2014年10月18日 (土) | Edit |

ミソジニー
女性や女らしさに対する蔑視や偏見、憎しみを指す語である。
(中略)ミソジニーの傾向がある男性をミソジニストと呼ぶ。
(日本語Wiki「ミソジニー」項目より引用)



「変態侯爵の理想の奥様」(秋野真珠著)の感想を書いてて気が付きました。
女性読者を対象とし、女性たちを虜にする夢の世界に誘わなければならないロマンスもののヒーローの中に、ミソジニスト型が存在することに。

◆この項目は、「変態侯爵の理想の奥様」の感想エントリの一部と重複してます。

忘れてた読書記憶を思い出しまして、以前、ハーレのヒストリカル・ホット・ロマンスものを三冊ほど読んだことがあります。

なんで忘れてたと言うと、非常に不快な作りであったから。
なんで不快であったかと言うと、わたし目線では、ヒーローが非常にモラルの低い人物造形であったから。

このてのロマンスのお約束として、ヒロインがヴァージンで、ヒーローが経験済みの精力絶倫テクニシャンなのはまあ仕方ない。
しかし、選んだ本が悪かったのか、揃いも揃って、「性欲処理の為」の愛人を抱えたヒーローばかりでした。
作中であからさまに「性欲処理用」と記述されてはいませんでしたが、扱いがまさにそれ。
その愛人たち(女中だったり、娼婦だったり、奔放な未亡人だったり)を捨てて、ヒロインにぞっこんになる展開だったんですけどね。

ヒロインを超いい気持ちにさせるテクは性欲処理用の愛人で磨いたもの、という合理的な説明なんでしょう。
そして、当て馬女とは別格のヒロインの素晴らしさ(性欲処理用女の対比だから、たぶん「純潔」「貞節」)を強調する意味合いもあるのでしょう。
けれど、わたしはこういう設定が大嫌いです。

ヒロインに本気でぞっこんだからいいじゃないかとは思いません。
女に「性欲処理用」とのレッテル貼り、その女を足下に踏みつけにして、ヒロインに「本気の愛」とやらを囁くヒーロー及び、それをうっとり受け入れるヒロインなど、二人そろってコキュートスで氷漬けになっちまえ!

ヒロインを苛めるライバル女が登場するのはよろしいでしょう。
ヒーローがヒロインの為に、ライバル女をこてんぱんにするのもよろしいでしょう。
けれど、「性欲処理に使ってよい女がいる」、そんな考え方を肯定する物語なんて軽蔑します。

これら、ヒロインに出会うまでは、性欲処理用愛人を抱えていたヒーローたちによる「女は蔑ろにしてもいい存在である。そして、どうでもいい存在である女たちに『性欲処理用』のレッテルを貼り、使用する」という考え方、ネットで見かけるミソジニー男性による「女性蔑視であると同時に女とやりたい欲望で満々」思考にそっくりです。

ゆえに、わたしはこのてのヒーローを「ミソジニー型ロマンス・ヒーロー」と命名しました。

上野千鶴子は、ミソジニーの男性には女好きが多いと指摘している。上野によれば、女性をセックスの対象としてしか見なさない男性は、「女好き」でありながら「女性嫌悪」ないし「女性憎悪」の思想を有しているとみられるが、ここにおける「女好き」と「女嫌い」は矛盾しない。むしろ、女性蔑視という同じ根から現れたコインの表裏である。なお、奥本大三郎は、小説家の吉行淳之介を「まぎれもなく女性嫌悪思想の系譜に連なる作家である」と指摘しており、また、「女性嫌悪思想の持ち主というのは、どうしても女に無関心でいられない」のが「弱点」であるとも記している。
(日本語Wiki「ミソジニー」項目より引用)



女中だから性欲処理に使ってOK?
娼婦だから性欲処理に使ってOK?
奔放な未亡人だから性欲処理に使ってOK?
断固としてNOです。
誰であれ、どんな女に対してであれ、「性欲処理の為に使っていい女」とレッテルを貼る権利はありません。
「性欲処理の為に女を使う」、そんなモラルの低いヒーローは軽蔑します。
そんなヒーローを受け入れるヒロインも軽蔑します。

