2014年08月08日 (金) | Edit |
(注意)ネタばれ、史実ばれに配慮していません。








◆第9話の見所。

顔芸王座に挑戦者現る!
その名はエリザベス・ウッドヴィル!!
現・顔芸王者、マーガレット王妃の防衛なるか!?(違)


「顔を歪める」「瞳孔を開く」等、多彩な技の持ち主、現王者、マーガレット王妃に対抗して、新人エリザベス・ウッドヴィルは、「誘惑」をテーマとした一芸を極めていく抱負です。


冗談はさておき、その場で体を許しましたか、エリザベス・ウッドヴィル。
権力の座にあり、かつ、肉体関係に逸る男の結婚の約束ほど当てにならないものはないので、「体を許すのは結婚してから」と、拒むかと思ってましたが、

エド兄さんが一物だかテクだか、あるいは両方に自信満々だったのと同様(「私と寝た後、私を愛さずにはいられるか」)、エリザベス・ウッドヴィルも体の関係に持ち込めば虜にできると目算できるくらい、自信があったんでしょうかねえ。

言葉づかいが下品になっててごめんなさい。
このエピのエド兄さんには、好意を持てなくて。
相手の弱み(領地の返還)につけこんで、肉体関係を要求する。
拒まれたら結婚を申し出る。
卑怯なうえに、いきあたりばったり。
最低じゃないか。

エド兄さんてば、王様なのに、肉体関係を拒めば結婚してくれるんだよ、チョロイね!
でも下半身に引きずられているから、重婚はイケナイって事に頭が働かないんだよ、バカだね!!

ただし、作中での流れ(描き方)は美しかったです。
元エピソードの肉体関係を拒否されたから結婚を持ち出す浅ましさが嫌いなのですが、特に改変しているわけでもないのに、浅ましさが皆無でした。

◆リチャードは「恋とはここまで人を見えなくするものか」と静かな苛立ちを抱いてましたが、エド兄さんを突き動かしてるのは「恋」じゃなくて、「下半身」だと思う。

◆むなぢを露わにしてもいないのに、格段に巨乳でもないのに、衣服の上から感じられるエリザベス・ウッドヴィルの乳房の描き方がえろい。
手づかみでもみしだきたくなる、えろさがある。




↑TLに流れたTWなのですが、添付写真のラブドールを見た時、「薔薇王」版のエリザベス・ウッドヴィルに似ていると思いました。

本作のエリザベス・ウッドヴィルは、ロリ顔・色気のある乳房・艶めく唇と、「無知で幼稚で愛らしいのに性的には成熟している女」、いわば、男のロマン系の外見で描かれていると思います(第8話感想)。
であれば、同じような目的で作られたラブドールと本作のエリザベス・ウッドヴィルが似ているのも不思議ではないです。

それにしてもこのお人形さんを見てしまうと、本作のエリザベス・ウッドヴィルの、とらえどころのない透明なまなざしが人形の目のように見えてきます。

◆お手掛け、お手掛け、お手掛け・・・。
そうか、エリザベス・ウッドヴィルは関西出身だったんだよ(違)!

なぜ「愛人」でなくて「お手掛け」。
なぜ「妾」でなくて「お手掛け」。
なぜひらがなで「おてかけ」でなくて、漢字混じりで「お手掛け」。

「お手掛け」なんて単語、久々に見ました。
漢字混じりでは、ほぼ初めてかも。たいてい「おてかけ」「てかけ」「てかけさん」等ひらがなで目にした記憶しかないので。

元は「妾」だけど、自粛単語なので使えない。かといって「愛人」を使いたくなくて「おてかけ」にしたら、身体障害の状態である「手が欠ける」の意味に誤解される可能性があるので、漢字混じりの「お手掛け」に落ち着いたとか?

しかし、「妾」って単語は、「心身の障害を表す昔の単語」(お察しください)程には、自粛の対象になってないように思えます。今思い出すだけでも、以下の作品で「妾」の単語が用いられています。
全てコミックスのみで確認。雑誌掲載時は知りません。敬称は略しました。

かやまゆみ「1865年のプリティシスターズ 近藤勇の略奪愛」
TONO「カルバニア物語」
滝口琳々「江東の暁」
長池とも子「草原新娘」
長池とも子「私奔」

後者三作品は、P誌系じゃないの。
しかも長池作品はそれぞれ2011年、2013年と最近です。

「愛人」が一番無難なとこだと思うにつけても、「妾」も絶対自粛単語ではなさそうに思えるにつけても、今じゃめったに目にしない「お手掛け」を用いられた理由が気になります。

◆「お手掛け」に気をとられたけれど、該当場面のセリフ、一般に知られているのとは異なる言い回しになってます。

一般的には、「私は王妃になるには身分が低すぎますが、愛人になるには誇りが高すぎます」。
「王妃」と「愛人」、「低い」と「高い」が対称になる言い回しになってます。

本作では「私はお妃になるには卑しい身分ですが、お手掛けになる程、浅ましい身分ではございません」。

「お妃」と「お手掛け」は、後者が今ではあまり用いられない単語とはいえ、対称になってますが、「賤しい身分」と「浅ましい身分」・・・。対称になってますか?

「誇りが高すぎます」が肯定の言い方であるのに、「浅ましい身分ではございません」が否定の言い方なので、「賤しい」と「浅ましい」が同類語になってしまいました。

対称の妙が印象に残るセリフだと思うのに、なぜこう改変なさったのでしょう。

英語原文は次の通りです。
I know I am too mean to be your queen,
And yet too good to be your concubine.

「high」「low」ではないですが、「mean」「good」で対称になっています。

作者さんはドS(失礼いたしました・・・)。

ジョン・グレイだけでは足りず、リチャードにアンソニー・ウッドヴィルとの因縁まで追加なさいますか。
まだ死んでないはずですが、エリザベス・ウッドヴィルが夫の死によって、復讐の女神に変貌したように、アンソニーも危害を加えられたことによって、怨みの徒に化けるのかしら。

欄外の人物紹介では「常識人のようだが・・・」と記されています。
「常識人のようだが、姉のエリザベス・ウッドヴィル同様壊れる予定」と続くのでしょうか!?

◆仔猫のように愛らしいと思ってたのに、イザベルちゃんは困ったちゃんだった(泣)。
いや、愛らしさと困ったちゃんぶりは両立するんだけど。

本作のジョージ兄さんがシェイクスピア準拠で「いい人」になってる分、史実版ジョージの軽率さ、虚栄心の強さ、無鉄砲さを、イザベルちゃんが担うのかなと思いました。

一話の中で、同じ「王妃になりたい」野心を抱く女が登場しました。
エリザベス・ウッドヴィルは復讐の為に。
イザベル・ネヴィルは虚栄心ゆえに。
後者がかなり貫録負けしてますw。

こうなるとまずますアン・ネヴィルのふつーっぽさが希少になってくるなー。

◆今のとこ捕まらずに無事に一人旅のヘンリーさん。
旅費代わりに宝飾品を持参しているみたいだけど、通過した道々で無造作に渡してたのかしら。よく盗人に身ぐるみはがされずにすんだものだわ。

ていうか、馬がいない。馬が。
どうなった、馬はどうなった。次から選べ。

(1) 逃げられた。
(2) 盗まれた。
(3) 旅費ねん出の為に売った。
(4) しばらく徒歩の旅を楽しむために、他人に預けている。

ご飯は食べてますか?
ちゃんと睡眠を摂ってますか?
あの宝飾品で食糧や寝床を確保してるんだと考えるとこですが、この方、浮世離れしてるので、食べなくても、眠らなくても、生きていけるように思えるわ。

あの指輪は、追手の手掛かりになるのでしょうか。

◆夫の逃亡を知って本調子を取り戻したマーガレット王妃。
しかし、シリアスなはずなのに、怒りに燃えるマーガレット王妃の場面はどこか可笑しみがありました。
シリアスの皮をかぶったギャグとして描いておられるのかと思うくらいに。
芝居がかったセリフ回し、怯える従者二人のこっけいさ、セリフのフォントを変えてるあたりも、可笑しみを狙っているように思います。

◆今話にて、またまたエドワード王太子不義の子疑惑が話題になりました。
この流れで、「冗談です」とのセリフはかなり危ういです。

マーガレット王妃は何を「冗談です」と否定したのか?

「冗談です」が指すセリフ、「そうだったらどんなによかったか」には次の二つの意味があります。
(1) エドワード王太子が、夫のヘンリー六世の子である事を肯定している。
(2) エドワード王太子の父が、夫のヘンリー六世である事を残念に思っている。

「冗談です」と言う事で、
(1)を否定したのか?
(2)を否定したのか?

「不貞」「不義の子」という、失脚につながりかねない件を軽々しく認めるとは思えないので、(2)を否定したのだと解釈しておきます。

すなわち、「エドワード王太子の父が、夫のヘンリー六世である事を残念に思っているなんて冗談だから本気にするなよ」。

と言う事で、わたしにとっては、今のとこ、エドワード王太子の実父はヘンリーさんです。

◆エドワード王太子再登場。
やや陰気な翳りを持つ子になっちゃいました。
以前は、母譲りのドSと言われつつ、とにかく「明」の雰囲気を纏う子だったのに。

この子に屈託を抱かせたのは、リチャードの乳房ではなく、「父」のヘンリー六世だった。

今話で、エドワード王太子は「父」を否定していたけれど、それは、ヘンリー六世を「父」と認めていればこそだと思いました。
不義の噂を知ってさえ、この子にとって「父」はヘンリー六世なのだと。
信頼する父であるからこそ、自分を見捨てた父を許せないでいる。
愛する父であるからこそ、見捨てられたことに傷ついている。

「愛の反対は憎悪ではない。無関心である」

今話でエドワード王太子がヘンリー六世に向けている憎悪は、「父」への強い愛ゆえであるように読めます。悲劇です。

そして、さらに悲劇的なのは、ヘンリー六世がエドワード王太子に向ける気持ちが「無関心」である事です(推測)(以下、推測だらけ)。

エドワード王太子は、愛する事も出来れば、憎む事も出来る、この世の人間だから、「本当の子じゃないから捨てられた。廃嫡された」と考えています。
ヘンリー六世のように、自分の世界だけで生きている、他者に無関心でいられる心情を理解できないのでしょう。

「実の子でない」からと、エドワード王太子を捨てるのであれば、それは「憎悪」ゆえです。
しかし、ヘンリー六世は「実の子でない」から、廃嫡したのではありません。
ヘンリー六世にとっては、エドワード王太子が、「実の子であろうが、実の子でなかろうがどうでもいい存在」なのですから。

自分が「父」にとって、「憎悪」の対象ですらない、どうでもいい存在であったと悟った時、エドワード王太子はどうなるのでしょう。

◆エドワード王太子が父を回想する場面。「あの時確かに俺を捨てた」
母との会話での一人称は「私」

なんらかの意図のある一人称の使い分けでしょうか。

「父上」と呼んでいたのが、「あの人」「あの方」になってる心情はわかるんですが。

◆ここで仮説、もとい妄説をひとつ。

エドワード王太子がリチャードの乳房ではなく、「父」のヘンリー六世の方に関心を向けている理由。

それは、彼がもうヴァージンじゃないからだよ!(な、なんだってーーー)
多分、第一部と第二部の間の三年(経過年月は推定)にすませちゃったんだよ(笑)。
本物の女体を知ったから、もう陰気で棒切れみたいな体の微乳持ちには関心なくなっちゃんだよwww。

・・・たわ言です。

◆リチャード、ヘンリー六世に続いて、エドワード王太子も「親に捨てられた子」になりました。
前者二人は母に、後者一名は父にという違いはありますが。

◆リチャードにとっての性愛とは何かとか、亡き友相手に死亡フラグを立ててるキング・メーカーとか、言及したいエピがあるのですが、考えがまとまらないので、ここまで。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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