2015年09月12日 (土) | Edit |
【池田理代子「アンドレが童貞でないことを受け入れる女性読者の心理について】及び【おネエさまは何故童貞くんを選んだのか?】に続く最終エントリです(リンクは後述)

前回、「男が女に刻印する烙印としての破瓜」を語りました。
つきつめれば、「チ×コ至上主義」。
考えてみれば、セックスが、しばしば「男が女を支配するもの」と受け止められてるのも「女はチ×コを挿入されてこそ満足する」「チ×コだけが女を満足させる」との幻想があるからでしょう。

そんな「チ×コ挿入万能ファンタジー」への反論となる一作と、逆に、その幻想を抱く男が登場する二作を語ります。

その前に前座として「ゴルゴ13」を。


↑コラボしている「養命酒」で代用しました。

ゴルゴとベッドインしたレズビアンの殺し屋が、ゴルゴのチ×コとテクに籠絡されたという、「チ×コ挿入万能ファンタジー」丸出しの話があったなあ、と思い、「ゴルゴ レズビアン」で検索したのですが、出てきたのは、ゴルゴがチ×コでレズビアンを威嚇した話だけでした。レズビアンとのベッドイン話は、別の作品だったのかな。

それはともかく、「チ×コでレズビアンを威嚇した話」も、挿入こそなけれ、「チ×コ万能ファンタジー」には違いない。
ゴルゴはチンコを披露して、レズビアンの殺し屋を追い詰め返り討ちにします。披露した理由は、「レズビアンの女は潜在的に男根を恐れているから」。

アホくさ。

この理屈の流れって、「女が女を愛するなんて変だ!男性恐怖だから女に走ったに違いない!!だから、レズビアンはチ×コを恐れるに違いない!!!」なんですかねえ?
そもそもレズビアンだからといって、男性恐怖とは限らない。ましてやチ×コが怖いなんて短絡にすぎる。

チ×コ丸出しで殺し屋の前に立ったなら、急所を撃たれてお終いだろうが、ばーか。
どんだけ「チ×コ万能ファンタジー」に浸ってんだよ、と、憤慨したところで、前座は終えて、本題へ。


「Moonlight Flowers 月下美人」
作者:津雲むつみ


レズビアンをテーマにした一作。
(1990年、1991年作)

あらすじ
高校時代、ボーイッシュな薫と手弱女な佐保子は仲の良い友人であったが、薫からの口づけをきっかけに疎遠になる。
あれから7年、結婚を控えた佐保子は同窓会で薫と再会し、再び友だちづきあいが始まる。
佐保子の心は揺れていた。女同士の恋などあり得ないと思い、高校時代は薫から離れた。女がいつまでも独身(ひとり)でいるわけにはいかないと男との結婚も決めた。
しかし、どうしても夫に馴染めない佐保子に、夫は苛立ち外に女を作った。
自分が悪いのだと自分を責めて我慢していた佐保子であったが、浮気相手が離婚を促してきたことをきっかけに、薫に助けを求めた。
高校時代から愛していたと告白された佐保子は薫を受け入れ、佐保子の夫からの妨害等を乗り越え、二人で生きていくことを決意する。



本作には、たいへん興味深いセリフがあります。

男はなぜレズビアンを嫌うか。それは、男の最後の牙城であるセックスにおける絶対支配「チ×コだけが女を満足させる」との思い込みを打ち砕くから、といった意味の説明を、ヒロインの一人である薫が語っています。

「特に『性』はね、男にとって最後の砦よ・・・。男にしかできないことがあるの。
『女を愛すること』 精神的にも、もちろん肉体的にも。・・・男はみんなそう思っている」



妻(佐保子)が愛する相手が「女」だと知った夫は逆上し、佐保子を組みしき無理やり挿入しながら、「おれのコレよりあいつのバ×ブがいいのか!」と大声で罵りました。

この怒りようは
「チ×コを否定されたから」だと思います。

しかも「バ×ブ」って・・・。
「チ×コ」がなければ、「バ×ブ」だと決めつけるなんて、どこまでいっても、女を満足させるのは、「チ×コ」(もしくは「チ×コ」もどき)しかないと思い込んでいます。
「チ×コ」なしの性愛の充足が有り得るとは想像もできないのでしょう。

本作は、「チ×コだけが女を満足させる」との思い込みを否定し、「チ×コ」の介在のない女同士の愛(性愛も含めて)を、キワモノでもなく、イロモノでもなく、真摯に描いた作品です。

