1902年01月02日 (木) | Edit |
【過去固定エントリ】
3分割エントリをひとつにまとめています。
また、以前いただいたコメントも、過去固定に際して削除しました。ご了承ください。


◆「気に入らなければ読まねばよい」にもの申す(その1)

「気に入らなければ読まねばよい」

この言い分に反感を持つ人はあまりいない様子です。
それどころか「その通り、その通り」ともてはやす人も少なくないので、この言い分にもの言いをつけると、わたしの側が悪人にされそうですが、せっかくこういう自ブログという場があるので、思うところを述べます。

直感的に書くと、この言い分の心底にあるのは、「自分、あるいは、自分が好きなものへの否定的な意見や感想を読みたくない!見たくない!!」だと思うんです。

読みたくない、見たくないから、否定的意見や感想を書かせまいとして、事実上、「読むな」と強制しているんです。
この発言が出てくる時って、自分の意見や作品(ブログ・小説・漫画・ドラマ等)対して、否定的なコメントや感想が来た場合ばっかりですから。
あるいは、自分の好きな作品に対して、否定的な意見、感想、コメントを見た時です。

うちにも書き込まれたことあります。
以前、某「O奥」の展開とセリフが、小説Aに「似ている」事が、小説Aのファンとして不愉快だとの趣旨で書いたら、「盗作が気に入らないなら読まなければいいだけのこと」と。

あの、ワタクシ、「似ている」と指摘はしたけど、「盗作」とは一言も書いてはおりませんが!?

要するに、「O奥」にケチをつけるな!が本当に言いたいことだったのでしょう。
自覚はなさそうでしたけど。

わたしは、

「気に入る、気に入らないは読む・読まないとは直接関係しない」

「気に入らなくても、読みたければ読めばいい」

「気に入ってても、読みたくなければ読まなければいい」

「気に入らないから読みたくないのであれば、読まなければいい」

「気に入っているから読みたいのであれば、読めばいい」


と思っています。

作者が偉そうで嫌な感じがしたり、作品そのものがつまらなそう、気に入らなさそうとの予想や情報が入ってきていても、読みたければ読めばいい。

面白そう、興味がある、気になってる状態であっても、読みたくなければ読まねばいい。

考え方はひとそれぞれなので、ほっときゃいいものですが、「気に入らなければ読まねばよい」派の、この言い分は善なるもの、人を傷つけない良いものであると思い込んでいる様子が目障りです。
わたしから見れば、「自分にとって不愉快なコメントや感想を目に見える所から排除したい」だけのわがままで自分勝手な人間なのに。

「巧言令色少なきかな仁」、「忠言耳に逆らう」と言われるように、「大人」であれば、欠点や短所の指摘を受け入れる度量が必要であり、忠言をはねつけるのは「ガキ」であるとの認識が一般的なので、「否定的な感想をわたしの目につくところにさらすな!」と正直に言えず、もっともらしく「気に入らなければ読まねばよい」と振りかざしているだけに思えます。
すなわち、わがままで自分勝手に加えて、偽善者の卑怯者でもあります。

そもそも、「気に入らなければ読まねばよい」と言いますが、事実上不可能では?
読みもせず、気にいらない内容であるかどうかわからないんですから。

ところで、「気に入らなければ読まねばよい」で検索して、ある作家のコメントを拝見する機会を得ました。

読者から相当に不愉快なことを言われたらしく、この方も「気に入らなければ読まねばよい」と返しておられるのですが、一読したところ、「読者の側が今後の展開をああしろこうしろと口をはさんできたこと」が一番に気に障ったように見受けられました。
そして、「自分の作品を気に入らない読者が存在すること」「自分の作品を読まない人間が存在すること」までも否定しておられません。他人の頭の中をどうこうできないのだから当然のことに。

つまり、この作家が不快になったのは、「今後の展開を指図されたこと」と「気に入らないという意見をわざわざ自分のサイトに書き込んできた行為」なのでは、と思いました。

「今後の展開を指図する」、これはたしかに読者の側が行き過ぎでしょう。
だからといって、「気に入らなければ読まねばよい」と返すなんて、器が小さい。
寛大に、「いや~、実によく読んでくれてるね~。アンチを解消できるようもっと面白くするよ!これからも応援してくれよな!!」と、応じろとは申しませんが、「意見を言うのは君の勝手だが、作家には読者の指図に従う義務はない」で十分だったのでは。

