2014年10月12日 (日) | Edit |
「アウグストゥスはアントニアに再婚のプレッシャーをかけたのか?」

夫ドルススはゲルマニアに転戦中、紀元前9年に落馬が原因で死んでしまう。その後アウグストゥスから何度も再婚するよう催促があったが、彼女は独身を貫いた。
「Wiki 小アントニア」より引用



Wikiにはアウさんが、アントニアに再婚を勧めていたとあるんだけど、ホントなのかなぁ。
裏付けはあるの?ソースはどこに?

わたしが見つけた限りではPhD E.D.Huntsman氏がアウグストゥスによるアントニアへの再婚のプレッシャーについて言及されています。

Drusus’ death in 9B.C left Antonia a widow at the age of twenty-seven. From that point on Antonia, fulfilling the Roman ideal of a univera, apparently resisted pressure from Augustus to remarry.

ドルススが紀元前9年に死去し、アントニアは27歳の未亡人として残された。
その時以来、アウグストゥスからの明らかな再婚の圧力にも抵抗して、申し分のないローマの模範的な「一夫の妻(univera)」となった。
(Huntsman「The Family and Property of Livia Drusilla」p130)(日本語・管理人)

注釈によれば、PhD E.D.Huntsman氏は「Kokkinos 15-16」を参考にされたご様子。
そのKokkinos氏の該当箇所は

Antonias’love for Drusus never waned, and despite her youth (she was only twenty-seven) and pressure from Augustus (including legal implications): the Lex Iulia de maritandis ordinibus allowed her only three year’s exemption from the obligation to marry again), she never remarried.

アントニアのドルススに対する愛は、27歳という若さにも関わらず、またアウグストゥスからの再婚の圧力対しても、衰えることはなかった。
ユリウス正式婚姻法は、再婚までに三年の猶予を許しているが、彼女は二度と結婚することはなかった。
(Kokkinos 「ANTONIA AUGUSTA」p15-16)(日本語・管理人)



なるほど。
「女はこどもを産む機械」、もとい、「産む役目の人が、一人頭で頑張ってもらうしかないんですよ」と言わんばかりの法を制定したのがアウグストゥスですから、まだ27歳と充分に生殖盛りであり、受胎能力を証明したアントニアに再婚を勧めたことは有り得ます。

そこから、「アウグストゥスの再婚の圧力にも屈せず」との推測になったと思います。

否定する気はさらさいないけど、別の見解ということで、わたしの考えを述べます。

「アウグストゥスはアントニアが再婚してくれることが望ましいと考えたが、あえて圧力をかけるほどのことはしなかった」

理由1.
アントニアは生存する三人の子の母であったこと。

ユリウス正式婚姻法では、子どもを「三人」産めば、「家父長権」から解放され、経済上の自由を獲得する特権がありました。
「三人」が「望ましい出産数」の目安であったことがうかがえます。
望まれる最低人数とはいえ、一応は目安をクリアした三人を育てているアントニアに「圧力」と呼ばれるほどのものをかけることができたでしょうか?

そして書きながら気づいたのですが、「家父長権」から解放されたということは、アウグストゥスの命令に服する義務もないのでは?(詳細求む)

理由2.
Kokkinos氏も指摘しておられますが、アントニアは理想的な「univera(一夫の妻)」として夫亡き後の人生を送りました。
アウグストゥスは多産を奨励する一方で、家庭を守る妻の貞節と淑徳を称賛しました。
前者のモデルとはなりませんでしたが、後者の模範として、アントニアの生き方はアウグストゥスの政策に沿っていました。

理由3.
夫の死後、アントニアはリウィアと同居を決め、おそらくリウィアの死に至るまで、また死後もリウィアと過ごした家に住みました。
リウィアと同居ということは、アウグストゥスとも同居していたってことです。
広い家とはいえ、同じ屋根の下に暮らして「圧力」をかけられていては、暮らしづらく、後々別居も有り得たのでは。
しかしながら現実には同居をずっと続けています。

以上の理由から、アウグストゥスはアントニアに再婚を勧めたかもしれないが、強いものではなかった、と思います。

いやまあ、わたしなりの裏付けはあるけど、わたしの知らんことはいくらでもあるだろうから、自分が絶対正しいと主張する気はないよ。
クレームがあるなら、具体的に言ってくれさえすれば、いつなりと受け付けます。具体的であれば。

ところで、アントニアの死はカリグラに強制された「自死」であるのはほぼ事実なんでしょうか?
悪名高いカリグラなので、かえって、「自然死」も彼に起因するものとされただけな気がするんだけど。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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