「女の自立」にも触れています。
「結婚して夫に養ってもらう」、そんな生き方しか知らない、できないと思い込んでいた佐保子でしたが、薫と相愛になってからは、養われているだけではだめなのだと理解し、「薫と対等の立場になって、ちゃんと向かい合って愛しあいたい」と、その一歩を踏み出しました。


しかしながら「チ×コ挿入万能ファンタジー」は蔓延しています。
その思い込みのままに、女同士の愛を軽んじているのでは?想われる男キャラを語ります。

 

池田理代子「クローディーヌ・・・!」
ならびに、元ネタであると言われている
「性的倒錯―恋愛の精神病理学」
著者:メダルト・ボス
訳者:村上仁、吉田和夫


「クローディーヌ・・・!」昭和53年発表の作品です。
当時は認知されていなかった「性同一障害」がテーマです。
レズビアンがテーマではありませんが、後述するクローディーヌの兄は、クローディーヌとシレーヌの関係をそう見なしていたと推測できます。そして、初読み以来、兄のセリフにひっかかりがあったので、今回の題材にしました。

とある精神科医の元に、母親とともに訪れた幼い患者、クローディーヌ・ド・モンテス(※)
自分を「男」だと語る「彼女」の一生が、精神科医の回想の形で物語られます。

(※)本人の意志を慮れば「クロード」と呼ぶべきかもしれませんが、題名を尊重し、「クローディーヌ」表記とします。

クローディーヌ本人は「男」と自覚し、そう振る舞っています。
しかし、兄たちをはじめ世間は「女」とみなしています。
美しく利発で活発なクローディーヌを、「女らしくない」と謗ることはなく、美点の数々を愛していましたが、それでも、クローディーヌを「男」とみなすことはありませんでした。

「男」であるクローディーヌの恋愛性向はヘテロであり、初恋、セカンドラブ、そして三度目にして最後の運命の恋に至るまで、女性に恋してました。

悲恋に終わった初恋及び二度目の恋とは異なり、最後の恋人である、運命の女、シレーヌ・ヴェルジュとは相愛の喜びを得、ともに暮らしました。
世間の目には「女同士」の同居としか映らなくとも、二人は「身も心も」愛しあい、蜜月を過ごしました。

しかし、ある日、シレーヌは、クローディーヌの長兄アンドリューと出会い、互いに惹かれます。
そして、彼から求愛されたシレーヌは、クローディーヌに別れを告げます。
「良いお友達にもどりたい」と。

兄への心変わりを罵るクローディーヌからシレーヌをかばい、アンドリューは穏やかに「妹」を諭します。

おまえとのことは彼女から聞いて知っているよ。
ぼくは許せるつもりだ。
おまえは女なのだし…。



あー、やっと検証したいセリフにきました。

「許せる」も、お前なにさま、なんですが、さらにひっかかるのが次の言葉。「おまえは女なのだし」。

おまえは女なのだし。
おまえは女なのだし。
おまえは女なのだし。

これがなければ、「許す」は、同性愛そのもの(キリスト教的には悪)を指しているのかと思うところですが、「おまえは女なのだし」が付加されたことで、シレーヌの「過去の恋愛経験」を指していると推測しました。

そう、「女は無垢(処女)のまま男に捧げられなければならない」(※)から、それに反して、過去にクローディーヌとの恋愛経験のあるシレーヌを「僕は許せるつもりだ」。

その理由は「おまえは女なのだし」。

直感的にアンドリューのセリフをかみくだけば次のようになるかと思います。

おまえとシレーヌが肉体関係のある仲だったとは彼女から聞いて知ってるよ。
でも、ぼくは許せるつもりだ。
おまえは「女」だから、チ×コを持ってない。
シレーヌは男のチ×コに犯されていないのだから、ぼくは許せるよ。



「チ×コの挿入だけがホンモノの性愛」であると思い込んでいる言い分だと思うのです。

もっと言えば、「チ×コは男が女に押す烙印」であるとみなしている。
だから、「チ×コ」を挿入されていない、シレーヌを「許せる」のでしょう。

「チ×コによる烙印」のやっかいな所は、「挿入したか否か」は問われないことです。

おそらく、シレーヌが男と同棲していたら、たとえ、性愛のない関係であっても、アンドリューは許さなかったと思います。
「男と暮らした」イコール「チ×コを受け入れた=烙印を押された女」、即ち、こういう言い方したくないけれど「疵物」なのですから。

