摘は不要です。

クソリプとは → ぐぐって下さい。「クソリプだらけの桃太郎」は面白いよ。

追記.
Twitter上で、「差別者にとって差別は『娯楽』であり『ジョークの種』なんだ」との指摘が流れました。
続けて、中でも「女性差別」は気軽にやってもいいと思われている、人種差別等になると腰が引ける人でも、「女性差別」ならば、日本人に広く「鉄版ジョーク」として認識されているから、と指摘なさっていました。

「パリスの審判」と「熊猫的迷宮」内で、「醜悪な『フ××××ト』像」が用いられたことにも通じる指摘だと思います。

◆「フ××××ト=頭が悪く礼儀知らずの厚かましい女」との偏見の浸透によって、「フ××××ト」あるいは、「フ××」と呼ぶことで、相手に「頭が悪く礼儀知らずの厚かましい女」あるいはそれに類する負のレッテルを貼ることができます。
次のように。

Twitter_gendar

ここでは明らかに、「フ××」が負の意味で用いられています。
アカ主さんの言は、「頭が悪く礼儀知らずの厚かましい」言い分ですか?

わたしが、「パリスの審判」で描かれた「フ××××ト」像に怒っているのは、「フ××××ト=頭が悪く礼儀知らずの厚かましい女」との偏見を垂れ流し、女性の足をひっぱっる片棒担ぎをしていることです。

ここまでお読みになっても、わたしの言いたいことにかすりもせず、「やっぱり、フ××は怖いぃぃぃ、発狂してるwww読むと祟られるぞ~」とか、「青池先生に文句をつけてる。気に入らなければ読まなきゃいいのに」とか、そんな理解しかできない人がいるだろうな。

◆「熊猫的迷宮」のルディ君は男の子だった!?

「パリスの審判」以前にも、醜悪なフ××××トが登場します。
「地上から全ての男を抹殺せよ」と主張する狂信的な女性解放論者の過激派団体を「フ××××トの集団」と呼んでいて、この時もひどいと胸が悪くなりましたが、まあ、急進的な思想傾向の団体は、あらゆる分野にいるからと腹の虫をこらえました。

「熊猫的迷宮」については、ルディ君のことを語ります。
わたしはこの子を長い間、女の子だと思ってました。

ルディ君が伯爵の車をヒッチハイクした時、伯爵は彼のことを「かわいい少年だ」と言ってましたが、髪も短いし、パンツスタイルだし、ボーイッシュなので、女の子を男の子に間違えたのだと思い込んでました。

だって、ルディ君てば、こんなこと言ってますよ。

(男が生まれなくなるウィルスを見て)
「すごく便利なウィルスだね。ダッセー男なんかいない方が気持ちいいもん」
(「エロイカより愛を込めて」内「熊猫的迷宮」より引用)
(以下、セリフは同作より引用)



こんなセリフが性別・男の口から出ると思うかよ!

第一、登場しょっぱなに、研究所の所長(男)を無視して、その理由が

「ルディは男が嫌いなのよ。
この施設だけで女性だけに育てられたから、祖父以外の男性は、口をきくのも疎ましい不気味なエイリアンに見えるのよ。」



そんだけ男を嫌ってる子本人が、性別・男と思うかよ!

それに、「地上から全ての男を抹殺せよ」と主張する過激派団体が、男の子を育てるとは思わなかったし。

たしかに作中では、「男の子」である情報は出ていました。
しかし、

ルディの名 → 女子にも用いられる名前だと思いました。あるいは、ルドヴィカの愛称かと。
ルディ「君」 → まあ、女の子に「君」をつけないでもないし。
一人称が「ぼく」 → 作者さんが読者をミスリードしようとして、日本語表記の利点を生かして「ぼく」を用いていらっしゃるだけで、作品世界ではドイツ語の「Ich」(男女共用)で喋ってるのだ。

と、「ルディ君=女」の思い込みのまま長年過ごしてきました。

ようやく男の子であると理解したのは、少佐と李剣光(リー・ジャンガン)がともに、ルディ君を「少年」と呼んでることに気が付いたから。
共に、情報機関の人間ですから、正確な情報でしょう。

ルディ君てば、性別・男なのに、
男をエイリアンと見なし、
「ダッセー男なんかいない方が気持ちいいもん」
と、口にしているのですか。

自分の性別との矛盾や葛藤を感じることはなかったのか?
「名誉男性」ならぬ、「名誉女性」だったのか!?

