2015年07月23日 (木) | Edit |
(注意)ネタばれ、史実ばれに配慮していません。





   
Aya Kannno ” Requiem of the Rose King”

◆翻訳料その他の事情で、日本語版よりお高いのは了解できるのだけど、紙本しかないのは不便で困る。洋書は積読と化すことが多いので、紙本では購入したくないのだよ。電書化希望。お高くても電書化希望。

◆「薔薇王の葬列」を英語ではどう綴る?
“Funeral of the rose king”あるいは、”kings”(リチャード3世&ヘンリー6世)かと考えてたら、”funeral”ならぬ” requiem”、”kings”ではなく”king”ってことで、単数ってことは、リチャード3世一人に捧げられるRequiemなのですね。


菅野文「薔薇王の葬列」

13話は既読、14話から16話はコミックスでお初です。
16話時点で、顔芸王妃さまが、マーガレット王妃さまがまだ表紙になってない~!
なぜだー、なぜだー、顔芸王妃さまが何故表紙にこないんだーーー!

本巻のベストショットは、ウォリック伯が王妃の手の甲にくちづけた時の、魂消た顔及びその後の見返り美人の「笑顔」ですw。
目つきと言い、半開きになった口元といい、すてきww
振り向いた顔の微笑みの迫力がすてきwww
好きだー、好きだー、マーガレット王妃さま、大好きだーーー!

◆「薔薇王旅行記」(注意.コミックス未収録)。
↑この5頁の為に雑誌を買いましたとも!

マーガレット王妃が出てこないーーー!と心中で吠えたけど、リチャードも出てこなかったな。
彼が出てきてれば、それはそれでシュールな光景ですが(笑)。
史実リチャードと、シェイク版リチャードと、「薔薇王」版リチャードが顔合わせする短編があったら面白そう。

当然ながら史実バレにはならないよう配慮しておられますが、作者さんの思い入れは十分に伝わってきました。

作者さんの言及とは別物でしょうけれど、「Richard Leicester drawing」で画像検索すると、「子どもたちが描いたリチャード」の絵が結果上位にきます。

◆2015年6月26日、米連邦最高裁は、同性婚の権利は合衆国憲法が認めるところであり、一部の州で、同性婚が州法によって認められていないのは憲法違反であるとの判断を下しました。

6月26日以前にも、同性婚を認めている州はありましたが、この判決にしたがって、全米で同性婚が法的に認められることになりました。

アメリカ以外でも、同性婚を認めている国があります。
(興味のある方は、「同性婚を認めている国」等で検索して下さい)

なんで同性婚事情について触れたかというと
「異性愛が正常」
「女は男に魅かれるもの、女は男を愛するもの」
「男は女に魅かれるもの、男は女を愛するもの」
とは言えなくなってるなあと。

だから、
「あの人は女性を愛している。だからあの人は男だ」
「あの人は男性を愛している。だからあの人は女だ」
とも、決めつけられなくなってます。

と、言えるのはわたしが現代人だから。

4巻を読んで、リチャードのアン・ネヴィル、およびヘンリー6世に対する感情のゆれを見てると、リチャードは、
「女は男に魅かれるもの、女は男を愛するもの」
「男は女に魅かれるもの、男は女を愛するもの」
との「常識」にすがりついているように思えました。

4巻でリチャードはアン・ネヴィルに安らぎを感じる様子を見せていました。
ヘンリー6世に魅かれる自分の気持ちを怖れる様子も見せていました。

わたしは、この気持ちに至る理由を
「女であるアン・ネヴィルに好意を寄せられることで、自分が男であるとの自信がつくから」
「男であるヘンリー6世に魅かれることで、自分が男である自信が崩れていってしまうから(男に魅かれるのは『女』であるから)」
と、想像しました。

◆もう少し、リチャードにとってのアン・ネヴィルの「心地良さ」を考えてみます。

画面に描かれていなくても「王弟」であるリチャードに思いを寄せてくる女性はいたと思います。
けれど、彼女たちは「王弟」だから、リチャードに関心寄せた。
アン・ネヴィルは「リチャード本人」に想いを寄せてくれた。

だから、「女に愛される存在としての自分=男」と自覚できるここちよさ。

さらに想像するに、アン・ネヴィルはリチャードにとって、「理想の女」の姿ではないのかと。
「男」リチャードにとっての「理想の女」ではなくて、「女」リチャードにとっての「理想の女」、それがアン・ネヴィルなのではと。

スケートで転んだアン・ネヴィルを助け起こす場面(第14話)で、アン・ネヴィルの性的魅力が強調されるコマの流れに、リチャードの手首のコマが挟まれていました。

そして、男女のヒーロー&ヒロインがメインである少女まんがでなら有り得る、ヒーロー(リチャード)がヒロインの性的魅力に欲情、あるいは羞恥を感じるところでしょうけれど、どちらでもない堅い表情でした。(リチャードは普段から鉄面皮顔なので、通常モードと言えんこともないのですが)

あの一連の流れのリチャードの感情を次のように想像しました。
(1) 女であるアン・ネヴィルと(女でもある)我が身をひき比べた。
あるいは、
(2) 自分が触れたことで、女であるアン・ネヴィルを恥じらわせた。→自分が「女を恥じらわせるこどができる存在=男」であると省みた。

それにしても、まんがって、奥が深いね。
人物の表情、しぐさ、コマの流れで、キャラの感情を読み取っていかなきゃならないんだから。

◆わりかし気になるのが、リチャードはヘンリー6世(男)に対しても、アン・ネヴィル(女)に対しても、羞じらわないこと。

スケートで転んだアン・ネヴィルの艶めく唇、細いうなじ、華奢な足を見た時(第14話)も、ヘンリーさんの半裸(第10話)を見た時も、異性を意識した欲情、羞恥の様子はうかがえません。

両場面とも、一般的な少女まんがであれば、「異性の性的魅力」を意識するとこだと思います。

微かな乳房に触れて、「女」と認識したとたん、発情したエドワード王太子とは対称的です。

◆チャラオならぬ、チャラ子かと思ってたら、イザベルは優秀な女ソルジャーであったw

本人にも「王妃になりたい」野心はあるのでしょうが、権力争いの中に生きるウォリック伯の娘としてとても優秀です。
父の野心を理解し、その意を汲み、ジョージを誘惑し、姉とリチャードの仲を進展させよとサポートしている。

13話のラストページ、髪をかきあげるイザベルのまなざしは、雑誌掲載時よりも白目部分が少なくなり、色気が増していました。

◆リチャードのシセリィお母さまへの感情は?

シセリィお母さまがリチャードを愛していないことはわかります。
シセリィお母さまが積極的にリチャードを憎み、排除にかかっていることもわかります。

そして、感情が読み取りにくい子ですが、リチャードが、母に愛されていないことを悲しんでいることも察せられます。

だけど、わたしは、リチャードが悲しんでいることを頭で理解できても、心で理解できません。
「子を虐待するような非道な親は捨てっちまえ!」と思ってるので。
(「虐待」って殴ったり蹴ったりだけじゃんくて、シセリィお母さまのような愛情を注がないのもれきとした「虐待」です。)

なんでああも「母に愛されないこと」にこだわっているんだろう。
「身体の秘密」を知っているのが母だけで、その母に拒否されているのであれば、「母に愛されないこと」にこだわるのはわかるのですが、パパさんとケイツビーくんも知ってて、そのうえで、受け入れてくれましたよね。
なのに、なぜ、「母に愛されないこと」にこだわっているのか、わからないのですよ。

愛してくれたパパさんはもういないから、生きている母にこだわるのかなあ?
しかし、パパさん存命時も、「母に愛されないこと」にこだわっていたよなあ。
(ケイツビーくんについては次項で)

近づきすぎなければいいのだ。
失うことを怖れるほど。
手をつかまなければ、はなされることもないのだから。
(第13話)



このモノローグはイメージではなくて、具体的な過去の出来事の記憶じゃないかと思うのですよ。
第1話で森の中で迷うキタロー、もとい、チビ・リチャの描写がありました。
あれは、イメージじゃなくて、実際にあったことなのかも。
リチャードを森に置き去りにしたのは、シセリィお母さまで。

ただ、仮にそういう出来事であったとしても、なぜどうしてそうなったかは、現時点では想像がつきません。

きっと母上とは違う。
(第14話)



このモノローグもたいへん気になります。

そして、

だから俺は女なんかじゃない。
(第13話)



こちらのモノローグが、夫に抱擁されるシセリィお母さまの顔のアップ、しかも、奇妙に無機的な怖い表情にかぶっていたのも気になります。

またまた思いつきなんですが、リチャードが「男」であることにこだわり、「女」であることを否定しているのは、母への遠慮ってものがあるのでは?
つまり、リチャードはパパさんを愛しすぎていて、父子の一線を超えたいほどに慕っていて、父の為にも母の為にも、その気持ちを抑えて、自分を男といいきかせ、女であることを否定している。そして、シセリィお母さまは、リチャードの気持ちに気づいていて憎悪している。

いやまあ、リチャードがキタロー時代から、シセリィお母さまの迫害は始まっていたので、父子間の近親姦の愛情が憎悪元とするとつじつまが合わないのですが。

あるいは、女である母への無意識の嫌悪が、リチャードに「女であること」を否定させているのかなあ。

結論は出ないので、思いつく限りのことをだらだら書きました。

◆リチャードの身体の秘密を知ったうえで受け入れてくれているケイツビーくんへの態度がいまひとつ冷淡なリチャード。

なぜなのか訝しかったのですが、対等の身分の者ではなく、部下、臣下、下僕といった、格下の人間だからかと想像していました。

今回それに加えて、「リチャードはケイツビーの忠義を自分に対するものではないと考えているから」かと思いました。

要するに、「父リチャードへの忠義ゆえに、自分に忠実なだけで、自分(リチャード)自身を受け入れてくれているのではない」と考えているからではと。

ケイツビーくんも、回りくどく「この命はお父上に拾っていただいたものですから(後略)」とうだうだ言わず、「お父上への恩は恩です。別物です。リチャードさま、わたしはあなた本人が大好きなんですw」と告げればいいのに(違)。

◆息子には甘い母親かと思ってたら、ドS王妃は、愛息にも厳しい母であった・・・。

例えば、息子(エドワードが王太子)が嫁に夢中になった場合、
「息子は悪くない!エドワードをたぶらかした嫁が悪い!!」と、息子は責めず、嫁(息子以外の人間)を悪者にするタイプかと思ってましたが、むしろ、
「おまえはこの母だけ大事にしとればいいんじゃああああーーーー」
と、嫁ともども息子をどつき倒しかねん。

エリザベス・ウッドヴィルのように、母としての愛情が皆無ではないけれど、「王位継承者」だからエドワードを大事にしているってとこもあるのかもしれない。

大事にしているというより、自分の指揮下に置いていると表現した方が適切かも。

この母と、妖精さんのようなあの男を父として成長したにしては、エドワード王太子はひねくれることもなく、委縮することもなく、ずいぶん真っ当に育っています。

◆アンソニー・ウッドヴィル。
こんな小物の為に文字数を費やすのは癪に障るのですが、小物臭たっぷりの卑しげなドヤァ顔を上手にお描きになってるなーと。

この人、登場した時は、小心なりに常識人ぽかったんですが、小心者は小物へとクラスチェンジを果たしましたよっと。

リチャードが負わせたと思われる傷の件(第9話)はまだ掘り出されませんな。

本作は「性」が主要な題材になってるので、もしや、下半身に傷を負い、性的不能か、子孫をつなげない身体になってるのかと想像してます。

◆ロミオのように、忍んで本命に会いに行ったというのに、ジュリエット(アン・ネヴィル)に一目ぼれとはならなかった、エドワード王太子(笑)。
しかし、読者の大ブーイングをくらうはめになっても、その方がエドワード王太子は幸福になれたかもしれん。

この子がどんなに切々とリチャードへの恋心をあふれさせていても、悲劇エンドしかありえないことに加えて、恋心そのものに「信用できない」思いがふつふつと。

君はさあ、リチャードの乳房に触れただけだろうが。
そもそも、リチャードを目の敵にしていただろうが、憎むべきヨークの一員として。
さらには悪魔疑惑を暴こうとしてだろうが(※)
「乳房=女」ってだけで、なんで恋心を抱いてるんだ。
リチャードの何を知ってるんだ。

しかしながら、もしリチャードが「女」で、「男装ヒロイン」であれば、充分にヒーロー足り得る子なんですよね、エドワード王太子は。

この子を責めるのではなく、むしろ、「異性愛のみが正しい愛の形」と思い込み、「女だというだだけで、男から意識され、欲情され、愛される展開」に何の疑問も抱かず受け入れてきた自分の「常識」を問わねばならない気がします。

(※)エドワード王太子はきれいさっぱり忘れているみたいですが、リチャードの乳房に触れたきっかけは、リチャードの「悪魔疑惑」を暴く為に出会ったことを、わたしは忘れてませんぞ。
そのうち、爆弾として破裂するのかなあ、この件は。
エドワード王太子が、リチャードの「秘密」を知った時に。

◆ところで、エドワード王太子の「恋心」って、処×厨ストーカーの「思い込み」みたいなもんじゃね?と身も蓋もない感想が浮かびました。

先日、レビューの酷評っぷりにかえって興味をそそられ、とあるハーレクイン・コミックを読みました。
ひらたくいえば、ヒーローは処×厨。ヒロインをヴァージンと思い込んでいた間は、彼女の足にすらくちづけせんばかりに崇め、切々と恋心を訴えていたのに、ヴァージンでないとわかったとたん、手のひら返しで罵倒の嵐。
ハーレクインだから、二人が和解してくっついて終わりなんですが、いやもう、結ばれるばかりがハッピーエンドじゃないよ、こんなクズ・ヒーロー、きっぱり捨てて生きていってこそハッピーエンドだろうと、たいへんムカつくヒーローであり、ムカつく結末でした。
作画はよかったんだ。作画に不満はないんだ・・・。

エドワード王太子も、このヒーローの同類なんじゃないかとの不安が拭えません。

◆アン・ネヴィル、あの間の悪さはなんなんだろう。
ドS神(作者)の呪いがかかってるのさ~(失礼!)。

この子も、リチャードの「秘密」を知らずに恋慕っているのですが、エドワード王太子に対して抱く「信用できない」感じは少ないです。

アン・ネヴィルも、リチャードが「異性」だから恋心を抱いていることと思いますが、まず、リチャードが「他の人と違う」ところに魅かれていました(第4話)。
そして、「優しくて純粋な」人となりを知りました(第14話)。

この世のほぼ半数が占める「性別・男」ゆえではなく、リチャード本人の個性に魅かれていました。

わたしの希望的予想にすぎませんが、アン・ネヴィルであれば、リチャードの「秘密」を知っても、少なくとも「騙された」と彼を責めることないのではないでしょうか。
受け入れることは難しくても、そして、戸惑うことはあっても、責め、罵倒することはないと思いたい。

アン・ネヴィルが「女」であることも、わたしが彼女に信頼を寄せる理由です。
女であれば、他者から自分ではどうにもできない属性によって迫害され、束縛され、貶められる理不尽さに共感があるのではと思うのです。

さらに言えば、性行為についての男女の受け止め方の差。
男女の性行為は、本来なら、フィフティ・フィフティであり、双方に幸福をもたらすものであるはずですが、身体の構造の違い及び、長年の男女の権力勾配により、「男が女を征服し、支配し、蹂躙する」側面も持っています。

古代ローマの男色では、弱い存在、格下の存在が、いわゆる「女」役でありました。
何で読んだかは忘れたのですが、ヤ×ザは鉄砲玉を仕込む時、自尊心をくだいて、上部のいいなりとなるよう、その男を「女のように」犯すとか。

女のアン・ネヴィルにしてみれば、無意識にせよ、「男が女を征服し、支配する」性行為の一面を受け入れていて、だから、自分が好きになった男に、女の性を見出しても、自分と共通の点が増えた程度のことで、罵倒の理由にはならないかと。

一方で、男のエドワード王太子にしてみれば、自分が「守り、保護する対象」であると思っていた「可愛い女」が、自分と同じ男性器を備え、自分を「征服し、支配し、蹂躙する」可能性を持っているとなれば、恐怖であり、ゆえに許せないのでは、と思います。

◆エリザベス・オブ・ヨーク誕生!

エリザベス・ウッドヴィルも失望は胸に秘めて「なんて可愛らしい」と喜んだ様子を見せていましたが、そして、卒の無い女なのであからさまに娘エリザベス・オブ・ヨークをネグレクトすることはないでしょうけれど、「息子」とは温度差のある接し方になるんだろうな。

母の期待に外れた「女」であるエリザベス・オブ・ヨーク、はてさて、どう成長していくことか(笑)。

◆SMプレイを楽しむ、ウォリック伯&エド兄さん(違)。
エド兄さんには同情しないのだけど、飼い主に見捨てられた犬の表情には少し感情を揺さぶられました(第16話)。

いや、考え違いをしてはダメだぞ、わたし。
エド兄さんの立場を考慮すれば、「飼い主に見捨てられた犬」ではなく、「飼い犬に手を噛まれた飼い主」の表情であり、ウォリック伯とジョージ兄ちゃんは、自分たちを決して「飼い犬」とは思っていなかった。それを見抜けなかったエド兄さんが愚か者だ。

◆ジョージ兄ちゃんがキリッとしてると可笑しい。たぶん、お酒を飲んでない。
おそらく一世一代の花道(笑)。

◆父を殺されて、エリザベス・ウッドヴィルの憎悪がますます増大しそう。
今回の反乱が収まった後の、近未来のウォリック伯とジョージ兄ちゃんの失脚には、原作通りのリチャードではなく、エリザベス・ウッドヴィルが関与するんじゃね?

◆同じ黒服キャラであるリチャードとの差別化なのか、眼鏡男子属性を追加したバッキンガム公(笑)。

◆15話に気にかかるセリフがありました。発言者はエド兄さん。リチャードについてです。

赤ん坊の頃は病弱で、私達が触ることさえ禁じられていたが、歩けるようになってからは、誰よりも活発で、よく姿を消しては母上に心配をかけていたよな
(第15話)(赤文字強調はわたし)



あのシセリィお母様がリチャードを心配していた・・・!?

可能性として

1) エド兄さんの目にそう見えていただけ。実際は心配していない。

2) 当時は、シセリィお母さまはリチャードのことを本当に心配していた。

今まで、「リチャードを産んだ時から、シセリィお母さまは、リチャードを忌み嫌っていた」と解釈できる情報がちりばめられていましたが、後者であれば、解釈が変わってきます。

またまた思いつきですが、シセリィお母さまが難産で産み落とした子は、あの時点で死んでいて(死産)、パパさんが、妻にショックを与えないよう、生きてる別の子と取り換えた。そして、シセリィお母さまも数年は「我が子」と信じて育てていたけど、リチャードが成長して、我が子でない証、あるいは「悪魔の刻印」を見出して忌み嫌うようになったとか?

そういえば、第1話オープニングは、シセリィお母さまが、森にリチャードを捨ててきたと思える描写でした。

リチャードがあれほど母に愛されないことを気に病んでいるのも、ひと時は愛され大事にされた思い出があるから・・・?



以上、4巻感想終わり。
お次は第17話の感想です。


SMプレイ続行中(違)のウォリック伯&エド兄さん、ケイツビーくん、リチャードに添い寝する等見所満載でしたが、それらを全てかすませるほどに、エドくん(エドワード王太子)祭りと化した第17話

惜しいな、この子。
このまんがでなければ、正統派「男装ヒロイン」ものならば、正副いずれであれ、安定したヒーロー・ポジションであったろうに・・・。

◆エドワード王太子を見てて感じるなんとも落ち着かない気持ちの源は何なのか、整理して考えますと・・・。

(1) リチャードが仮に「女」であれば、史実通りに進んでも、双方にとって「悲劇」ですむ。

(2) しかし、リチャードは、煽りによれば「両性具有」である。
リチャードが「両性具有」であるゆえに、知らずに恋心を抱いたエドワード王太子の恋は「滑稽」であり「喜劇的」であり、それゆえに痛ましく見える。そしてリチャードにとっては「悲劇」となる。

はい、この点です。
A)「知らずに恋した相手が、『両性具有』である」
↓「だから」
B)「エドワード王太子が『滑稽』であり『喜劇的』に見える。」

AとBがなぜ「だから」でつながってしまうのか。
「世の中で多数を占める異性愛が『常識』と思い込まれている為、エドワード王太子に『両性具有』を受け入れる度量があるとは思えない」ならば、「悲恋(悲劇)」ですむはずです。
しかし、わたしは「滑稽」「喜劇的」と思いました。

話が変わりますが、ゲイ男性を主役にした短編ミステリ「Kiss Me Once」(藤田あつ子著)より、以下、ある日の職場の様子です。

二日酔いで少々疲労気味の主人公に声をかけ、軽口をたたきあう同僚たち。
同僚1「またベロベロになるまで飲んだんだろ。ろくなことないぞ」
同僚2「そーそー。俺なんか女の子ひっかけたつもりがオカマだったことあったもん」
同僚3「ゲ」
同僚2「事前に気づいたからよかったけどさあ」
同僚1「ギャハハハ。グロテスクー」
同僚3「ゾッとしちゃうよなーッ。男と寝るなんて。人間のクズ!」
同僚2「うんうん。タイヘンなヘンタイ・・・」



場所はロンドン、作中の年代は不明ですが、本の発行年は1992年なので、作中もその頃かと。
「オカマ」を蔑み、嘲笑のタネとしている。
ほぼ四半世紀前ですが、セクシャル・マイノリティに理解がなかった「過去の風景」と言えるでしょうか?

わたしがエドワード王太子の恋心を「滑稽」「喜劇的」と思ってしまうのは、たんに「異性愛が多数であるため」ではなく、「世の中は、『オカマ』『ゲイ』等、セクシャル・マイノリティを蔑み、嘲笑のタネとする傾向が強い(※)」から、リチャードの「秘密」を知った時、エドワード王太子は我が身を「滑稽」なピエロと見なすと予想できるからです。

(※)リチャードはオカマでもゲイでもないのですが、「男」でもなく「女」でもない彼は、れきとしたセクシャル・マイノリティであると思います。

そして、両性具有に恋するという、他者から嘲笑される境遇に自分を落としたリチャードを憎み、てひどい罵倒を加えるのではないかと。
この点で、リチャードの「悲劇」となり得るのです。

わたしが「なんとも落ち着かない気持ち」になるのは、双方にとっての「悲劇」と、一方にとっては「喜劇」もう一方にとっては「悲劇」に分けるのが、性的マジョリティか否かであり、自分がマジョリティの「常識」にどっぷり浸っていたことを、突きつけられるからです。

もし、リチャードが「女」で、本作が「男装ヒロイン」ものであれば、

ヒーローがヒロインの乳房にふれました。

ヒーローはヒロインを女だと認識しました。

ヒーローはヒロインに異性を意識しました。

ヒーローはヒロインに恋しました。

との、この展開に疑問を抱かずに受け入れていたでしょうから。

「常識」に疑問を抱かずにきたってのは、「マイノリティを蹂躙していた」ことでもあるのですから。


映画「エム・バタフライ」

この項目を書いてるうちに思い出しました。女装した男スパイに騙された外交官の物語「エム・バタフライ」です。ラストに脚色があるらしいですが、実話を元にしているそうです。
ぐぐって出てくる感想によっては、「女装スパイ」に騙された外交官を揶揄するニュアンスのもがあります。
「Kiss Me Once」の職場の同僚たちが「オカマ」を揶揄したように。
女スパイ、あるいは男スパイに騙されたのであれば、けっして向けないであろう嘲笑を込めて。

◆エドワード王太子の恋心が募った第17話ですが、前項で書いた理由により、募れば募るほどに、後でどーーーーーーーんと奈落に落とされることになるんだろうなあと、気が重くなります。

エドワード王太子本人の精神もですが、読者が。
いや、主語を大きくするのはおこがましいので、「わたしが」と言い換えます。

「騙したな!」と、リチャードを罵るエドワード王太子を見たくないよう。。。

これはわたしの勝手な予想で、今後の展開はわからないので、先走りすぎですが。

それに、こうもエドワード王太子を上げといて、落とすのか?どーーーーーーーんと落とすのか?単なる失恋じゃなくて、「主人公の人格を踏みにじる」行為をさせるのか?という疑念もあります。

ただ、作者さん、情け容赦がないので、必要ならば落とすことを躊躇ったりなさらないだろうな。

本話でも、熱烈なアプローチにも関わらず、リチャードからほぼ無関心状態に置かれているエドワード王太子の姿を情け容赦なく描いてらっしゃいますもの。

◆史実通りだと直近の顔合わせ(第5話)から約9年経過してることになるんだけど、そもそも原案がシェイクスピアですからねえ。必殺技・時空間の歪みと年齢詐称が発動するのは織り込み済みです。

作中での経過年は不明ですが、エドワード王太子にとっては、歳月を経ても面影忘れられぬ相手であったリチャードなのに、リチャードにとっては、

(1) 裸にひんむかれて、「秘密」を暴かれそうになった。

(2) 「お前が女だからだ!」と、「秘密」の一端を知られた。

以上、かなり強烈な出来事で関わった相手だってえのに、思い出してもらえないほどに記憶に残ってない存在ってのがね、もう、不憫で・・・。

そして、不憫ではあるけれど、いずれリチャードを罵倒する側になるのではとの懸念もあるので、この子への感情は負とも正とも定まりません。

もう一度この言葉を紹介しとくね。

「愛の反対は憎悪ではない。無関心である」



エド兄さんも、本人だけが盛り上がってる空回りの恋ですが、あの人は、奥さん(エリザベス・ウッドヴィル)から憎まれてはいるもんなあ。

◆正統派「男装ヒロインもの」なら、サブ・ヒーローの見せ場になるはずの本話ですが、後にどーーーーーんと落とされる前振りかと思うと、手放しで楽しめません。しかし、あのセリフは可笑しかった。

このままフランスに帰れば、今度こそ母上に殺されるぞ・・・。



愛息にここまで言わせるドS王妃、大好きですwww

◆以前の感想で、エドワード王太子のことを「アホの子」とか「おバカさん」と表現して、さすがに言い過ぎかと反省し、「単純な子」と言い換えたのですが、やっぱり、おバカさんでいいかも・・・。

エド兄さんを復位させたら、墓穴を掘るようなものでしょうが、もう、目先のことしか考えてないんだから。
エド兄さんと王妃一族を、ウォリック伯に一掃させ、その後の玉座にゆさぶりをかけようとしたバッキンガム公の爪の垢を煎じて飲ませたい。

