2008年09月18日 (木)
Colleen McCullough 作「Antony and Cleopatra(アントニーとクレオパトラ)」が、先日届いたのでレポします。わたしが購入したのは、ハードカバー版
で、本文は約550ページです。
なお、ペーパーバック版はこちら
です。
リウィア(全てLivia Drusillaと表記)の出てくる箇所だけ探して目を通しました。
小説の感想ではなく、リウィア・レポであることと、読み間違いが多々ありうることをご了解ください。
結論を書くと、リウィアの描かれた方は、予想よりはマシな気がします。
予想はコチラの記事に記載 → 「Colleen McCullough最新作」
(「かなりマシ」と言ってもよさそうですが、英語理解には自信がないので「マシ」にしておきます。)
“Livia Drusilla, Octavian's power-hungry wife”
オクタウィアヌスの台頭の為に、的確な助言を欠かさないブレーンでしたが、「権力に餓えた妻」という感じはしなかったなぁ…。
まあ、ペルージア戦あたりで初登場した時、「はちきれんばかり野心はあったが、それをどうしたらいいかわからない」女性として描写されていましたが。
“the very clever Livia Drusilla, who most readers will remember from the 70’s BBC series, I, Claudius. ”
上の一文を知らなければ、わたしは、「この私、クラウディウス」は意識しなかったと思う。
それぐらい、グレイブス版とは異なっている、と、思います。(しつこいけど、わたしは英語の理解力に自信がないので断定できません)
(「とても賢い」は、あってます。下手すりゃ、オクタウィアヌスがリウィアの言いなりにみえないこともない。上のレビュアーはそれを言いたかったのか?)
グレイブス版では、リウィアはオクタウィアヌスのことを、自分が権力を振るう為の道具としてしか見ていなくて、まったく「愛」はありませんが、McCullough版「A&C」では、オクタウィアヌスに恋して結婚して、その後も夫婦仲はいいです。夫婦のスキンシップも、ちゃんとあるし。
例を挙げると、(多分)イリュリクムで負傷したオクタウィアヌスが戻ってきた時、心を痛め、泣いてキスして出迎えて、さらに夫の体調を案じて、しばらく別の所で眠りますと告げたけど、夫からは”No! All that has sustained me is the thought of lying next to you in our own bed”「わたしを支える全ては、隣で寝むあなたの考えからでたものだ」(この解釈でいいのか??)と却下されて、そのまま一緒にやすんでます。
クラ・ネロさんとの夫婦仲は不幸です。
二人目が出来たことを告げたら、余裕がないのに!と怒られて、傷心のまま遺跡に座り込んでいたら、偶然オクタウィアヌスが通りかかって、求婚されます。
クラ・ネロさんはオクタウィアヌスに敵意を抱いているので、すったもんだがありましたがなんとか離婚できて、結婚。
オクタウィアヌスとの再婚後は、先に書いたように、愛妻兼ブレーンみたいな存在になっています。
初めてリウィアに会ったアリッパが、政治談議の場になっても、席を外さない彼女を見てびっくりしてます。
前35年にリウィアとオクタウィアに付与された名誉(ウェスタ聖女特権)、イタリア全土忠誠の誓い、ティベリウスとウィプサニアの婚約、アグリッパの再婚、ドルススとアントニアの婚約等は、すべて彼女の提案によるものとされています。
ちょっと面白いのが、この小説では、リウィアがマルケルスとユリアの結婚を提案していること。
オクタウィアヌスの方がむしろ、「近いいとこなのに」と渋っています。
けれど、リウィアが「あなたの娘は王冠なき女王です。彼女の夫がだれであろうとも、たとえ身内でなくても、あなたの地位を継ぎます。カエサル(オクタウィアヌス)の娘と結婚した者は、あなたの後継者なのです」と言われ、リウィアの言の正しさを認めて、マルケルスとユリアの結婚を承知します。
ただ、物語の終わりの方で、Gaius Fonteiusとの再婚を希望して弟に願いでたオクタウィアが、弟相手ならば、却下にもひるまず食い下がっていたのに、弟の口から「じゃあ、リウィアに図ってみましょう。彼女の措置を尊重します。」と、リウィアの名が出たとたん、それだけはやめて!とおびえていたので、オクタウィアヌス家で、相当力を握ったようです。
全体の1/10くらいしか目を通していませんが、リウィアもオクタウィアヌスもそれほど悪くはない気がします。(あくまでも、「気がする」だけです…)
なにより、リウィアの出番がこれだけ多いパトラものって、初めてじゃないですか!?