ルディ君を男と知って、「名誉男性」女を目にした時と同じく、呆れてます。わたし。
まあ、子ども(12歳くらい)だし、成育環境を考慮すると、大人の責任が大きいのですが。

◆「熊猫的迷宮」は、少佐という人間を改めて見直した回でもあります。
少佐は彼女たちの思想には無関心と言うのか、過剰な反応をしていません。
相手は、「地上から全ての男を抹殺せよ」と、「男」にターゲットが向いているのに、男である自分を否定されたかのような受け止め方をしていません。

こりゃ、たいした心的態度だわ。

過激な女性解放論のテロリスト集団に対しても、女スパイ「マリア・テレジア」や「マリー・アントワネット」に対しても、女同士の遠慮のない井戸端会議を聞いても、色気女にべたべたされても、女をひとくくりにして、
「女はこわい」、
あるいは、それに類する言を弄していません。

こりゃ、たいした心的態度だわ。

◆「エロイカ」って、そりゃ、登場人物で女性は少ないけれど、そういうまんがだと思って読んでいました。
女キャラを増やせ!と思ったことなどありません。

1) 部長の有能な女秘書
2) 少佐と伯爵を手玉にとったヴェテラン・スパイ、「マリア・テレジア」
3) ゴシック・ロマンに登場した伯爵令嬢イレーネ
4) 妄想力抜群のマダム、ミレーヌ・ラロック
5) バルト三国代表団の紅二点、ローザ・テクテルとマルタ・スメトナ
6) シスターテレサ
7) A君の奥さん
8) イタリア人社長の愛人アデリーナ
9) 雷マンマ、ゴツドーニ夫人
10) 「薄命美男子名鑑」サイト管理人の一人、メル・エバンズ

他、
「ヘラクレス」御自慢の愛人、妖艶なドーラ、可愛いクリオ
女スパイ「マリー・アントワネット」
スペインのセレブ、シニョーラ・ピラール
部長の奥さん、etc.

思い出せるままに、「エロイカ」に登場した女性をピックアップしましたが、不愉快な女性像なんてありません。

わたしは少女まんがを信じてます。
だけど、少女まんがのメインテーマが、「異性(男性)との恋愛」である為、しばしば「世間が求める『男に好かれる女像』」も頻繁に描かれてきました。

そんな少女まんがの中で、「エロイカ」は男だらけの世界で、かつ、「恋愛」がテーマではないので、たまに登場する女性キャラを、世間の押しつけ理想像から解放された、善悪および、非凡平凡問わず個性的な姿で描いておられると思って読んでましたし、そう描ける作家さんだと信頼もしていました。

部長の有能な女秘書さんはじめ、年配の女性もちらほら出てくるし。
「年配の女」が登場するって、けっこう良いポイントですよ。

ローザ・テクテルやマルタ・スメトナのような、ある意味、「等身大」の女性も出てきます。

妄想マダムのミレーヌさんも、すてきなキャラでした。
ミレーヌさんみたいな、若くも美しくもない女性が、それゆえ貶められたりもせず、あるいは、若くも美しくもない代わりに、若い人いとって「便利屋でものわかりのいいおかん」みたいな役割をあてがわれることもなく、ひたすら自分の欲望と妄想に忠実なマダムとして描かれて、すてきでした。

だから、あんな醜悪な「フ××××ト」像を描かれたことが、悔しく、腹立たしく、よけいに胸が苦しい。

◆冒頭に掲げたエマ・ワトソンさんによる国連本部での演説は2014年9月に行われました。

「熊猫的迷宮」は1996年頃。
「パリスの審判」は1999年頃。
(いずれも、新書判コミックス発売年を参考にしました。)

「『熊猫的迷宮』や『パリスの審判』が描かれた頃は、『フ××××ト』はああいう、男を目の敵にして、セ××ラ、セ××ラ騒ぎたてる凶暴な女どもだったんだよ!エマ・ワトソンの演説だって『“新しいフ××××ム”』と呼ばれてるだろうが、昔のフ××はみんなああいうモンスターだったんだ!!」とは、思いません。

わたしは、作者さんは、二作品で、特に「パリスの審判」での「フ××××ト」像は、1990年代からの「バックラッシュ」がカリカチュアしたものを採用なさったと思ってます。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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