だって、「作品は作者のもの、感想は読者のもの」なんですから(たんに、わたしの持論ですけどね)。
→関連エントリ:【作家は面の皮が厚くなければ生きていけない(その1)】

なによりも、「気に入らなければ読まねばよい」が作者さんの信条でしたら、不快な書き込みをさっと削除して、アク禁にして終わればよろしかったのでは?
なに、このダブスタっぷりは。

この作家さんに限らず、「気に入らなければ読まねばよい」派は、みな同様のダブルスタンダードを振りかざしています。
他人に向けて、「気に入らなければ読まねばよい」と事実上、読書の自由、視聴の自由、感想を表明する自由を封殺しようとしながら、自分たちが「読んで、気に入らないと表明する」権利だけは振りかざす。

卑怯者!

なお、当ブログにおいては、「気に入らなければ読まねばよい」なんてケツの穴の小さいことは申しません。
歓迎はしませんが、当ブログへの反論も、否定的意見も、書き込みたいならご勝手に。
ただし、「仰せごもっとも~」と、丁寧にレスするとは限りませんし、相手にするのがめんどくさかったら放置します。場合によっては削除するか、T氏のコメントのように、さらしあげにします。アク禁もいいね~。
むろん、応じるに値する書き込みならば、きちんとレスいたしますよ♪

◆「気に入らなければ読まねばよい」にもの申す(その2)

笑える話を紹介します。
わたしの実体験です。

以前、佐藤賢一さんの「カエサルを撃て」のカエサルのキャラ設定にケチをつけました。
とはいえ、まだ読んでいなかったので、「評判を聞いて気に入らないので読んでません」と、正直に書き添えておきました。

そうしたら、愛読者からの「ぜひ読んでください」とコメントがやってきたのです。

わたし本人が「気に入らないから読みたくない」と言ってる作品を「ぜひ読んでください」と薦めてくる人間もいる。

どう思いますか?
「気に入らなければ読まねばよい」派のみなさん。

今度は、「読みもせずケチをつけるからいけないんだ」と主張するのかしら。
あれ、ということは、気に入らない作品でも、読んでケチをつけるのはいいということかしら。

↑一人やりとりは虚しいな…。「気に入らなければ読まねばよい」派の意見を聞かせて欲しいわ。

さて、「気に入らなければ読まねばよい」派も、「ぜひ読んでください」と書き込みしてきた人も、動機は同じだと推測します。
すなわち、自分にとって都合の良い意見や感想しか見たくない、読みたくない。
だから、自分の作品、あるいは自分が好きな作品への否定的なコメント・感想を排除しにかかるのでしょう。

「権利」との言葉を用いると、「気に入らなければ読まねばよい」派と同じくらい自分勝手な人間が湧いてきそうなので避けたいのですが、ボギャブラリー不足なので用います。

人間には読みたい本を読み、見たいドラマを見る権利があります。

「気に入らなければ読まねばよい」派は、読む権利、見る権利を他者から剥奪しようとしていることを、それも、極めて自分勝手な動機、「ボクを(わたしを)不愉快にさせる意見や感想を排除したい」ゆえであると自覚していますか?いないんでしょうね。
むしろ、自分たちが被害者だと思ってるんでしょうね。

こいつらの暴力性って、無自覚なだけにタチが悪い。

なお、くだんの書き込みとは無関係に、後に「読みたくなったので」、「カエサルを撃て」を読みました。
感想は次の通りです。

本家「ガリア戦記」が、戦い終われば、また戦い~と、まんまジャンプまんがのノリならば、「カエサルを撃て」は、戦い終われば、それ、強姦。こんなノリです。

しかも強姦に容赦がない。
強姦はそういうものなのでしょうから、酷い事をちゃんと酷く書いている点はいいと思います。
とはいえ、人格もなにもない、ただの「穴」扱いされる絶望感。
「女を男に犯られてナンボだよっ!ヒャッハーーー」と言いたげな文面でも大丈夫という方はどうぞ。
非の打ちどころのない高潔な英雄に造形された村上恭介版に比べ、主役二人の人物設定はかなり屈折して複雑で、興味をそそられると言えば、そそられますから。
ガリアの風景、風俗の描き方も緻密だったと思います。



