2014年10月08日 (水) | Edit |

歴史小説は(中略)作品全体にその作家の価値観が投影されるため、共感できればいいが、少しでも違和感があると読むに耐えない。ことに自分が好きで詳しく調べた分野が、妙な脚色でとんでもないことになっていたら、書店でその小説をみかけるだけでストレス指数が上がる。
青池保子「『エロイカより愛をこめて』の創りかた」第13章)



タイトルに用いた「面の皮が厚い」は良いニュアンスがない言い回しなのですが、作家さんたちを貶めたくて用いているのではありません。
ただ、「ストレス指数が上がる」歴史ものに何度か出くわした経験から得た結論です。
「作家は面の皮が厚くなければ創作なんてできないんだなぁ・・・」。

たとえば、川原正敏さんの「修羅の刻」義経編。
頼朝好き、政子好き、鎌倉幕府好きには、ストレス指数が上がる作品です。

元々主人公サイドは神々しいほどに正義にして善、敵側は腐りきった下種として人物造形をする作者さんなので、義経編でも敵側である頼朝と政子はクズです。鬼畜です。ロクデナシです。
対して義経は背後から後光が射してくるようです。眩しすぎてご尊顔を拝めません。

開いた口がふさがらないほどにあきれた、もとい、すごいと感嘆したのは、鶴岡八幡宮の奉納舞における政子の寛恕を、静の手柄に帰せしめたウルトラC級の演出です。

文治2年(1186年)、義経の愛妾の静御前が捕らえられ、鎌倉へ送られた。(中略)静は鶴岡八幡宮で白拍子の舞いを披露し、頼朝の目の前で(中略)義経を慕う歌を詠った。これに頼朝は激怒するが、政子は流人であった頼朝との辛い馴れ初めと挙兵のときの不安の日々を語り「私のあの時の愁いは今の静の心と同じです。義経の多年の愛を忘れて、恋慕しなければ貞女ではありません」ととりなした。政子のこの言葉に頼朝は怒りを鎮めて静に褒美を与えた。
Wiki「北条政子」より引用)



出典の「吾妻鏡」の記述も確認しました。Wikiの説明は間違っていません。
普通に読めば、気の強い猛妻のイメージが定着している政子が、情の深い優しい一面を有していると理解できるエピソードです。
これを作者さんは、静を讃え、政子を鬼ババに見せる演出で描写しました。

「修羅の刻」義経記編においては、奉納舞を控え、静の身を案じる周囲の人々に彼女は落ち着いて答えます。
政子様がお守り下さると。
この作品世界の政子は鬼のように冷酷な女ですから、寛大さなど期待できるはすもないのに何故と、はらはらする周囲に静は説き明かします。
政子さまは一夫一婦の貞節を主張されている、だから、夫義経を恋い慕う舞を捧げたわたし(静)を決して処罰できるまい、と。
かくして、政子は己の武器(一夫一婦の主張)でもってやり込められ、内に瞋恚の炎を燃やしながらも、静に赦免を与えざるを得なくなったのでした。

わたしは、北条政子贔屓です。
正直に言えば、「修羅の刻」の該当のくだりは不愉快ですが、この展開について「間違いだ!もっと歴史上の人物に敬意を払って!!」などとは思いません。
「作家は面の皮が厚くなければ生きていけない(その1)」(リンクは末尾)で書いた通り、歴史創作は作者が自由にやっていいと思いますから。
(なお、「感想は読者のもの」との言に従えば、「このくだりは不愉快である」が、わたしの感想です。)

そして、作家って、「史実」だの「実在人物への敬意」だの、一部の読者の言い分を思いやってちゃ、やっていけない仕事だと思ってますから。

作家にとって大事なのは「史実の再現」ではなく、「自分の創作」であり「多くの読者を魅了する作品」なのです。
そのためなら、史実だって踏みにじるし、実在人物だって必要があればとことん貶める。

なお、「史実」と言うなら作者さんは鶴岡八幡宮における奉納舞から政子の寛恕までの「史実」を歪めていません。たんに、解釈がウルトラC級に静贔屓、政子こきおろしとなっているだけで。

「修羅の刻」義経編は、わたしにとってストレスフルな作品でしたが、「歴史創作とはこういうもの」と認識させてくれる一品でした。

追記.
書きながら思い出したのですが、塩野さんの「ティベリウスがリウィアの葬儀を欠席した動機付け」も、ウルトラC級の解釈でございました・・・。
塩野さん、ティベリウスがお好きなんでしょうね。
だから、母に対して無慈悲な息子であるとしたくはなかったのでしょう。
さらに、息子に夢中な母ばかっぷりが著作の随所からこぼれでる塩野さんにとって、「母の死を悼まない息子」の存在を認めることはできなかったのかもしれません。

関連前エントリ:【作家は面の皮が厚くなければ生きていけない(その1)】
関連後エントリ:【作家は面の皮が厚くなければ生きていけない(その3)】

本エントリはその3へと続きます。
今回とは逆に、「美化する創作」としての北条政子を採りあげています。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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コメント
この記事へのコメント
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どもども。確かに塩野さんの「ティベリウスがリウィアの葬儀を欠席した動機付けは、ウルトラC級の解釈でしたね。どこかの対談インタビューで塩野さんは言っておりましたが、ローマ人の物語を書いているときは、時の皇帝に対して、ある種の愛情を抱いているようなものだと言ってました。

モムゼンをベースにしたティベリウスの解釈は、ひょっとしたらそういった部分もあるのかもしれませんね。後は、しきりに多神教で寛容な国家という言葉が多用されていますので、キリスト教圏に支配された、曲解した陰謀説「このクラ」のリウィア様などは、参照するに値しないと一蹴したのかもしれませんね。

2014/10/09(Thu) 12:49 | URL  | Josh #r13xZNus[ 編集]
こんばんは。
>Joshさま

わたしはリウィアさま贔屓で、ティベも好きですが、あの解釈には唖然としましたw
ああいう依怙贔屓を堂々と披露できてしまう原動力は、「皇帝に対して、ある種の愛情を抱いている」からこそなんでしょうねえ。こういう強さがなければ、執筆なんてできないのかも。

塩野さんのキリスト教嫌いは著作のはしばしからうかがえて、あまりにもローマの多神教と寛容さを理想化しすぎ!と思いますが、キリスト教価値感の浸透を考えると、思いっきり拒否に走るのも、一種のバランスがとれてるのかもと思います。
2014/10/09(Thu) 20:59 | URL  | サラ #ndrEhoxc[ 編集]
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