しかも、リチャードという同志(?)を得たら、さっそく救出に向かおうとしてる、猪突猛進ぶりだし。

参謀(リチャード)が出来てよかったな。

夫は無能だし、愛息はおバカさんだし、マーガレット王妃の苦労が思いやられます。

◆4巻を読んだ時点の感想で書きました(本エントリ前半)。

ところで、エドワード王太子の「恋心」って、処×厨ストーカーの「思い込み」みたいなもんじゃね?と身も蓋もない感想が浮かびました。



わたしの感想に応じるかのように、リチャードに対して「お前は生娘なのか」と質すなんて、エドくんてば空気読める子!
じゃなくて、ずばり処×厨かよ、君は。

会話の流れを読めば、父親とリチャードの仲が気になっていて、探るつもりだったことと、直截にヘンリー6世との関わりを質せないためらいがあって、遠まわしの挙句が「生娘なのか」との問いになったと推測できるので、処×厨だと決めつけたくはないですが。

と、エドワード王太子をあげつらっておいてなんですが、おねーさんは、君がヴァージンか否かが気になるよ(笑)。
わたしは少女まんがのヒーローは、貞操堅固であって欲しいけどね。

◆史実に照らすと、「俺は王になる男なのだから」とのモノローグがなんとも切ないです。

◆エドワード王太子がリチャードを襲おうとして思いとどまった場面、通常なら「男をあげた」場面ですが、いろいろ思うところがあるのに、言葉がまとまらないもどかしさに満ちてます。

とりあえず、文章化できるとこだけ吐き出します。

エドワード王太子は、リチャードがまだ男を知らぬ体と知り、「他の男のものになるくらいなら」と、リチャードの同意なしに強引に抱こうとしました。

なんかねえ、このくだりを読んで、女って、処女なら処女で、「最初の男として烙印を押す対象(※)」として狙われ、経験済みなら経験済みで、「処女でないから、俺がやっても文句ないだろ」と狙われる。
「女」ってだけで、頻繁にヘテロ男性の性的な消費物として扱われている現実を思いました。

(※)男が押す烙印として破瓜については、こちらのエントリで書いてます。よろしかったらどうぞ。→
関連エントリ: 【おネエさまは何故童貞くんを選んだのか?】

女の側の意志は無視されて。
いや、「無視」ってのは、ともあれ、「受諾」か「拒否」かの意志があると認識されたうえでの行為なので、女に意志があるとすら思われず、ただ、男の側に「抱く」「抱かない」、あえて下種な表現をすれば、「やる」「やらない」の決定権があると思われている。
まさに意志なき消費物。

「女」としてのリチャードが被った経験は、全て男からのそういった視線と行為でした。

だから、エドワード王太子が思いとどまったことは、かっこよく見えますが、相手(リチャード)の側の決定の意志(受諾、拒否いずれであれ)を考慮しない、自分の決定権に酔ってるだけの姿でもあるのでは、と思います。うまく言えないけれど。

この子の「恋の始まり」って、ほんっと「リチャードを女と認識したから」、それだけなんですよね。

お前が女だから・・・だっ!
(第5話)



これをあかんと言ったら、古今東西の異性愛恋愛ものは成り立たないのですが、うーん、わからん。

以前の感想で書きました。

「女」と認識したとたん、リチャードを好意の対象としたエドワード王太子。
「女」と認識したとたん、リチャードを強姦の対象とした暴漢たち。

考えがまとまらないんだけど、二者とも同類じゃないかとも思います。
(第5話・第6話他)



いまだに考えがまとまってません。

◆思いとどまった翌日、「贈り物大作戦」を繰り広げていたけど、これも、健気ではあるけれど、エドワード王太子が勝手に「女の心を手に入れる」方法と思ってるだけであって、相手(リチャード)にとってどうなのかに考えが至っていない。

相手(リチャード)を知ろうとした父上(ヘンリーさん)の方が、人づきあいと言うか、他者を好きになることをわかってるのでは。

リチャード、
君の好きなものは何?
・・・好きな食べ物。
好きな歌。
空の色・・・。
雨の日に何して遊ぶ?
(第10話)


◆指摘したらいけないのかもしれないけど、16話終わりの脱出からリチャードは着替えをしていないのでは・・・?本話の様子を見れば、起きてる時はもとより、寝るときもあの着衣のままで。
最少で見積もっても五夜は経過していると思う。
これでは衣装もくたびれて、少々不潔になってそうで心配です。

エドワード王太子の好意を受け入れていた方が良かったのでは(笑)?

◆政治家、犬養毅(1855―1932)は、若き日、英文に接し、大統領も市民もすべて同じ一人称「I」を用いる平等さに瞠目し、そこから西洋の学問に関心を持ち、議会政治、立憲主義、市民制度を学んでいったそうです(お孫さんにあたる犬養道子さんの本で読んだはずだけど、どの本かはちょっと忘れた)。

英語って、原則、一人称は「I」のみ、二人称は「You」のみなんですよね。
一方、日本語は、一人称が「私」「俺」「僕」「あたし」「それがし」「おら」「うち」etc.
二人称も「あなた」「君」「おまえ」「てめえ」「貴殿」「あんた」など。

日本語では、対話相手との関係で一人称、二人称は変化します。
しかも「言葉」ってのは、人の「意識」にも影響があるからなあ。
たしかに、大統領も市民もともに「I」「You」で語り合える英語に瞠目した犬養毅の気持ちがちょっとわかるな。

何が言いたいかって言うと、せっかくの「引き」の場面なのに、二人称で思い切りネタばれしてるやん!!(この場合、ネタばれって言うのか?正体がばれてないのがばれてると言った方が適切か?)

見張りは言いました。

「見間違えるはずがない。お前は―――」



「王弟・グロースター公リチャード」との認識であれば、
「見間違えるはずがない。あなたは―――」
あるいは
「見間違えるはずがない。この方は―――」
となるはずです。
「お前」などと呼びません。

兜をかぶってるし、特徴に乏しいモブ顔だけど、この見張り、たしかにあの時のあんちゃんだ(笑)。

てことは、あの時追いはらわれた腹いせに、リチャードを追い返そうとするのか、あるいは嫌がらせも兼ねて、事前に味見させろと要求してくるのか。
がんばれ、リチャ&エド。

ところで、あの見張りがリチャードに気づいたのって、顔かたちだけでなく、衣装が同じだったからでは(笑)?
だから、エドワード王太子の好意を受け入れて(後略)。

◆心残りがないよう、リチャードの話し言葉にも触れとこう。

女装してるわりには、女言葉を用いず、普段通り、男モードで話しているリチャードですが、作中ではきっと英語で話してるのよ。
そして、英語は日本語に比べれば、性差が小さいから問題ないのよ。

先ほど述べた、一人称、二人称の問題も、日本語で「俺」を用いるのは男ですが、英語なら全て「I」となるので、男女の区別はありません。
同様に、日本語の「お前」は、女が用いると「なんて乱暴な」と呆れてしまわれますが、英語なら常に「you」であり、これまた男女双方が使用できます。

一人称、二人称の問題だけでなく、語尾や話し方全体の感じも、おそらく、英語であれば、性差は少ないと思います。

英語の性差が少ないと言うか、日本語の女言葉がへりくだりすぎだと思ってます、わたし。

「日本人の知らない日本語」第3巻に、「男同士が日本語の女言葉で会話をすると、喧嘩が減る」エピソードが紹介されていました。

作画者さんの友人である外国人男性は日本女性とつきあっている為、女言葉の日本語をしゃべるようになってしまった。
だったら、日本人男性と友だちになれば、男言葉が身につくよってことで、作画者さんが知人を紹介したら、後日、二人のしゃべり方が日本語の女言葉になっていた。
ミイラとりがミイラならぬ、日本人男性に女言葉がうつってしまった。
理由は「この話し方だと喧嘩が減ることが判明したのよね」

痴×に怒りを表明する時ですら、「やめろ!」は言い過ぎと責められ、「やめて下さい!」と「お願い」の形を取らなければならないのが、日本の女に課せられた話し方ですから。

本話、女装のままで、いつもと同じ横柄な男言葉で話しているリチャードが、すごく快かったです。
女装を意識した、女言葉ネームにならなくてよかった。

◆詰め物を入れてるのでなければ、リチャードの乳房が以前より大きくなってるような?
エドワード王太子がリチャードをしきりに「可愛い」と表現しているのは、恋愛フィルターがかかってるからかと思ってましたが、ひょっとすると、リチャードの女性性が増してるのかも。

◆エド兄さんが救出されたら、その後は悲劇まっしぐらなので、もう永遠に幽閉されてればいいよ。ウォリック伯と二人でSMプレイ(違)を楽しんで余生を過ごしてくれ、と言いたくなるくらい、この先は終幕まで悲劇の連続になるはず・・・。

読み返してみれば、わたしの感想もエドくん祭り状態だ。
ではでは、遅くとも5巻の感想に続く。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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コメント
この記事へのコメント
お初におめもじします。
初めてのコメントで失礼いたします。

わたしは英語が得意でないので、コメントするのも身の程知らずなのですが、松岡和子訳のシェイクスピア作品を読んでいると、当時の二人称には「you」と「thou」があり、「thou」が目下に使うらしいです。
だからって「お前は」の、言葉遣いの肯定にはなりませんね。

翻訳者が一人称、二人称、その他の言葉遣いを、物語の雰囲気や登場人物の性格に合わせて考えていかなければならないので、苦労するという話は、よく海外ものの小説の翻訳者後書きに書かれています。大変ですね。

それと、出産にまつわる話を少し。
イギリスやヨーロッパでは逆子に関する迷信などはあるのでしょうか?
わたしは知識がありません。
よくリチャード三世の悪口にある「逆子」。
「逆子」なら難産に決まっているし、母子ともに命が危うい場合もあります。普通、頭から出てくる赤子が足やお尻から出てこようとすると、赤子の脳に酸素が不足したり、介助者が引っ張りだそうとして、赤子の体にダメージを与える可能性もあります。
帝王切開術が確立していなかった頃、日本では賀川流と言って、母体優先で、赤子の体を砕いても、お産を終わらせる方法があったくらいですから、難産と判断されるケースは本当に命がけです。(賀川流は、鉄鉤を使います。もう母親の体力が持たないと判断された時、赤子の体を砕いてもとなるそうです。参考:『お産の歴史』杉立義一)


リチャード三世が「逆子」で、仮死で生まれてきて、死産と思われたが、蘇生したので、悪魔の仕業かと驚いたとか、介助者が無理に産道から出そうとして、身体的にダメージを受けたとか、有り得るかもしれませんが、『薔薇王の葬列』ではリチャード三世には脳や身体に分娩時のダメージがあるようには見えません。
また、漫画では産声の描写がなく、ただ介助者が、「おお、神様」と言っているばかり。
分娩直後や、その後数日は、赤子はパッチリ目を開くわけではないので、オッドアイかも見ていないでしょう。

リチャードの体の秘密については本当に両性具有でいいのか、謎が深まるばかりです。

セシリー様は難産の影響で産後うつがその後も続いている可能性もありますけど。シェイクスピア劇みたいにずうっと、リチャードに冷たく当たり続けるのでしょうか。

ヘンリー六世や、エドワード王太子、アン・ネヴィルの行く末を知っているので、リチャードは今後どのように振る舞っていくのか、楽しみで、怖いです。

かしこ
2015/07/24(Fri) 10:56 | URL  | 名取の姫小松 #-[ 編集]
Re: お初におめもじします。
>名取の姫小松さま

こんばんは。
コメントをありがとうございます。

英語の二人称thouの件について、教えて下さり、ありがとうございます。
「汝、そなた」にあたると読んだことがありましたが、きれいさっぱり忘れてました。

> 翻訳者が一人称、二人称、その他の言葉遣いを、物語の雰囲気や登場人物の性格に合わせて考えていかなければならないので、苦労するという話は、よく海外ものの小説の翻訳者後書きに書かれています。大変ですね。

日本語は英語に比べると一人称、二人称が豊富で、しかも、人称に性格や人間関係が反映されるので、訳者さんの悩みどころかと察せられます。

> それと、出産にまつわる話を少し。
> イギリスやヨーロッパでは逆子に関する迷信などはあるのでしょうか?

そういえば、リチャード三世悪名伝説に逆子もあったのに、全然結び付けてなかったです。
逆子にまつわる迷信は、わたしも詳しくないのですが、本業(?)の古代ローマ史では、世間的には悪名で知られる暴君ネロが逆子で生まれたとの伝承があります。
暴君ネロとリチャード三世がともに、逆子伝説と結び付けられている点に、当時、困難を極める逆子のお産が忌み嫌われていたのかなと思えました。

> リチャード三世が「逆子」で、仮死で生まれてきて、死産と思われたが、蘇生したので、悪魔の仕業かと驚いたとか、

このお考えも一理あると思います。
それに、姫小松さまが指摘なさるように、たしかに産声の描写はなかった・・・。
そして、産後欝って発想は全然なかったので虚をつかれました。

読者に情報が開示されているように見えて、けっこういろいろ想像の余地があって楽しいのですが、はらはらどきどきもしてます。

> リチャードの体の秘密については本当に両性具有でいいのか、謎が深まるばかりです。

煽りでも人物紹介でも「両性具有」と明記されているので、いまさら「嘘ですよ~」とはならないと思いますが、本編を読んでいると、断定してしまっていいのか?と、わたしにとっても謎が深まるばかりです。

超常的な要素のある作品なので、両性具有から男女いずれかの性別固定へと変化ってのもあるのかなとも思いついたりしてますが。

> 帝王切開術が確立していなかった頃、日本では賀川流と言って、母体優先で、赤子の体を砕いても、お産を終わらせる方法があったくらいですから、難産と判断されるケースは本当に命がけです。(賀川流は、鉄鉤を使います。もう母親の体力が持たないと判断された時、赤子の体を砕いてもとなるそうです。参考:『お産の歴史』杉立義一)

参考の書名まで記載して下さってありがとうございます。
参考文献大好きなのでたいへんありがたいです。

賀川流については、植松三十里さんの小説「千の命」とか杉本苑子さんの「鉤」で読んだことがあるので、リチャード三世の件を別にしても、ここで賀川流についてのコメントを拝見できてうれしいです。

> ヘンリー六世や、エドワード王太子、アン・ネヴィルの行く末を知っているので、リチャードは今後どのように振る舞っていくのか、楽しみで、怖いです。

そうなんですよねえ・・・。
エド兄さんが救出されたら、その後は怒涛の悲劇まっしぐら。
あの人も、この人も、と思うと、この先を読むのが辛くもあります。
しかし、作者さんは、辛い気持ちを吹き飛ばすほどの、物語をみせていってくださることと期待しております。

ではでは、コメント、ありがとうございました。
2015/07/25(Sat) 21:38 | URL  | サラ #ndrEhoxc[ 編集]
お返事有難うございます。
丁寧なお返事をいただきまして、有難うございます。

プリンセスの今月号を立ち読みしました。
リチャードは男性に襲われての恐怖体験があるのに、「この体は役に立つ」と冷たい割り切り方をして、女性の服をまとい続けています。
宇月原清明の『信長ーあるいは戴冠せるアンドロギュヌス』みたいに、妖しい魅力を発揮して周囲の男性を籠絡しはじめやしないかと、一瞬ギョッとしました。
少女漫画だし、イギリスはキリスト教国だからそれはないよね、と祈ります。

ヘンリー6世とエドワード王太子は別にして、ほかの周囲の男性のリチャードを見る目が気になるんです。(エドワード王太子の、第5話の『お前が女だからだ』は気の毒なほどイタい発言です。リチャードのリアクションが同じであっても、『Ladyを守るのは高貴なる者の務めだ』くらい言えればまだ格好もついたもの)
第8話でエド兄は「肌も乙女のように滑らかだ」と言い、ジョージ兄はリチャードの襟元が整っていないのにドキリとするし、第12話でバッキンガム公に「女みたいな顔してるぜ」と言いました。
普段から帯剣し、戦の時は重い甲冑を身に付けて動き回るのに、そこは漫画だからですが、リチャードは首や肩がほっそりして筋肉質に見えないと、男女の体格差を出そうとしている。

精神的に男性であろうとするリチャードと、女性的な特徴を持つ身体がどんどん乖離していって、苦しみ続けるのでしょう。周囲の男性への偏見や憎しみが、シェイクスピア劇のように展開するのかしら。

セシリーお母様は産後うつの可能性を書きましたが、親といえども人間で、子どもと相性が悪い場合もあります。子だくさんの親だと尚更、性別や、自分にとって好ましい成長をしている子どもに愛情が偏るケースがあります。
末子のリチャードのお産でわたしは死にかけた、その上リチャードは……で、と、リチャードをネグレクトしてしまう。
お父様のリチャードは、末子のリチャードが可愛い可愛い。もしかしたら、死産かと思って自分が抱き上げてみたら、産声を上げた、「(神の恩寵だ)この子に私の名前を与えよう」と、かなり勝手な想像をしてしまいました。

リチャード三世に神の恩寵を賜らんことを。

かしこ

追伸 『時の娘』は読んだことがあるのですが、大分昔でよく覚えていないんです。
2015/07/26(Sun) 11:04 | URL  | 名取の姫小松 #-[ 編集]
そんなわけはないけれど
始めまして、いつも楽しく感想拝見させて頂いております。

最近マサイ族妻のこのまとめを読んで、薔薇戦争時のイギリスもこんな感覚だったとしたら、エドワードもヘンリーも、ことにおよんだとしてもリチャードのやり方によっては女と思って終わるんじゃないかと思いました。
http://togetter.com/li/839409
ヘンリーは特に、あまりその辺マジマジと見たこともないと思いますし、エドワード王子も経験があったとしてもそんなにちゃんと見たことなかったりして……。そういう女もいるんだなと思って終わりそう。日本の陰間も女と思わせたまま終わる人とかもいたらしいですし。
まぁモブ下種や兄エドワードは経験豊かそうだしバレると思いますが。
というかお話的にはヘンリーにもエドワード王子にもことに及んだらバれると思います。

下世話ですいません
2015/07/27(Mon) 00:17 | URL  |  #-[ 編集]
Re: お返事有難うございます。
> 名取の姫小松さま

> 宇月原清明の『信長ーあるいは戴冠せるアンドロギュヌス』みたいに、妖しい魅力を発揮して周囲の男性を籠絡しはじめやしないかと、一瞬ギョッとしました。
> 少女漫画だし、イギリスはキリスト教国だからそれはないよね、と祈ります。

案外、逆に少女まんがだからこそ、主役らしく周囲の男性を籠絡していってくれても面白いなーと思いますw
ただ、リチャード本人が「女」であることを拒否しているので、本人が拒否する女性性を駆使するところを見るのは少々辛いものがありますが。

> ヘンリー6世とエドワード王太子は別にして、ほかの周囲の男性のリチャードを見る目が気になるんです。

幼い頃は、体格体力で他の男性に劣るような描写がありましたし、現在も、「小柄」らしいけれど、充分に戦場で役立つ戦士のように言われてますね。
おっしゃるようにそこは漫画だから、あんまり気にしちゃいけないんだろうなと思いつつ読んでます。

主だった男性キャラが程度の差こそあれ、リチャードに「女性性」を感じている現状は興味深いです。

> 精神的に男性であろうとするリチャードと、女性的な特徴を持つ身体がどんどん乖離していって、苦しみ続けるのでしょう。周囲の男性への偏見や憎しみが、シェイクスピア劇のように展開するのかしら。

17話までの展開を読んでいると、そんな感じですね。
自分の身体を受け入れることができない、否定せずにおれないのは、たいへん辛い状態だと思います。。。


> セシリーお母様は産後うつの可能性を書きましたが、親といえども人間で、子どもと相性が悪い場合もあります。子だくさんの親だと尚更、性別や、自分にとって好ましい成長をしている子どもに愛情が偏るケースがあります。
> 末子のリチャードのお産でわたしは死にかけた、その上リチャードは……で、と、リチャードをネグレクトしてしまう。

わたしはもう親の保護下から出た年齢なので、「親だって特別な聖人君子じゃないんだから」と、凡人ぶりも生暖かい目で見守れますが、庇護下にある子どもの立場では、辛いだろうと思います。
個人的には、母は子どもの為に命を捨てる!との決めつけは好きじゃないので、お産で死にかけて、リチャードを憎んだのであれば、シセリィお母さまの味方になりたいです。
一方で、パパさんが脳天気に子を可愛がってやれるってのも、自分で腹を痛めない気楽さ全開ですね。

