1902年01月04日 (土) | Edit |
もうすっかりご無沙汰していますが(作家買い、作品買いは継続中)、残酷グリム童話系のまんがが好きです。
女向けエロまんがとのレテッルを貼られたレディースコミックのなかでも、さらに、悪名高いと思われる残酷グリム童話系のまんがですが、コスプレもの、歴史もの、神話ものが好きなわたしには、ありがたいジャンルです。

そんなわたしが思う、残酷グリム童話系のまんがの好きな点と嫌いな点。

◆好きな点

女性の作者が、女性の読者を対象としているので、意識してなのか、無意識なのかは判断できませんが、「女の体が女のものである世界」だからです。

すなわち、「女の体は男の性欲・支配欲・嗜虐欲を満たす為の道具ではない」と。

だから、「女が望まないセックスを拒否する意志」が無条件に肯定されている世界です。

2012年12月、インドにて、婚約者とバスに乗った女性医者実習生が、乗員乗客の集団に強姦され殺された事件がありました。

加害者の主張は、「ここはお前たちの場所ではない、真の女性のいる場所は家だ。はずかしい恰好をするな。インド人女性らしくしろ」ということになろうか[Anagol-McGinn 1994:229]。それは性的欲求の表れというより、男性の世界に女性が侵入してきたことへの苛立ちの暴力的表現 ―― 名誉にもとづく暴力ほど明示的ではないが、一種の懲罰的暴力と言ってもいいのではないか。自立している女性の典型は、欧米の女性であり、また性的にふしだらな女、すなわち売春婦ということになる。さらにここから公共の場に一人でいるような女性は売春婦と同じだから、何をしてもいいとみなされ、彼女に対する暴力行為が正当化されることになる。被害を受けたらそれは、外をうろついていた女性の自己責任なのだ。

(「現代インドにおける女性に対する暴力 ―― デリーにおける集団強姦事件の背景を探る」より、固有名詞は「加害者」に置き換えました)



「真の女性の居場所は家だ。居場所から出て、公共の場にいる女は真の女ではない。売春婦と同様だ。売春婦だから強姦してもいいんだ」
こんな主張が為されるのは、加害者が、ヒンズーの伝統が根強く、男尊女卑の風潮が残るインド人だから、なのでしょうか。

日本では、(今のところ)、公共の場に出て、バスに乗っただけで強姦されることはありません。

けれど、女を、自分たちの基準で、勝手に「強姦してもいい女」「ヤッてもいい女」とカテゴライズする男は日本にもいます。

風俗嬢だから。
夜道をミニスカートで歩いていた女だから。
彼氏の心配を断って、一人で帰れると言った女だから。
「小悪魔」なんて噂がある女だから。
居酒屋でアルバイトをする女だから。
ヤ××ンだから、とありとあらゆる「理由」を持ち出して。

いいえ!どんな女が相手であれ、男たちに、女を強姦していい権利なんてありません。

例を挙げます。
W大SーパーFリー事件の被害者を、あるサブカル作家が次のように貶めていました。
「どうせ、やる気まんまんだったんだろ、何をいまさら被害者ぶって」

違う、違う、違う!
仮に、仮にですよ(わたしが以下に述べることがセカンドレイプとなりませんように…)、女子学生の側に、盛り上がればセックスも楽しもうとの意図があったとしても、それは、「互いに同意のうえで」かつ「自分たちも楽しむ」行為として望んでいたはず。
「同意なく」「無理強い」される、すなわち、「強姦」され「輪姦」されることを望むはずはないじゃないですか。

なんでこんな当たり前の事が理解できないんですか、このクズは。

残酷グリム童話系のまんがの世界では、そんな暴論は許されません。

大事なことなのでもう一度書きます。

男には女を強姦する権利なんてない。

男に、女を「ヤってもいい女」と自分勝手にカテゴライズする権利はない。

「彼女」が娼婦であろうが、夜道を歩いていようが、乳が大きかろうが、ギャル風メイクをしていようが、ノーパンで通学していようが、髪を茶色に染めていようがetc.。

そして、女が望まないセックスを拒否することは当然だということ(※)。

だから、残グリ世界において、自分勝手に「ヤってもいい女」をカテゴライズする男は女たちによって、ことごとく滅ぼされます。

「女の体が女のものである世界」、この点が、残酷グリム童話系のまんがの好きな点です。

(※)文章の流れの都合上、「女は」と表現しましたが、男も望まないセックスを拒否するのは当然です。
そして、ターゲットが男であれ、女であれ、何人たりとも強姦していい理由はありません。

追記
否定形でなく語るなら…

「セックスはお互いの同意の上で行うものです」
「セックスはともに楽しむためのものです」

以上の文言でいかがでしょうか。

なお、この世はヘテロ愛の人間ばかりではありませんので、「男女」は用いず、性別を特定しないよう「お互いに」「ともに」と表現しました。
なので、「セックスは子どもを作るためのものです」との文言は外しました。

◆嫌いな点

「強姦被害者がダメージを受けていないような描き方が散見される」こと。

残酷グリム童話系のまんがとして、強姦がプロットに用いられることもあるのですが、たまに、「被害者がこんなにやすやすと恐怖を払拭できるはずないよね」と、思う展開があります。

ある人気作品で、女たちが監禁される展開がありました。
加害者は監禁した女たちに殺されて終わりましたが、一か月にわたる監禁となれば、被害者は殺されるかもしれない恐怖をたっぷり味わったことでしょうに、あまりそんな気持ちが感じ取れませんでした。

ある読み切りでは、輪姦されたお姫さまが、加害者たちが去った後、その場にやってきた男に助けられ、心を開いてお姫さまから求婚する展開でした。
お話自体は世間知らずの姫さまの成長ものでしたが、輪姦の被害に遭って、こんなにやすやすと男に受け入れることができるわけない、と思わずにはいられませんでした。

いえ、信じてはいます。
「強姦の被害から立ち直る話」いわゆる「レイプ・サヴァイバー」をテーマにしたお話ではないから、非現実的な流れになるのであって、作者さんご自身が強姦の被害を軽くみているのではない、と。

けれど、「強姦の被害から立ち直るのはこんな容易なことじゃない」と受け入れがたい気持ちが湧いたのであれば、「創作上しかたないこと」だからと流さずに、作品を受け入れる気持ちとは別に、心にとめておこうと思います。

しかるに、リウィアは帝政ローマの創始者にふさわしい、理想的な伴侶であった。

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