そんなヒロイン&ヒーローを受け入れる読者も(自粛)。
くだんのヒストリカル・ホット・ロマンス、本国では人気作家の人気作品で、同系列作品の邦訳も続々入ってきてるらしく、彼我を問わず、「性欲処理用当て馬女を捨てて、ヒーローがヒロインにぞっこんになる」展開を歓迎する女性読者も多くいるということなんですかねえ・・・。

「わたしは『そんな女』と違うから大丈夫w」ってか?
「性欲処理用女」のレッテル貼りなんてのは、全く勝手気ままに行われるものだと思いますけどね。
何よりも、レッテル貼りの決定権はオトコサマにあるのですよ。
女自身が「わたしは『そんな女』と違う」と自信満々でいたって、オトコサマが「いや、お前は『性欲処理用女』だよ」と決めつけてしまえば、はいそれまでですよ。
それでも、「わたしは『そんな女』と違うから大丈夫w」と、ミソジニー型ロマンス・ヒーローを支持なさいますか?

◆和久井香菜子さん曰く

他の女と肉体関係を結んでも、そこに心がなければ、気にならないどころか「いい経験」くらいな扱いなのが少女漫画なのだ。詳しくは別の漫画で解説するが、主人公以外の女をどんなにおざなりにしても許されるのである。
(「少女漫画に学ぶ[ヲトメ心とレンアイ学]『ベルサイユのばら』編~その2」より引用)



であるならば、前述のミソジニー型ロマンス・ヒーローも、少女まんがのルールに則っているのでしょう。
わたしは、ハーレは少女まんがと文法を一にするところがあると思ってます。

しかし、少女まんがは一方で、「愛がなければ女を抱かない!」「抱くのは愛する女だけだ!」、そんなモラルの高いヒーローも送り出してきました。

わたしは、後者を推しますよ。
たとえ「チ×コなし」と揶揄されようと。

◆原作を読んだことはなく、まんが版二冊だけから感じたことですが、バーバラ・カートランドのヒーローも、ミソジニー型の臭いがします。


さいとうちほ作画「バルターニャの王妃」


竹内未来作画「政略結婚は恋のはじまり」

作画に嫌悪はありません。しかし、ヒーローにはいやあな、実に嫌な印象を持ちました。

ところで、ミソジニー型ロマンス・ヒーローについて考えるきっかけとなった作者の名前を出しますと、コニー・メイスンです。

さいとうちほさんのハーレ・コミック二作目が、よりにもよって、コニー・メイスン作品ですってさ。

関連エントリ:【さいとうちほ「バルターニャの王妃」&竹内未来「政略結婚は恋のはじまり」】

「あれは、友情だったんだ」(by グロースター公リチャード)


「リチャード三世を愛した女」
原作:ジーン・プレイディー
翻訳:友清理士


何人かの読者がつっこんだであろう、プレイディー版リチャードさんの迷セリフ。
わたしもつっこんだ一人です(笑)。
子どもまで作った女との仲を「友情」と言い訳するとは、お前は何を言ってるんだwwwと。

しかし、この「友情」という言葉、彼が相手の女性をちゃんと意志と誇りを備えた人間とみなし、人として関わったからこそ、発せられた言葉であろうと思うのです。

ミソジニー型ロマンス・ヒーローならば、おそらくこう答えたでしょう。
「あれは性欲処理の為だったんだ。あの女は精液を吐き出す容器だよ。君は性欲処理用の女とは違う。素晴らしいひとだ。」
これだとあからさま過ぎるのであれば、
「ただの男の本能だよ。生理的欲求を満たすだけの女と君とは比べ物にならない」とでも。

つっこみを免れない迷セリフとはいえ、プレイディー版リチャードさんは、女性に対して誠実な男性でありましょう。

◆せめて、女を性欲処理用と見なしていたことへの後悔と反省があればねえ・・・、と思うのですが、くだんのミソジニー型ヒーローたちは全然反省しません。
性欲処理用の女など、ヒロインの清楚さ、純粋さ、処女性と比べればクソみたいなものだぁぁぁぁぁ!と言わんばかりです。
そのクソみたいな女を愛人にしていたのは、てめえだろうが。

まあ、キャラの作りようが悪辣と言うか、愛人たちは「性格が悪い」設定になってます。
ヒーローの寵愛を笠に着てヒロインを見下し、苛め、罠を仕掛けるトラブルメイカー、傲慢で騒がしく、印象としてけばけばしく騒がしい女たちです。

愛人キャラではありませんが、歌劇「トゥーランドット」の女奴隷リューのような、愛する男のために命を投げ出す健気さ、報われない恋心であっても尽くす献身の心など欠片も見当たりません。

読者に「性欲処理用の上に、性格も悪いから捨てられて当たり前」「もろもろの美徳と清純さを併せ持ったヒロインは素晴らしい」と思わせる作りが見え見えです。
割り切ったプロ作家らしい仕上げと言えないこともないけど。

さて、ここで紹介いたしますは、里中満智子さんの「アリエスの乙女たち」

本作のヒーローの一人は「性欲処理」に女を使いましたが、神さまからしっぺ返し(性欲処理用女の妊娠)を喰らい、自分の行状を後悔し反省しています。
たんに「できちまった!失敗した!」という身勝手な被害者意識ではなく、若さにまかせて情欲だけで女を抱いた自分は「愛」を冒瀆していたという強烈な反省です。いかにも里中節!
結局、性欲処理用女の求めに応じ、責任をとる形で結婚するも、夫婦間に愛のない生活を送る羽目になり、さらに失明やらも重なって、本命女と結ばれるまでに長い長い道のりを歩むのでした。

「アリエスの乙女たち」って、いかにも70年代風と言うのか、主人公たちに次から次へと襲いかかる怒涛の展開が大仰で、現在の目で読むと笑っちゃうのですが、ちゃんと「性欲処理に女を使う」ことを否定しているのだなと感心した次第です。

◆わたしが読んだミソジニー型ロマンス・ヒーローの一人は、初恋の女に裏切られ、女嫌いになり、「女など性欲処理にだけ使ってやる!」(意訳)と考えるようになりました。

女を嫌いになったならば、女に近づかなければいいのに。
女性蔑視という同じ根から現れたコインの表裏であるとはいえ。

上野千鶴子は、ミソジニーの男性には女好きが多いと指摘している。上野によれば、女性をセックスの対象としてしか見なさない男性は、「女好き」でありながら「女性嫌悪」ないし「女性憎悪」の思想を有しているとみられるが、ここにおける「女好き」と「女嫌い」は矛盾しない。むしろ、女性蔑視という同じ根から現れたコインの表裏である。
(日本語Wiki「ミソジニー」項目より引用)



「女は愚劣な生き物だ。ごみ同然だ。女体だけは性欲処理に使いてぇ~、使わせろ~、俺たちには使う権利がある。なぜなら、女は愚劣な生き物だが、穴としてだけ役に立つからだ。役に立たせてやってるんだ、感謝して使わせろ(キリッ)」って、とこでしょうか、ミソジニスト型ロマンス・ヒーローの頭の中は。

女嫌いと女性蔑視が高じて、原則、女体も嫌って愛人を作らなかったフリードリヒ大王がとってもいい男に見えてくるよ!



◆上の項目で終わりのはずだったのですが、当エントリを寝かして置いた間に、わたし自身もある条件の元であれば、「他の女を道具に使う」ヒーローを好ましく思うことに気づきましたので、懺悔代わりに書いときます。

ある条件の元での道具としての用い方とは、
「妻(あるいは本命の女)を愛しているから、命にかかわるリスクを冒させたくなく、妊娠と出産は他の女に任せること」。

さんざん「女を性欲処理に使うヒーローなんて軽蔑する!」と申しましたが、「愛する女のために」との、絶対ゆるがせない前提条件があるとはいえ、「子どもを産む道具として女を使ってよし!」と、受け入れておりました。


星新一著「殿さまの日」
「ごくふつうの殿さまの有り様を描いている。決まりきった日常で、たとえやる気があってもそれがかえって幕府に睨まれる元になってしまうので無気力化して、じっとおとなしく平凡な人生を終えるしかない。(「レーヌスのさざめき」内「話虫干 殿さまの日 八雲」より引用


このお話でわたしが大好きなやりとりがあります。
殿さまの正妻さんは、姉がお産で死んだこともあり、「嫁いだからには、この家の為に死ぬ覚悟はできている。けれど出産で死ぬのは気がすすまない」と妊娠を拒み、殿さまも、妻が将軍家ゆかりの姫であること、また、妻に愛情を抱いていることもあって、「大事な正妻をお産でなくすわけにはいかない」からと、夫婦関係は持つ一方で、妊娠出産は側室に任せていました。
(別エントリ【秋野真珠「旦那さまの異常な愛情」(その2)】より引用)



「殿さまの日」は小説ですが、ある女弁護士さん(※)のエッセイで、同種の実話を読んだことがあります。
(※)渥美雅子さんだったと思うけど、ちょっと確信がもてない。

昭和初期、地方の名家に仲睦まじい夫婦がいました。ところが子宝に恵まれません。夫の父親は事態を憂慮し、息子に妾を持つように勧めました。しかし、息子は妻を愛しているからと断固として指示を拒否しました。
困った父親は、妾としてではなく、土蔵に女を一人囲うから、子どもだけは作れと命じました。夫はしぶしぶ受け入れ、子作りの為だけに土蔵に通いました。
土蔵の女は次々と子どもを産みました。
子どもたちは妻が育てましたが、子産み女に全く嫉妬せず、むしろ憐みを抱いていました。
数人子どもを産んで、お役目を果たした子産み女は、米俵一俵を餞別にもらい、名家の主の斡旋でお嫁にいきましたとさ。



わたし、この実話も好きなんです。
小作人の娘が「子どもを産む道具」として扱われているにも関わらず、夫が「愛しているのは妻だけである」ことと、妻側がまったく嫉妬を感じていない点がツボにきて。

もう一件。

和田好子「やまとなでしこの性愛史」

この書に記載の明治帝と美子皇后のエピも好きです。
書くのがめんどくなってきたので、箇条書きで。

○ 仲睦まじいにも関わらず、帝と皇后の間に子どもが産まれないので、皇后同意の元に側室を入れる。
○ 側室の一人がお産で亡くなったことに仰天した帝は、「皇后さんに死なれたら大変だ。皇后さんには一日でも自分より長く生きてもらわねば」と、夫婦合意のうえで、セックスレスとする。
たんに、皇后さまにお産で死なれたくないだけでなく、本来なら皇后さんだけでよいのに、子どもが出来ないのでしかたなく側室を入れている。皇后が亡くなったら、さらに次々女をあてがわれる羽目になるのがイヤだからでもあるのもポイント高し。
○ 側室たちには寝所以外では全く言葉もかけず。

はい、ツボにきました。

手前勝手な理屈かもしれませんが、この種の男性は、「ミソジニー型」とは違う、・・・と思います。
「妻との間に子どもを望めない」あるいは「妻に妊娠出産のリスクを冒させるわけににはいかない」から、他の女を「腹」として借りただけ・・・、あかん、これはやっぱりあかんか。
でも、ミソジニーではないと思う。

そして、わたしの心中には、「本命以外の女を性欲処理道具」として使うのは、後々どれほどにヒロイン一途になっても許せないけれど、「本命女を愛していれば」、「本命以外の女を子を産む道具」として扱ってもよし!と思うところがあります。
(それでいて、代理母技術は嫌いで、腹を差し出す方も利用する方も大嫌いなんですよね、わたし。)

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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コメント
この記事へのコメント
アラビアンナイトと『華の王』
>女を嫌いになったならば、女に近づかなければいいのに。

 これの極めつけが『アラビアンナイト』ですね。処女を召して一晩伽をさせて殺す。そんなにコキュになるのが怖いのかい! 立場上跡継ぎを作らねばならないからという言い訳も成り立たない。 こんな話がハッピーエンドなんて腸が煮えくり返ります。書物の中で私の嫌いな男その2です。(その1は旧約聖書のエフタです、次元が違い過ぎますが)

 自分さえ大事にされればいいという女も嫌ですね。聖人君子ではなくても、やはり、ほかの人間たちにだって真っ当であってもらいたいと思わないのでしょうか。 その点で、『華の王』の政子が、浮気者の頼朝にとって本命が自分であることは喜びつつも「でも女性にとっての侮辱よね」とにらんでいるのは特筆に値します。(頼朝の場合、浮気相手に対してもそれなりに愛情を持っているという点も重要です)
2014/10/18(Sat) 13:11 | URL  | レーヌス #Ua2wd.wY[ 編集]
Re: アラビアンナイトと『華の王』
>レーヌスさま

>  これの極めつけが『アラビアンナイト』ですね。

そうです。
「千夜一夜物語」という文学遺産とはいえ、当時の感覚を知る貴重な資料でもあるとはいえ、破瓜させて処刑を繰り返した男がハッピーエンドなんて納得できない。

「雪の女王」や「白雪姫」を現代のジェンダー観でアレンジした作品がつくられているのですから、「千夜一夜」もそうすればいいのに。
物語のラストでは、「これが○○の分、これが△△の分、これが□□の分!」と、「北斗の拳」のノリで王を成敗して欲しいものです。
○○、△△、□□は、一夜妻で殺された娘さんたち。


> その点で、『華の王』の政子が、浮気者の頼朝にとって本命が自分であることは喜びつつも「でも女性にとっての侮辱よね」とにらんでいるのは特筆に値します。(頼朝の場合、浮気相手に対してもそれなりに愛情を持っているという点も重要です)

わたしも政子のあの感じ方は好きです。
市川作品は、共感できるとこが多くて、読んでて気分的にもすごくラクです。
2014/10/19(Sun) 19:48 | URL  | サラ #ndrEhoxc[ 編集]
ミソジニーの精神構造
おひさしぶりです。たんぽぽです。
わたしのこと、覚えていらっしゃるかな?

ミソジニーになる男というのは、
「女に好かれたい、関心を持ってほしい」と思っているのに、
女性から好かれなかったり、関心を持ってもらえないと、
その屈折感から「女は嫌い」となるのですよね。
ttp://lacrima09.blog.shinobi.jp/Entry/527/

ミソジニー男には「女が好きでかまってほしい」
という気持ちはたっぷり残っているのですよね。
それゆえ「女が嫌い」と「女が好き」という気持ちが
同居することになるのだと思います。


>女嫌いと女性蔑視が高じて、原則、女体も嫌って愛人を作らなかった
>フリードリヒ大王がとってもいい男に見えてくるよ!

うわあ〜、と思ったけれど、考えてみれば、
「女が嫌いだから女には近づかない」はいさぎよいことですね。
そこらへんのミソジニー諸氏も、この点にかぎっては、
フリードリヒ大王を見習ってもらいたいです。

こんなところで、フリードリヒ大王が
まともに見えるとは思わなかったわ。
2014/11/03(Mon) 18:07 | URL  | たんぽぽ #ZiqE0vWU[ 編集]
Re: ミソジニーの精神構造
>たんぽぽさま

お久しぶりです。コメントありがとうございます。
覚えています。
貴ブログも時々拝読しています。

ご紹介の「ミソジニーとミサンドリー」も以前拝読したかと思います。
多分、今回のわたしのエントリも影響を受けているかと。

「男はこう」「女はこう」と、主語を大きくするのは気がすすみませんが、たんぽぽさまが指摘なさるように、ミソジニーとミサンドリーは「異性への嫌悪」は共通していても、非対称ですね。

> ミソジニー男には「女が好きでかまってほしい」
> という気持ちはたっぷり残っているのですよね。
> それゆえ「女が嫌い」と「女が好き」という気持ちが
> 同居することになるのだと思います。

こういう矛盾を抱えていては本人も苦しいでしょうに、それらの不安定さも、女性への攻撃に転化するケースが多いのでたちが悪いです。

> こんなところで、フリードリヒ大王が
> まともに見えるとは思わなかったわ。

冗談半分でネタにしましたが、考えれば考えるほど、フリードリヒ大王の女嫌いは筋が通っていて、有りがたい存在です。相手にされないから女性に危害を加えてやる!みたいな攻撃性もありませんし。
わたしも、ちょっとまさかの気分です。
女性蔑視と女嫌いで通ってるフリードリヒ大王がいい男に見えるなんて(笑)。

2014/11/04(Tue) 20:28 | URL  | サラ #ndrEhoxc[ 編集]
ホームズと次元大介も
>ご紹介の「ミソジニーとミサンドリー」も以前拝読したかと思います。
>多分、今回のわたしのエントリも影響を受けているかと

わたしのつたないブログをご覧くださり、ありがとうございます。
念頭にあったのですね。


>考えれば考えるほど、フリードリヒ大王の女嫌いは筋が通っていて、

フィクションだけど、シャーロック・ホームズと次元大介も、
「女は嫌いだから女には近づかない」というタイプのミソジニーですね。
フリードリヒ大王とおなじダイプだと気がつきました。

ホームズは理性的だし、次元はクール。
ふたりのミソジニーには批判するところもあるでしょうが、
「女なんて嫌いだけど、本当は女にかまってほしい」
なんて態度で、女性に対する攻撃的態度を
あらわにしていては、かっこ良くはなれないですね。
2014/11/08(Sat) 22:12 | URL  | たんぽぽ #ZiqE0vWU[ 編集]
Re: ホームズと次元大介も
>たんぽぽさま

こんばんは。
ホームズと次元大介、言われてみれば、二人も、筋の通った女嫌いですね。

世界的名探偵と、全身黒づくめの早撃ちガンマン。
タイプは違いますが、好きなキャラなので、そういう魅力もあったかと思うと、さらに嬉しいです。

次元の対女の態度はあんまり覚えてませんが(せいぜい峰不二子を警戒してたことくらいしか覚えてないのですが)、ホームズは女性の知性を見下していたし、女嫌いでもありましたが、女性に対する態度がちゃんと礼儀にかなった紳士的なものであったこともポイント高いです。

ミソジニーにどっぷり浸ると、「女をバカにする俺、カッコイイ」と言わんばかりに、女性への侮辱が露になる男性もいますから。。。

> 「女なんて嫌いだけど、本当は女にかまってほしい」
> なんて態度で、女性に対する攻撃的態度を
> あらわにしていては、かっこ良くはなれないですね。

逆説的だけど、「女嫌いだからこそ、女には近づかない」、ぷらす、でも人として礼節は守る、であれば、かっこいい男性だと思います。
2014/11/09(Sun) 19:41 | URL  | サラ #ndrEhoxc[ 編集]
かっこいいミソジニー
次元大介はふたこと目には「女は裏切る」と言いますね。
「不二子は裏切る」とだけ言えばよさそうなのに、
「女は裏切る」と一般化するのですよね。
ttp://bit.ly/1tPL06z

ちなみにホームズも、「女は裏切る」と考えていますね。
犯罪とお付き合いしていると女性観がそうなるのか、
という気もなきにしもあらずです。


>女性に対する態度がちゃんと礼儀にかなった紳士的なもの

おお、そういえばそうですね。
シャーロック・ホームズはもちろん、
次元大介も女性に対して攻撃的なところはないですね。

ミソジニーの男性諸氏も、女嫌いがどうしてもやめられないなら、
「女にかまってほしい」という未練を捨てて、
女性に対する攻撃的態度はやめればいいのにと思います。
そうすれば、ホームズや次元みたいに、
かっこよくなれる可能性は出てきますからね。
2014/11/09(Sun) 23:18 | URL  | たんぽぽ #ZiqE0vWU[ 編集]
Re: かっこいいミソジニー
>たんぽぽさま

> 次元大介はふたこと目には「女は裏切る」と言いますね。
> 「不二子は裏切る」とだけ言えばよさそうなのに、
> 「女は裏切る」と一般化するのですよね。
> ttp://bit.ly/1tPL06z

あ、頻繁にある「主語を大きくする話術」ですね。
わたしも、気をつけてるのですが、「○○な男もいる」ではなくて、「男なんて○○だ!」と主語を大きくして語る方に流れたくなる時があるので、気をひきしめたいと思います。

「峰不二子は裏切る」で、充分に意味は通じるんですけどねえ。
「女は」としてしまったら、むしろ、峰不二子の「裏切りもするしたたかさ」という魅力があいまいになってしまう気がするのですが。

