2014年11月21日 (金) | Edit |

運命とあらば、これに従わねばならぬ。予のことは、お前たちに一任する。予を殺してローマ人に償いをするなり、生きたまま引き渡すなり、どちらでも好きなようにするがよい。
(国原吉之助訳「ガリア戦記」 7-89)



ハンニバルは生害を遂げた。
クレオパトラは自ら死んだ。
ボゥディッカは自害した(※1)。

キリスト教がはびこる以前、自殺が悪でなかった時代は、「自分の命を他人の意志によって奪われることをよしとせず(※2)」、人生の幕引きを己が手で成し遂げた人々が多々います。

しかるになにゆえ、虜囚の身となってなお、ウェルキンゲトリクスは生きたのか?

動機は、ガリア戦記に書き留められたウェルキンゲトリクスの最後の言の中から推測できます。

生害を遂げた場合、ウェルキンゲトリクスの名誉は守られます。しかし、蜂起の首謀者が死んだとて、「叛乱」の責はガリアの誰かが負わねばなりません。
首謀者に自害されてしまった分、ローマからガリアへの報復は苛烈なものとなるであろうと予想して、自分の命をローマ人への贄とするよう、あえて、自害をとどまったのではないかと推測できます(※3)。

ガリア人はウェルキンゲトリクスを殺すのではなく、生きたまま、勝者の手に引き渡すことを選びました。
それは、ガリアの為に起った英雄を己の手にかけることが偲びなかったのか。
それとも、自分たちを窮地に陥れた元凶への報復であったのか。

周知の通り、ウェルキンゲトリクスは虜囚としてローマに送られ、6年間獄舎に繋がれた後、BC46年、カエサルの凱旋式において処刑されました。

(※1)タキトゥス「年代記」によります。
他に戦死説、病死説有り。

(※2)ネポス「英雄伝」ハンニバルの章によります。

(※3)と、推測してるんだけどなぁ。
ガリア人に自殺はタブーだったってことはない、と思うんだけど、何かの本で「戦死は名誉」と読んだ覚えがあります。言外で自殺を臆病者とみなしていたら、わたしの推測がちょっと成り立たなくなる(^_^;)。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、理想的な伴侶であった。

↓「日本ブログ村」に参加しています。記事がお気に召したらクリックを!励みになります。
にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 漫画ブログへ
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック