2014年09月17日 (水) | Edit |
(注意)ネタばれ、史実ばれに配慮していません。

季刊プリンスを見るたびに、「プリンス」の語源は「プリンケプス」、「プリンケプス」と言えばアウグストゥスさま、と、連想してます。
あの人は王子様キャラじゃないけどね。






「誇り高き白薔薇」
著者:ジョアンナ・メイクピース
訳者:横山あつ子

ばら戦争を背景にしたヒストリカル・ハーレ。
主人公である(違)8歳のチビ・リチャの可愛らしさ、賢さ、健気さに尽きる。アン・ネヴィルと出会う、幼馴染のなれそめエンドもグッドw

◆第10話の見所。

カラー表紙絵の、ポンパドゥール・ピンクで彩られたヘンリーさん。

背景に小さい小さいお城のシルエットが見えたので、ディズニーランドのエレクトリカル・パレード(見たことないけど)に登場する王子さまみたいに見えました(笑)。

第8話以降、リチャード以外が扉絵にきています。
第8話 扉絵無し。話の流れで、タイトルページは故パパさんの肖像画。
第9話 カラーのエド兄さん。
第10話 カラーのヘンリー六世。

お遊び四択。今後、扉絵に登場する人物は誰か?
本命 エドワード王太子(少女まんがだもんね)
対抗 アン・ネヴィル(少女まんがだもんね)
大穴 マーガレット王妃(好き、好き、好きw ぜひ顔芸を披露してw)
大ボケ 酒樽を抱えて管を巻いてるジョージ兄さんor白猪

まずありえんけど、シセリィお母さま、マーガレット王妃、エリザベス・ウッドヴィルの三人がそろい踏みとなれば、壮観でしょうねえ。
顔芸トリオ、じゃなくて(シセリィお母さまは顔芸王者の座に参戦していない)、さながら「復讐の女神」たち。

◆なんとなく、「嵐の前の静けさ」とでも言うのか、登場人物が気付かない地雷が、読者の前に次々と指し示されている感じがします。いつ、どこで爆発するのかはわからないけれど。

地雷1.エリザベス・ウッドヴィルと愛を交わすエド兄さん

一番わかり易い地雷です。
しかもひとつ爆発したからもう安心ではなく、月日を空けて、爆発の記憶を忘れて安寧に暮らす人々が知らずに再び踏んでしまう埋め方をされた、タチの悪い地雷です。
ウォリック伯一人の失脚にとどまらず、エドワード王太子の運命にも飛び火し、さらにはボズワースへと続く、ヨーク王朝を滅亡へと導く地雷でもあります。

彼女がエドワードの妻となった時、ノーザンプトンシャーでの荒野でのあのつつましく、ささやかな結婚式の中にボズワースがすでに暗示されていた。
(ジョセフィン・ティ「時の娘」16)



本編には関係ないんだけど、エド兄さんが話している「運命には逆らえない」寓話に似た話、「今昔物語」でも読んだ気がする。

地雷2.性的トラウマを抱えたヘンリー六世

いや、その、「1巻(その1)」の感想で、

超敬虔なヘンリー六世は結婚後も性関係を拒んでいた。しかし、「世継ぎを作らなければならないのですっ」と、鬼の形相のマーガレット王妃に押し倒されて、出来た子がエドワード。
その事がトラウマになって、ますます女性を忌み嫌うようになったヘンリー六世、とのネタが浮かびました。



と、書きましたよ。
でも、「ネタ」とも記した通り、ありえんやろと思ってたのよ。
夫婦間の強姦で、妻が加害者になることはありえんやろではなく、浮世離れしてて、国王らしからぬヘンリーさんだって、世継ぎ作りの義務はちゃんと果たしたと思ってたのよ。

とはいえ、あの三コマだけでは状況がわからないです。
一度きりなのか、二度、三度と繰り返されたのか。
また、マーガレット王妃が「子を仕込む為」に行ったのか、それとも、「ヘンリー六世を、仕込んだ子の『父』にする為」なのか。
前者であれば、「超敬虔なヘンリー六世は結婚後も性関係を拒んでいた」のか?
後者であれば、エカテリーナ二世とか、後深草二条とかも同様の謀を巡らしています。
わたしは、エドワード王太子の為にも、この子の「父」はヘンリーさんであって欲しいですが。

この件が地雷だと思うのは、ヘンリー六世にとって、女性、すなわち女体は忌み嫌う対象になってるのでは、と推測できるからです。

同じく「1巻(その1)」の感想で書きました。

エドワード王太子にとってリチャードは「女」ですが、ヘンリー六世にとっては「男」です。
これまた唐突な思いつきなのですが、ヘンリー六世、リチャードが「男」だから心許してるんじゃないでしょうか。
(中略)
細っこくて、まだ性的に成熟していない外見の「男」だから、好意を寄せることが出来てるんじゃないかとも思います。



であれば、女体へのトラウマを抱えた(推測)ヘンリー六世がリチャードの秘密を知ったら・・・?

ヘンリー六世、リチャードを置いて雨の中去ってしましましたが、まさか、寝てる間にリチャードの乳房のふくらみに触れて、驚愕して去っていったんじゃないでしょうね。
さらしを巻いていたから大丈夫だとは思うけど。

地雷3.せまりくるエドワード王太子

ヘンリー六世に会っても、リチャードに会っても、地雷が爆発しそう。いや、ヘンリー六世に会った場合の方があやういか。

ヘンリー六世は、リチャードのことを「リチャードと言う名の少年」としか知りません。
一方、エドワード王太子はリチャードが「故ヨーク公爵の『息子』であり、現王エドワードの『弟』であり、実は『女』」だと認識しています。

この10話でエドワード王太子は、ヘンリー六世が「リチャードって奴を捜してる」ことを知っちゃっいました。
西洋は同名異人が多いから、即「ヘンリー六世が捜しているリチャード=故ヨーク公爵の『息子』のリチャード」と結びつかないかもしれませんが、エドワード王太子が、ヘンリー六世に、「あんたの『友だち』のリチャードは『女』なんだ!あんたが大嫌いな『女』なんだ!!」と暴露する可能性もでてきたわけです。

ところで引きの場面、王弟「リチャード」の名を聞いて頬を赤らめたエドワード王太子は、もしかして、まだヴァージン(推測)ですか(笑)?(第9話感想)

◆エドワード王太子の立場から見れば、リチャードは「気にかかる女の子」であり、ヘンリー六世は「愛する父」です。あいつなんてもう父じゃないと否定していますが、これは、「父」と認めているからこその否定だと思いますので(第9話感想)

色合いは異なっても、エドワード王太子にとって好意の対象である二人が既に知り合いであり、しかもエドワード王太子そっちのけで想い合っている。

エドワード王太子にとって「気にかかる女の子」の好意を、すでにヘンリー六世が得ていて、エドワード王太子にとっての「父」からの愛情を、リチャードが得ている。

しかも、二人とも、エドワード王太子に対しては「無関心」なんですよね。
相手に関心を持てばこそ抱く「憎しみ」よりもひどい「無関心」。

リチャードは、エドワード王太子を、一応「敵」と認識してただろうけど、ヨーク派が勝利を収め、エド兄さんが国王として君臨する今は、彼は「過去の人間」であり、ほぼ無関心状態では。
ヘンリー六世にとってはいわずもがな。

不憫だ。
どっちにころんでも不憫な子だ、エドワード王太子・・・。

◆ヘンリー六世にとって「友だち」って何だろう?

一緒に過ごした二晩目、ヘンリー六世、リチャードの唇に接吻しようとしてましたよね?
あわやという所で、フラッシュバックが起こり、とどまりましたが。

それまでもスキンシップが多い人でしたが、「べたべたするのが好きな子ども」なのかなーと思って読んでました。
あの行為は一体?女には欲情しないけれど、男には欲情するってこと?
あるいは、唇への接吻も、この人にとっては欲情の発露ではなくて、子が母に甘えるような、ただ自分を愛してくれる人の愛情を確かめる行為なんでしょうか。

あのせっぱつまったかのようなヘンリー六世の表情は、どっちなんだろう。
高揚する欲情か、絶対に自分を愛してくれる存在に身をゆだねたい想いの発露か。

非キリスト教圏読者対象の物語だから、厳密に考えなくてもいいけど、キリスト教徒にとって「同性愛」は「悪」です。
てことは、敬虔なヘンリー六世が、男に欲情はあり得ない、・・・か?

ところで、ヘンリー六世が「敬虔なキリスト教徒」であることを脇に置いても、あの時、欲情に突き動かされたのであれば、「いけないっ」と思いとどまったのは、マーガレット王妃に襲われた被害の記憶、それに伴う感情の蘇りだけではなく、自身の中に生じた「性的欲求」に恐れをなした、とも解釈できます。
自身が欲情を抱くと言うことは、すなわち、マーガレット王妃と同じ行為に及ぶ=自身も加害者の立場になるわけですから。

◆頭の中にある言いたいことがうまく表現できないんだけど、襲われているヘンリー六世の表情、「もし何らかの性被害の経験のある読者が見たらフラバを起こすんじゃないか?」との考えが頭によぎったくらい、痛ましかったです。
「何らかの」と書いたのは、強姦以外の性被害も含めてという意味です。
(実際性被害経験者がどう思うかはわからないんですが。わたしのこの一文が、被害者の心中を踏みにじるものでありませんように)

今までも、強姦場面のあるまんがを読んだことはあります。それに、残グリ系まんがだって読んでますから、これ以上に酷い描写を目にしたこともあります。けれど、今話のヘンリー六世の悲痛な表情は・・・。
なんで今回に限り、先のような考えが浮かんだのかはわかりません。

世間的には「加害者」と想定されている男性が「被害者」になってるから、すなわち「女が強姦されるのはありふれているけれど、男なのに強姦されたなんて可哀そう」と、憐みを刺激されのではないと思います。

なんでかな。
わかんないので、いちおう、自分で文章化できることだけ書いときます。

◆何度か「リチャードって実は女じゃないの?」と疑念を提示してきたのですが、リチャードさんはやはり両性偶有・・・?
現実の両性偶有がどんな状態かは脇に置いて、作中で今まで開示されてきた情報から推し量るに、リチャードは男性の生殖器と女性の生殖器を併せ持ってる?

「身体の奥は埋められない」って、あれですか、伊邪那美命がおっしゃるところの「吾が身は成り成りて、成り合はざる処、一処あり」を指してるのですか。
そして、一方で「男の証」も持っていると。

表紙の煽りでも、登場人物紹介でも「両性偶有」と明記されていながら、わたしがそれを受け入れがたかったのは、「15世紀の医学で、新生児の両性具有がわかるのか?」という疑問があるからです。
とはいえ、ここまで「両性偶有」である情報を開示されて、なお否定するってのもなあ。

ここでいつもの思いつき。

赤ちゃんリチャードが忌み嫌われた理由と両性偶有を結び付けない。
すなわち、赤ちゃんリチャードが忌み嫌われた理由は両性偶有ではない。

誕生時は男性性器があったため、男と認識された。そして「醜い」という理由で母に憎まれた。
長じて、二次性徴期、乳房のふくらみと初潮を迎え、男ではない、かといって女でもない異形の存在として、ますます母から忌み嫌われることとなった。

「醜い」ってのは、容貌が劣るってことじゃなくて、えっと、リチャードって、あの家族の中で唯一人、黒髪、もとい、ベタ頭です。
父も母も兄二人、そろってベタなし頭なのに。

これまた、「1巻(その1)」の感想で書いてたことなんだけど、

「不義の子」ネタを用いて、リチャードの父がヨーク公でなく、シセリィお母さまが、暴漢に襲われて妊娠した子であるとすれば、お母さまがリチャードに抱く嫌悪と、一方で「この子を産んだわたしの責任」を痛感するのも筋が通る!?
パパさんは、妻に非はない、子にも非はないと寛大な気持ちで受け入れたという展開で・・・、といっても、これじゃあ、お母さまが忌み嫌う「身体の秘密」は説明できないですね、はい、たわごとです。



当時は、「身体の秘密」は説明できないと思ったけど、「両性偶有」を誕生時から切り離せば、一応つじつまが合うんじゃないかしら。

並外れた苦しみを味わった挙句に産み落とした我が子に夫の面影がなく、自分を襲った暴漢のそれを宿していたとしたら・・・?
「醜い」と感じ、憎んでしまうのでは。

幼い頃のジョージ兄さんも、あの家族のなかで唯一人ソバカス顔であるという点では、リチャードと同様はみ出し者だとのつっこみはなしでw

◆リチャードの性別認識って、やはり「男」でいいのかな、と。
ヘンリー六世の裸の上半身を見ても、恥じらいはなく、冷静に観察してましたから。

◆ヘンリー六世から「その子を愛した人はいなかった?」と、問われて、リチャードは「(前略)その子供が悪魔だと知れば離れていく」と答えていたけれど、パパさんとケイツビーくんは、「身体の秘密」を知ったうえで、リチャードを受け入れてくれたじゃないですか。
なぜカウントしない。

そして、リチャードの返答で気になるんですが、「悪魔だと知れば離れていく」とは予測ですか?それとも実経験ですか?
「どうせ俺の体の秘密を知ったら離れていくんだ」との悲しい予測ではなく、過去に誰かにカミングアウトして、離れていかれた経験を踏まえた言ですか?

◆「俺だって、愛していないのに」とのモノローグの場面で思ったこと。
第10話は、「1巻(その1)」の感想のコピペばっかりなんですが、手抜きじゃないです。思う事が同様に繰り返されてくるからです。

差し伸べられた手を拒絶するのは、自分に自信がないから。
(中略)
たぶん、怖いのだと思います。

自分に自信がない。
自分を愛していない。
自己評価が著しく低いから、「今、好意を寄せてくれていても、本当の自分を知ったら、嫌われてしまう。がっかりして離れていってしまう」との恐怖がある。
だから、去られてしまう前に、自分から拒絶してしまう。
(後略)



自分で自分のことを否定して生きていくってのは辛いことです。
「自分が自分を嫌っていてどうするの!まず、自分で自分を愛しなさい!!」との言は正論ですが、正論を実行できればリチャードだって苦悩しない。

「己を受容する」
これが第一歩なんだけど、他人が手助けできることじゃないから、本人がどうにかしなければならないことだから、今自分が感じている思いをどう書いていいかわかりません。

書こうとすると、「正論」にしかならないんだよなあ。
こういう場合に、「正論」をかけられる腹立たしさも苛立ちも知ってるので、なおさら何も言えんわ。

◆わたしは、「煽り文句では『両性偶有』って書いてあるけど、実は『女』じゃない?」とか、「シセリィお母さまが暴漢に襲われて出来た子じゃない?」等、いろいろ当て推量していますが、この物語の眼目は「リチャードの身体の謎解き」じゃない。

「何らかのハンディキャップを負ったが為に、己を否定せずにはおられなかった人間が、己を受容できるようになる」という普遍的なテーマであるのかもしれません。

いや、リチャードが「『悪魔の子』と呼ばれるハンディを負った自分を受容できる」か否かはわかりません。
ただ、このままずっと、自分を否定したまま生きて、そして死ぬというのもなあ・・・。
なんらかの「救い」があることを願います。


↑発売前に流れた書影を見て、タイトル「薔薇王の葬列」がワープロで見かける字体のように見えたのですが、これはサンプル状態であって実物は違うのかなと考えていたら、実物もそうでした。
背表紙の字体は1巻と同じく、通常の飾り文字なのですが。
失って知る有難味と言うか、表紙も通常の飾り文字字体の方が好きです。
なんか、このワープロで見かける字体っぽい感じがね・・・。

◆1巻のような描き足し頁はなし。ちょこちょこセリフが変更されていました。

結局、第6話の「陛下ぐらいの?」は、あのままで正しかったもよう(第5話・第6話他感想)

わたしは次のような会話の流れが正しいのかと考えたのですが。
エ=エドワード王太子
傭=傭兵さん

エ「俺くらいの少年を見かけなかったか?」(1)
傭「殿下ぐらいの?」(2)
エ「そうだ。俺くらいの年で、黒髪で」(3)

(2)が「陛下ぐらいの?」で正しいとすれば、(1)はどんなセリフだったんでしょう。
ランカスター陣営が「陛下」と呼ぶのは、ヘンリー六世とマーガレット王妃、お二人なんですが、さて。

◆今更ですが、ジャンヌ・ダルクの「亡霊」が現れているのに、なぜリチャードは驚かない(笑)。(イギリス人は幽霊大好きってかw)
読者の前には第1話、推定史実年齢8歳時(作中の年齢設定は不明)のリチャードの前に現れていますが、あれが最初だったのか、その前から出現していたのか。

第1話って、まだ「謎」が残されています。
シセリィお母さまはなぜ、幼いリチャードを森に置き去りにしたのか。
あれ、「母に見捨てられた」ことのイメージ画像だと思ってたけど、どうやら実際にあったことらしい?

パパさんはなぜ、そのことを察しながらも不問にしたのか。
シセリィお母さまによる「森の奥には魔女がいる」「『男装の罪』で処刑されたジャンヌ・ダルク」とのセリフには何を意味しているのか。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

続きが気になりますが、10話ってとこで、キリがいいので、いったん雑誌購入はやめます。
次回は、「薔薇王の葬列」3巻の感想でお会いしましょう。

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