◆「気に入らなければ読まねばよい」にもの申す(その3)

「『気に入らなければ読まねばよい』にもの申す」シリーズ、ひとまずファイナルです。

「気に入らなければ読まねばよい」は一見「正しい」言い分ですが、読んだ結果、不快になるとは限りません。

読む前からある程度情報が入ってきて、気に入らない作品であろうと想定できても実際に読んでみたら、おもしろかったぜ!というケースだってあります。

わたしの実体験で言えば、

新田次郎「武田信玄」

三条夫人悪妻伝説の大元ではないかと思います。
未読時、三条夫人派にシンパシーを抱いていたわたしは、新田次郎氏を心中、「武田信玄業界の××××子」と罵倒しておりました。
そして、きちんと罵る為にも実際に読まなければと考え、読んでみたところ…、フツーに面白く読めました。

問題の三条夫人の設定(作品内の「設定」)はたしかにひどいものです。
もし、リウィアがこういった設定で描かれたら怒り心頭に発すると思いますし、三条夫人派が不快になる気持ちも十分に尊重いたします。

が、三条夫人をただの悪妻かつ諏訪御寮人の引き立て役ではなく、胸中に哀しみ苦しみを抱いて生きてきた女性として描いていると思えました。

わたしの中の新田氏の格付けは現在「武田信玄業界のロバート・グレーブス」に昇格しております。

余談でございますが…。
上記でリンクした文庫版「武田信玄」には、三条夫人ファンと思われる方のレビューが掲載されておりました。
そのレビューに対して言うにことかいて「作者の世界を楽しみましょう」なんてほざいているカスタマーレビューがあって、わたしに向けられた言葉ではないとはいえ、腹が立ちました。

「楽しみましょう」だぁ?

新田次郎の「武田信玄」を楽しめなかった、不快だった、許せなかったと書いている人間に、なんという無神経な言いよう。

一見「善良な」意見に読めますが、小説「武田信玄」によって、前者が味わった苦悩を踏みにじっています。否定しています。自分の裁定を押し付けています。
言ってみれば、病人の苦しみ不安を無視して、「元気になりましょう」と励まして、「俺ってやさしーw」と悦に入っているようなものです。

「気に入らなければ読まねばよい」派と同じ偽善者臭を漂わせてます。
あー、臭い、臭い。

田淵久美子「江 姫の戦国」原作小説

わたしの好きサイトの管理人さんが放映前にお読みなり、悲嘆のあまりに罵倒しておられました。なので、わたしも「スイーツ大河メロドラマ」をやり玉に上げるつもりで読んでみたら、悪くない。

少女漫画要素が目立ち、好きサイトの管理人さんはそこがお嫌いなんでしょうが、少女漫画になじんで育ったわたしには、むしろ可笑しかったです。(←「良かった」ではなく「可笑しい」と表現しているところで、この小説の内容を察してください)

Colleen McCullough「Antony and Cleopatra」

アメリカAmazonの書評では、リウィアもオクタビも矮小化されているとの話でしたが、実際に読んでみれば、世にも稀なリウィア&オクタビのカプ萌えばなしでしたw

詳しくは、カテゴリ、 Colleen McCullough「Antony and Cleopatra」をご覧ください。

どれもこれも、「気に入らなさそう」との予想があったものばかりです。

そりゃね、読んでみて、予想通りに気に入らなかったケースもあります。
「カエサルを撃て」のように。

だけど、読んでみなきゃわかりません。気にいるか、気に入らないか、は。

そもそも「気に入らなければ読まねばよい」なんて、矛盾してます。
読まなきゃ「気に入らない」と断定できないんだから。

何度も書いてきたけど、「気に入らなければ読まねばよい」との主張は、「読んでみて気に入らなかったのなら、黙っておけ」、「僕の(わたしの)の意に沿わない感想やコメントを見える所にさらすな!」です。

主張していることは、思想の圧殺であり、言論の封殺です。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

↓「日本ブログ村」に参加しています。記事がお気に召したらクリックを!励みになります。
にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 漫画ブログへ
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック