2015年07月04日 (土) | Edit |

永井路子「にっぽん亭主五十人史」

コンセプトは「歴史上有名な女性はしばしば『妻としてどうであったか』が問われるが、男たちにはそういった視点は向けられない。歴史上の男たちを『夫としてどうであったか』を考察してみた」。

だから、歴史上評価はダメ男でも、妻にとっては申し分ない夫であったり、逆にもてはやされ尊敬されてきた男性が、夫としてみたら最低であったり、そんな逆転評価も楽しめる試みです。

どちらが良いのか?
夫としては最低でも、公には利益をもたらした男。
夫しては最高でも、公には有害であった男。

そんな問いを抱かせるのが、オスマン帝国史上に輝く二人の英雄。
壮麗なる「大帝」スレイマンと「灰色の狼」ムスタファ・ケマル・アタチュルク。

大帝スレイマンはムスリムの君主としては極めて異例のことに、後宮にあまたさぶらう美女の中からただ一人の女、ロクサローナを愛しました。

けれど、スレイマンの愛はロクサローナにのみ向けられ、ロクサローナだけを幸福にし、当時のオスマン帝国全体の女性の立場の向上には結びつきませんでした。

いやいやいや。
わたしだって、16世紀の専制君主に「両性の平等」思想なんて求めちゃいませんが、恩恵を得たのはロクサローナと後宮の女だけ(※)というのは押さえておいて下さい。

(※)ロクサローナの斡旋で、スルタンの臣下に下賜された後宮の女たちもいました。

ロクサローナの台頭は、スレイマンの御世に正妻腹の皇太子と宰相イブラヒムが死をもたらすことになり、さらには、後宮の政治への介入を許し、オスマン帝国衰退へのきっかけのひとつとなりました。

衰退の果てに、19世紀には「瀕死の病人」と揶揄されるまでに落ちぶれたオスマン帝国。
そこに一人の英雄が現れました。
税関吏アリ・ルザー・エフェンディとズュベイデ・ハヌムの長男、ムスタファ。
後の、ムスタファ・ケマル・アタチュルク。

古き因習を断ち切り、トルコ共和国初代大統領となり国民を導くこととなったアタチュルクは、次々と改革を実行していきました。

西欧文化の導入、教育改革、文字革命、言語革命、そして、男女同権。

アタチュルクが女性参政権を議決させた1934年、フランスの民法は「妻は夫の監視下におかれる」と規定し、日本の法には「妻の無能力」が明記されていました。
そんな時代に、19世紀(1881年生)生まれのムスリムの男は、強い信念の基、男女同権を推し進めました。

アタチュルク時代に国会議員を務めた、パミルタン氏による伝聞ではありますが、アタチュルクの信念がうかがえる言葉が残されています。

「オスマン・トルコ帝国及びイスラム社会そのものが衰退した原因のひとつは、女性を完全に家庭に閉じ込めてしまったことだ。女性に社会活動の機会を与えない社会は、必ず活力を失ってしまう。だから、トルコを活力ある国にするためには、女性に社会的活動への道を開かねばならない。」
(大島直政「ケマル・パシャ伝」第12章)



時代背景を考慮すれば、昨今の政治家のリップサービスとは重みが違います。

こうまで女性に理解があるのであれば、家庭でもさぞや奥さんを大事にして、と思うのですが・・・。
残念ながら、私生活におけるケマルは「英雄色を好む」の言葉通り、愛人情婦は数知れず。愛人たちに対してはまさに「暴君」としてふるまっていたとか。
唯一結婚したラティファ夫人に対しても、結婚の動機となった彼女の賢さを厭い、一方的に離縁して追い出しました。

「大帝」スレイマン。
ただ一人の女を愛し、愛した女に栄光を与えたけれど、帝国全体の女性の地位向上には関心を持たず、また、我が子を帝位につけたいロクサローナの讒言を元に、無辜の皇太子と宰相を謀殺し、オスマン帝国衰退の一因ともいえる「後宮の政治への介入」を許しました。

「灰色の狼」ムスタファ・ケマル・アタチュルク。
私生活においては女好きの暴君であったけれど、信念をもって女性解放を推進し、共和国全体の女性に恩恵をもたらしました。

さて、どちらが良い男でしょう?

◆参考にした本

大島直政「ケマル・パシャ伝」

塩野七生「イタリア遺聞」

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