> ミソジニーの男性諸氏も、女嫌いがどうしてもやめられないなら、
> 「女にかまってほしい」という未練を捨てて、
> 女性に対する攻撃的態度はやめればいいのにと思います。
> そうすれば、ホームズや次元みたいに、
> かっこよくなれる可能性は出てきますからね。

そうです。
嫌いなものを好きになれとは言えないし、「嫌う」ってのも、その人の心の中のことで、他人がどうこう指図できないのですが、嫌いだから人権を蹂躙してやるという行動に移るのは迷惑極まりないです。

「女を嫌っててもいいんです。ちゃんと人間として相対する礼儀を守ってくださるなら」
わたしとしては、こんな心境です。

しかし、どんどん逆説的になってしまいますが、ホームズとか次元のような女嫌いは、女嫌いであるゆえに、女に対してがっつかず、かつ、女を軽蔑してはいるけれど、攻撃的ではなく礼儀正しくあれば(ホームズなんて、女であっても、頭がよくしっかりしていれば、ちゃんと美点として認めてるし)、ちゃんと女に好かれるという見本だと思います。
それに、女嫌いってことは、女とくっつく懸念がないから、永遠の独身ヒーローでもいてくれるし(笑)。

女にもてたいと渇望してる限り、モテからは遠のくばかりってのを知って欲しいですね。

2014/11/10(Mon) 20:42 | URL  | サラ #ndrEhoxc[ 編集]
女性から好意を持たれるミソジニー
>頻繁にある「主語を大きくする話術」ですね
>「峰不二子は裏切る」で、充分に意味は通じるんですけどねえ

次元のミソジニーはあまり取りざたされないように思うんだけど、
わたしは結構気になっているのですよね。

まっこうから反対する人が作品中に出て来ないし、
不二子以外の女性もじつは結構裏切ったりするので、
作品自体の女性観なのだろうと思います。


>女嫌いってことは、女とくっつく懸念がないから、
>永遠の独身ヒーローでもいてくれるし(笑)

おお、そういえばそうですね。
それは重要(笑)です。

>ちゃんと女に好かれるという見本だと思います

それも、そういえばそうですね。
ミソジニー男性ご本人はうれしくないのかもしれないけれど、
相手を一個の人格を持った人間として接すれば、
相手からも好感を持たれるということですね。

>女にもてたいと渇望してる限り、
>モテからは遠のくばかりってのを知って欲しいですね

がつがつしているからもてなくなるのは非もても同様ですね。
それに加えて女性に攻撃的では、
なおさら女性は遠ざかっていくというものですね。
(女性の男性嫌悪は、男性から危害を加えられて怖いから、
ということがベースなのですし。)
2014/11/11(Tue) 21:26 | URL  | たんぽぽ #ZiqE0vWU[ 編集]
Re: 女性から好意を持たれるミソジニー
>たんぽぽさま

> まっこうから反対する人が作品中に出て来ないし、
> 不二子以外の女性もじつは結構裏切ったりするので、
> 作品自体の女性観なのだろうと思います。

時代々々の価値感の反映なのか、昔の作品はわりかし旧弊な男女観が現れていることが多いので、その為かなとも思います。
でも、当時はそうであったからと流してしまうのではなく、楽しく視聴するだけではなく、たんぽぽさまみたいに「気になる」ものとしてひっかかるのであれば、検証考察していきたいものです。

大げさですが、ある時代の価値感の証跡にもなってるんですから。

> ミソジニー男性ご本人はうれしくないのかもしれないけれど、
> 相手を一個の人格を持った人間として接すれば、
> 相手からも好感を持たれるということですね。

繰り返しになってしまい、煩雑ですが、「女を嫌ってもいいのです。嫌うのは貴男の自由です。だけど、女を攻撃するのは許されないことです。貴男の心身の尊厳と安全が尊重されるものであるのと同様に、女性の心身の尊厳と安全も尊重されるべきものなのですから」

女だからとちやほやされるより、人間として礼儀正しく尊重してもらえれば充分です、わたしは。


2014/11/13(Thu) 20:23 | URL  | サラ #ndrEhoxc[ 編集]
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