出生にまつわる謎はまだ解明されていないので、判明する時が楽しみです。

>『時の娘』

遺骨発見ニュースの頃、書店に並んでいて、しかもAmazonでは電子書籍版も出ていて、こんな地味でマイナーと思われる本に日が当たるなんて!と少々驚いた覚えがあります(笑)。

内容をあまり覚えていらっしゃらないのであれば、もし、またお読みになる時、初読みのような楽しさがあるかもしれないですね。


> リチャード三世に神の恩寵を賜らんことを。

この後は悲劇まっしぐらですが、自分の「性」と「生」を呪うようなラストにはなりませんように・・・。
2015/07/28(Tue) 21:03 | URL  | サラ #ndrEhoxc[ 編集]
Re: そんなわけはないけれど
こんばんは。
コメントをありがとうございます。
(えっと、もし再度コメント下さるようなことがあれば、無記名でなく、捨てでもいいので、名無しとか通りすがり以外の、なにかハンドルネームを入れてくださいますか?よろしくお願いします。)

マサイ族のまとめの紹介をありがとうございます。
「食生活は民族間の相違が大きすぎて困る。それに比べれば性生活なんて単純なもの」と、大島直政さんが述べておられましたが、性生活にも文化の相違があるのですね(笑)。

そういえば、感想で紹介した「エム・バタフライ」の外交官は、女装スパイと性関係を持ったけれど、相手が男とは気づかなかったそうです。

だから、「やり方によっては女と思って終わる」ってのも有りだと思います。
ただ、リチャードは「女」の立場で性関係を持つのは嫌そうだし、そもそも、おっしゃるように、なんらかの形で、リチャードの秘密は知られるでしょうから、性関係には至らないでしょうけれど。

ではでは、コメント、ありがとうございました。
2015/07/28(Tue) 21:14 | URL  | サラ #ndrEhoxc[ 編集]
律義者の子沢山
はじめは『薔薇王の葬列』の感想を書いている方のブログを検索して拝読していましたが、サラ様は古代ローマ愛の方なんでね。
リウィアとアウグストゥスの、いえ、リウィアへの好意があふれているのが感じられます。

わたしは日本史、世界史区別なく大好きです。一応専門的に勉強しているのは日本上代史です。

サラ様がコメントしていたので、わたしもちょっと書きますが、何の予備知識ものなしに諏訪緑の『パピルスは神』を単行本で読んで、何じゃこりゃでした。続きを期待できるのですかね? これで終わりだったら、正直お金返してという気分なのです。

森護の『英国王室史話』で、お父様リチャードとセシリーお母様の間には八男四女の子供が生まれ、成人したのは四男三女とありました。
『薔薇王の葬列』ではお父様と一緒に戦死した兄一人と他所に嫁入りした娘を省略している訳ですね。

エドワード四世はアン王妃との間に十人子供がいたというし、多産で有名なハプスブルク家どころでないよなぁとしか言えません。

仲の良いラブラブ夫婦というより、野合や避妊が良くないこととされた当時のキリスト教の倫理観に従っているだけで、女性側は夫に浮気されるよりは、と我慢していたのでは言いたくなります。

―― 一方で、パパさんが脳天気に子を可愛がってやれるってのも、自分で腹を痛めない気楽さ全開ですね。

全く持って同感です。

かしこ

2015/08/01(Sat) 10:36 | URL  | 名取の姫小松 #-[ 編集]
Re: 律義者の子沢山
>名取りの姫小松さま

休業状態ですが、一応、古代ローマ、それもアウグストゥス&リウィア夫妻をピンポイントで応援しています。
「薔薇王の葬列」感想以外もお目通し下さったみたいで、ありがとうございます。

> わたしは日本史、世界史区別なく大好きです。一応専門的に勉強しているのは日本上代史です。

わたしも、歴史の話題なら日本史、世界史問わず大好きです。
歴史をまんがと小説で親しんだ人間なので、日本上代史とお聞きして、永井路子さんの蘇我女系にスポットをあてた作品やら、里中満智子さんの「天上の虹」を思いました。
いつも時代にもそれぞれの魅力がありますが、中華風の衣装をまとい、日本でありながらちょっとエキゾチックな雰囲気のある、面白い時代ですね。

>「パピルスは神」

本来はもっと長い構想をお持ちだったのでは、と想像するのですが、作者が続けたいと思っても、その願いを支えるだけの読者の支持がなければ、厳しいものらしいので・・・。

元々、掲載誌が創刊して二号目で立ち消えになってしまい、それに伴い、永遠に未完のままかと思っていたので、残念な気持ちはありますが、一応の結末をつけて出版にこぎつけたくださった関係者には感謝しています。

わたしの推しまんがって、控えめに表現してあんまりヒットしない様子なので、このたび「薔薇王の葬列」が順調すぎて、怖いくらいです(笑)。

> 森護の『英国王室史話』で、お父様リチャードとセシリーお母様の間には八男四女の子供が生まれ、成人したのは四男三女とありました。
> 『薔薇王の葬列』ではお父様と一緒に戦死した兄一人と他所に嫁入りした娘を省略している訳ですね。

シェイクスピアが原案なので、省略されちゃったんでしょうね。
個人的には、ブルゴーニュ公に嫁いだマーガレットお姉さまを見たいものですが。
(ブルゴーニュ公国への亡命も略されるんだろうなあ)

> エドワード四世はアン王妃との間に十人子供がいたというし、多産で有名なハプスブルク家どころでないよなぁとしか言えません。
> 仲の良いラブラブ夫婦というより、野合や避妊が良くないこととされた当時のキリスト教の倫理観に従っているだけで、女性側は夫に浮気されるよりは、と我慢していたのでは言いたくなります。

ティ「時の娘」で、探偵役のグラント警部が
「15世紀に子沢山であっても、それは夫婦が同棲していた証拠にしかならない(愛の証じゃない)」と、ちょっとシビアに見てました。

世継ぎを含めて、多くの子を恵んでくれる妻に、まったく愛情が湧かないとは言い切れませんが、一方で、「愛はなくても子はできる」というシビアな現実もありますし、子沢山を夫婦愛の証明と即結びつけるのは、あやういでしょう。

> ―― 一方で、パパさんが脳天気に子を可愛がってやれるってのも、自分で腹を痛めない気楽さ全開ですね。
> 全く持って同感です。

ご同意ありがとうございます(笑)。
今のとこ、パパさんに抱くわたしの印象はあまりよろしくないのですが(妻の苦悩ほったらかし。妻がリチャードに辛くあたってるのを気づいているのにほったらかし)、そのうち、こういう事情があったのだ!と、印象が逆転する過去エピが披露されるよう期待しております。

コメント、ありがとうございました。
2015/08/01(Sat) 21:36 | URL  | サラ #ndrEhoxc[ 編集]
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