たいていのパトラものでは、シェークスピアに倣ったのか、説明か、セリフで「オクタウィアヌスの妻」と言及される程度なのに。
例外的なのはカレン・エセックスの「クレオパトラ」ですが、これだってColleen McCullough「A&C」中のリウィアの出番と存在感には遠く及びません。
(あ、カレン・エセックスが「クレオパトラ」で描いたリウィアは好きです。)
先日、 パトラものの邦訳なんてもういらん!と記事にしましたが、勝手なことは承知の上で願います。
Colleen McCullough「Antony and Cleopatra」は、ぜひ邦訳して下さい!!
↓「歴史ブログ村」に参加しています。記事がお気に召したらクリックを!励みになります。
なお、ペーパーバック版はこちら
リウィア(全てLivia Drusillaと表記)の出てくる箇所だけ探して目を通しました。
小説の感想ではなく、リウィア・レポであることと、読み間違いが多々ありうることをご了解ください。
結論を書くと、リウィアの描かれた方は、予想よりはマシな気がします。
予想はコチラの記事に記載 → 「Colleen McCullough最新作」
(「かなりマシ」と言ってもよさそうですが、英語理解には自信がないので「マシ」にしておきます。)
“Livia Drusilla, Octavian's power-hungry wife”
オクタウィアヌスの台頭の為に、的確な助言を欠かさないブレーンでしたが、「権力に餓えた妻」という感じはしなかったなぁ…。
まあ、ペルージア戦あたりで初登場した時、「はちきれんばかり野心はあったが、それをどうしたらいいかわからない」女性として描写されていましたが。
“the very clever Livia Drusilla, who most readers will remember from the 70’s BBC series, I, Claudius. ”
上の一文を知らなければ、わたしは、「この私、クラウディウス」は意識しなかったと思う。
それぐらい、グレイブス版とは異なっている、と、思います。(しつこいけど、わたしは英語の理解力に自信がないので断定できません)
(「とても賢い」は、あってます。下手すりゃ、オクタウィアヌスがリウィアの言いなりにみえないこともない。上のレビュアーはそれを言いたかったのか?)
グレイブス版では、リウィアはオクタウィアヌスのことを、自分が権力を振るう為の道具としてしか見ていなくて、まったく「愛」はありませんが、McCullough版「A&C」では、オクタウィアヌスに恋して結婚して、その後も夫婦仲はいいです。夫婦のスキンシップも、ちゃんとあるし。
例を挙げると、(多分)イリュリクムで負傷したオクタウィアヌスが戻ってきた時、心を痛め、泣いてキスして出迎えて、さらに夫の体調を案じて、しばらく別の所で眠りますと告げたけど、夫からは”No! All that has sustained me is the thought of lying next to you in our own bed”「わたしを支える全ては、隣で寝むあなたの考えからでたものだ」(この解釈でいいのか??)と却下されて、そのまま一緒にやすんでます。
クラ・ネロさんとの夫婦仲は不幸です。
二人目が出来たことを告げたら、余裕がないのに!と怒られて、傷心のまま遺跡に座り込んでいたら、偶然オクタウィアヌスが通りかかって、求婚されます。
クラ・ネロさんはオクタウィアヌスに敵意を抱いているので、すったもんだがありましたがなんとか離婚できて、結婚。
オクタウィアヌスとの再婚後は、先に書いたように、愛妻兼ブレーンみたいな存在になっています。
初めてリウィアに会ったアリッパが、政治談議の場になっても、席を外さない彼女を見てびっくりしてます。
前35年にリウィアとオクタウィアに付与された名誉(ウェスタ聖女特権)、イタリア全土忠誠の誓い、ティベリウスとウィプサニアの婚約、アグリッパの再婚、ドルススとアントニアの婚約等は、すべて彼女の提案によるものとされています。
ちょっと面白いのが、この小説では、リウィアがマルケルスとユリアの結婚を提案していること。
オクタウィアヌスの方がむしろ、「近いいとこなのに」と渋っています。
けれど、リウィアが「あなたの娘は王冠なき女王です。彼女の夫がだれであろうとも、たとえ身内でなくても、あなたの地位を継ぎます。カエサル(オクタウィアヌス)の娘と結婚した者は、あなたの後継者なのです」と言われ、リウィアの言の正しさを認めて、マルケルスとユリアの結婚を承知します。
ただ、物語の終わりの方で、Gaius Fonteiusとの再婚を希望して弟に願いでたオクタウィアが、弟相手ならば、却下にもひるまず食い下がっていたのに、弟の口から「じゃあ、リウィアに図ってみましょう。彼女の措置を尊重します。」と、リウィアの名が出たとたん、それだけはやめて!とおびえていたので、オクタウィアヌス家で、相当力を握ったようです。
全体の1/10くらいしか目を通していませんが、リウィアもオクタウィアヌスもそれほど悪くはない気がします。(あくまでも、「気がする」だけです…)
なにより、リウィアの出番がこれだけ多いパトラものって、初めてじゃないですか!?
たいていのパトラものでは、シェークスピアに倣ったのか、説明か、セリフで「オクタウィアヌスの妻」と言及される程度なのに。
例外的なのはカレン・エセックスの「クレオパトラ」ですが、これだってColleen McCullough「A&C」中のリウィアの出番と存在感には遠く及びません。
(あ、カレン・エセックスが「クレオパトラ」で描いたリウィアは好きです。)
先日、 パトラものの邦訳なんてもういらん!と記事にしましたが、勝手なことは承知の上で願います。
Colleen McCullough「Antony and Cleopatra」は、ぜひ邦訳して下さい!!
↓「歴史ブログ村」に参加しています。記事がお気に召したらクリックを!励みになります。
この記事へのコメント
早速のレポありがとうございました。
前作での副題が「カエサルとクレオパトラの物語」となっていたのは看板に偽りありなのでたぶん編集側の意向だったのだろうなぁと思いましたが、今回もそうかもしれませんね。
前作での副題が「カエサルとクレオパトラの物語」となっていたのは看板に偽りありなのでたぶん編集側の意向だったのだろうなぁと思いましたが、今回もそうかもしれませんね。
『十月の馬』で、クラ・ネロが無能者でカエサルに激怒され然りとばされていた場面があったので、ではカエサルの後釜のオクタにも敵意があって自然だろう、ではあとでモメること必至だ、と思ったものですが、やはりそこは生きましたか。
マッシー版では、リウィアはマルケルスの能力を低く見ていたのでユリアとの結婚にも不賛成でしたけど、そのへん設定が逆なわけですね。
カレン・エセックスは、小説そのものよりも、後書きに反映したローマサイドへの悪意が不快でした。中身は、オクタの冷酷な悪役ぶりは、ひいきめで見ればそれなりに、もしも役者や演出によっては魅力的にできないこともないかもしれないと思いましたが(スクリボニアの産んだ子が自分そっくりなことを喜んでいるあたりはちょっと面白い)。
だからエセックスの『ダ・ヴィンチの白鳥たち』が出たときも、題材で関心は起きたけど読んでいません。
マッシー版では、リウィアはマルケルスの能力を低く見ていたのでユリアとの結婚にも不賛成でしたけど、そのへん設定が逆なわけですね。
カレン・エセックスは、小説そのものよりも、後書きに反映したローマサイドへの悪意が不快でした。中身は、オクタの冷酷な悪役ぶりは、ひいきめで見ればそれなりに、もしも役者や演出によっては魅力的にできないこともないかもしれないと思いましたが(スクリボニアの産んだ子が自分そっくりなことを喜んでいるあたりはちょっと面白い)。
だからエセックスの『ダ・ヴィンチの白鳥たち』が出たときも、題材で関心は起きたけど読んでいません。
>前作での副題が「カエサルとクレオパトラの物語」となっていたのは看板に偽りありなのでたぶん編集側の意向だったのだろうなぁと思いましたが、今回もそうかもしれませんね。
わたしが目を通したのは全体の1/10ほどで、リウィアが登場する場面だけなので、多分アントニーとクレオパトラの方にページをさいていると思います。
でも、オクタウィアヌスとその他の出番も多いようです。
> 『十月の馬』で、クラ・ネロが無能者でカエサルに激怒され然りとばされていた場面があったので、ではカエサルの後釜のオクタにも敵意があって自然だろう、ではあとでモメること必至だ、と思ったものですが、やはりそこは生きましたか。
カエサルへの敵意というより、オクタウィアヌス本人の出自が低いということで、軽蔑しているようです。カエサルのことは、一応貴族の出だからと一目おいている。
ただ、アントニウスが、クラ・ネロの無能ぶりを見て、カエサルはこの男(クラ・ネロ)のことを、最大限好意的にみて「馬鹿」と表現していたなあと、生あたたかく思い出しています。
つーか、クラ・ネロさんのキャラがひどすぎ!
宮尾が描いた、オクタウィアヌスみたいです。
> マッシー版では、リウィアはマルケルスの能力を低く見ていたのでユリアとの結婚にも不賛成でしたけど、そのへん設定が逆なわけですね。
そう言われて読み直したけれど、マルケルスを推している理由がよくわからない…。
マルケルスをかっているという感じはしません。
ティベもドルススも婚約済みだからか?
たんに、ユリアを身内以外の男と結婚させてはならないと思ったからなのか。
> カレン・エセックスは、小説そのものよりも、後書きに反映したローマサイドへの悪意が不快でした。
わたしも、彼女の後書きは不快でした。
ローマサイドに悪意を持つのは、ローマ側が、というか、オクタウィアヌス側が、戦術上、反クレオパトラ・キャンペーンを行い、クレオパトラを妖婦として仕立て上げたのは事実ですから、その点でパトラの肩を持つのは、一歩譲ってまあいいとしても、さらに、「オクタウィアヌスってこんなに冷酷なのよ」と、さも、新発見の事実であるかのように列挙して、「だから、わたしは、パトラを良く描いたのよ。これは正義よ!!」と言わんばかりの、勘違いしたアイタタぶりにムカつきました。
あんたが、偉そうに書いていることなんざ、常識だよっ、いまさら言うな、バカ、と。
>中身は、オクタの冷酷な悪役ぶりは、ひいきめで見ればそれなりに、もしも役者や演出によっては魅力的にできないこともないかもしれないと思いましたが(スクリボニアの産んだ子が自分そっくりなことを喜んでいるあたりはちょっと面白い)。
そういえば自分にそっくりと喜んでいましたね。
エセックスの「クレオパトラ」もリウィアが出てくる箇所しか読んでいません。
が、日本語なので、他の箇所もすこしばかり目を通して、雰囲気はわかります。なんか、「追憶のクレオパトラ」に似ている気がしました。
クレオパトラを持ち上げるあまりの自己陶酔なムードとか、アントニウスの気持ち悪いくらいのいい人ぶりとか。
リウィアは比較的好意的な描かれようでしたが、後書きから察するに、リウィアを「オクタウィアヌスの被害者」とみなしたので、そうなったんだろうと思えたので、ありがたくありません。
> だからエセックスの『ダ・ヴィンチの白鳥たち』が出たときも、題材で関心は起きたけど読んでいません。
エセックスも、自分の嫌悪をあらわにした為、読者を一人逃しましたね。
とはいえ、わたしも「嫌い」をはっきり書く性分なので、他人のことは批難できません。
わたしも、一応は好き嫌いは露骨にしないようにしています。
パトラものとかは、オクタウィアヌスだけでなく、クレオパトラ以外の女の描き方があまりにも不公平なので、それで罵倒せずにいられないだけなので、これは譲れぬ一線です。
(だから、カレン・エセックスにとっては、ローマ・サイド、オクタウィアヌス・サイドへの悪意が譲れぬ一線だったのかも。共感はしても、同意はできませんが)
わたしが目を通したのは全体の1/10ほどで、リウィアが登場する場面だけなので、多分アントニーとクレオパトラの方にページをさいていると思います。
でも、オクタウィアヌスとその他の出番も多いようです。
> 『十月の馬』で、クラ・ネロが無能者でカエサルに激怒され然りとばされていた場面があったので、ではカエサルの後釜のオクタにも敵意があって自然だろう、ではあとでモメること必至だ、と思ったものですが、やはりそこは生きましたか。
カエサルへの敵意というより、オクタウィアヌス本人の出自が低いということで、軽蔑しているようです。カエサルのことは、一応貴族の出だからと一目おいている。
ただ、アントニウスが、クラ・ネロの無能ぶりを見て、カエサルはこの男(クラ・ネロ)のことを、最大限好意的にみて「馬鹿」と表現していたなあと、生あたたかく思い出しています。
つーか、クラ・ネロさんのキャラがひどすぎ!
宮尾が描いた、オクタウィアヌスみたいです。
> マッシー版では、リウィアはマルケルスの能力を低く見ていたのでユリアとの結婚にも不賛成でしたけど、そのへん設定が逆なわけですね。
そう言われて読み直したけれど、マルケルスを推している理由がよくわからない…。
マルケルスをかっているという感じはしません。
ティベもドルススも婚約済みだからか?
たんに、ユリアを身内以外の男と結婚させてはならないと思ったからなのか。
> カレン・エセックスは、小説そのものよりも、後書きに反映したローマサイドへの悪意が不快でした。
わたしも、彼女の後書きは不快でした。
ローマサイドに悪意を持つのは、ローマ側が、というか、オクタウィアヌス側が、戦術上、反クレオパトラ・キャンペーンを行い、クレオパトラを妖婦として仕立て上げたのは事実ですから、その点でパトラの肩を持つのは、一歩譲ってまあいいとしても、さらに、「オクタウィアヌスってこんなに冷酷なのよ」と、さも、新発見の事実であるかのように列挙して、「だから、わたしは、パトラを良く描いたのよ。これは正義よ!!」と言わんばかりの、勘違いしたアイタタぶりにムカつきました。
あんたが、偉そうに書いていることなんざ、常識だよっ、いまさら言うな、バカ、と。
>中身は、オクタの冷酷な悪役ぶりは、ひいきめで見ればそれなりに、もしも役者や演出によっては魅力的にできないこともないかもしれないと思いましたが(スクリボニアの産んだ子が自分そっくりなことを喜んでいるあたりはちょっと面白い)。
そういえば自分にそっくりと喜んでいましたね。
エセックスの「クレオパトラ」もリウィアが出てくる箇所しか読んでいません。
が、日本語なので、他の箇所もすこしばかり目を通して、雰囲気はわかります。なんか、「追憶のクレオパトラ」に似ている気がしました。
クレオパトラを持ち上げるあまりの自己陶酔なムードとか、アントニウスの気持ち悪いくらいのいい人ぶりとか。
リウィアは比較的好意的な描かれようでしたが、後書きから察するに、リウィアを「オクタウィアヌスの被害者」とみなしたので、そうなったんだろうと思えたので、ありがたくありません。
> だからエセックスの『ダ・ヴィンチの白鳥たち』が出たときも、題材で関心は起きたけど読んでいません。
エセックスも、自分の嫌悪をあらわにした為、読者を一人逃しましたね。
とはいえ、わたしも「嫌い」をはっきり書く性分なので、他人のことは批難できません。
わたしも、一応は好き嫌いは露骨にしないようにしています。
パトラものとかは、オクタウィアヌスだけでなく、クレオパトラ以外の女の描き方があまりにも不公平なので、それで罵倒せずにいられないだけなので、これは譲れぬ一線です。
(だから、カレン・エセックスにとっては、ローマ・サイド、オクタウィアヌス・サイドへの悪意が譲れぬ一線だったのかも。共感はしても、同意はできませんが)
2008/09/20(Sat) 19:40 | URL | デラ | 【編集】
| ホーム |