(※)作者さんつながりで。アニメ版「ベルサイユのばら」。
アンドレと結ばれる時、オスカルも「過去の恋愛経験」を謝罪していましたなー。
「私はかつてフェルゼンを愛した。お前に愛されているのを知りながらもフェルゼンを愛した。 そんな私でも尚、愛してくれるのか?」
ここで重要なのは、「アンドレに愛されていることを知りながら」の箇所かもしれませんが、しかし、やっぱり許しを乞うとことじゃないと思うわ。



今、「挿入したか否か」は問われないと語りましが、別作品で、挿入どころか「愛情」すら皆無にも関わらず、「チ×コを知ることは女にとって男の烙印を押されたも同様」であるとみなした男がいます。


TONO「カルバニア物語」4巻収録
21話「うわさのふたり」


カルバニア王国の年若い女王タニアと乳姉妹で男勝りの公爵令嬢エキュー・タンタロットを中心としたストーリー。
(Wikiより引用)



「男勝り」と紹介された通り、エキュー・タンタロットは男装も好む女性です。
「男装も」と表現したのは、エキューのことを「女性性を嫌っている」とか「女を否定している」と誤解されたくないから。
エキューは女装もします。そして、自分にとって心地よいから男装もしています。
別に「男になりたい」のではありません。

おっと、つい力を入れてエキューを語ってしまったぜ。

元に戻して、本題に入ります。
先に述べた通り、エキューは男装も好みます。普段は男装が多いです。そして中性的な外見の為、男装すると凛々しい美少年、すなわち、周囲からは「男」だと認識されがちです。

だから男装時の排泄は、男子トイレを利用しています。
「だって、おれがこれで女性用に入ったら悲鳴があがるだろ」。

男子トイレに出入りしているので、チ×コを見る機会もあり、本人いわく「何十本も見た」。見てきたチ×コを絵に描いて、友人であるタニアに披露したりもしています。
「大きくてこのくらい、小さくてこのくらい」等、観察評も加えながら。

さて、21話時点でエキューには求愛者がいました。
ニックス公爵ライアン。
エキューより7~8歳年上である彼は、タニアとエキューの仲が良すぎて、レズ!?との噂がたった時も、余裕綽々の態度でエキューに求愛していました。
しかし、ライアンにとっても友人であるタニアから、くだんの「エキューのチ×コ観察イラスト」および「エキューはもう何十本ものチ×コ見た経験がある」と知らされた時、頭を抱えて呟きました。

「あんた(タニア)とできていた方がマシだった・・・」



ほおお、チ×コを見た女であるよりことは、レズビアンであるより困りもんなのですか?
ライアン、あんたも、「チ×コだけが女を満足させる主義者」ですか。

ライアンの言葉に呆れるのは、「エキューはチ×コを見ただけ」って点です。
なのに、「あんたとできていた方がマシだった・・・」

この言い様から推測するに、ライアンの頭の中では、「チ×コを見た女=チ×コを受け入れた女=男の烙印を押された女」との等式と、「チンコを見た女であること<レズビアン」が成立してるんじゃないでしょうか。

さらに腹が立つのは、ライアンが同性愛者ってことです。
(そもそもが異性愛性向で、女のエキューに恋愛感情を抱いたのだから、バイセクシャルと言った方が適切か?)

自分が同性愛者であるにも関わらず、女の同性愛をチ×コ以下と見なしている。
腹が立つ男だ。

そもそもライアンは異性愛性向でした。
初めての女に裏切られて、それをきっかけに「女は汚い」からと、同性愛、それも年少の少年愛性向に走った経緯でして。
ミソジニー傾向も持ってるんじゃね?

ただし、タニア女王の記念式典において、「女ものの錫」を使うことを厭わないところをみせましたので、ミソジニーというより、自分が好む人間にはとことん親切、ただし、自分が常に優位にある限り親切という、オレサマ男かもしれん、この人。
10巻でエキューに発情期が訪れ、ライアンと身体でも恋人同士となり、16巻現在も仲は継続しています。

しかし、わたしはライアンとは別れて欲しい。
ライアンはエキューにふさわしくない!

エキュー自身も発情時、「英雄色を好むの女版」、「てはじめにライアンと恋人同士に」と宣言してたので、ライアイン一筋で終わらないことを期待します。
バスクのフランがエキューを待ってるぞ(笑)!

関連前エントリ: 【おネエさまは何故童貞くんを選んだのか?】

本エントリの主題から外れますが、最近気づいたこと。
エキューの男子トイレ利用って、これ男女逆なら犯罪ですよね。
女だからといって、また、エキューに「のぞき見」意識がないとはいえ、彼女の行為は男性の性的プライバシーを侵害しています。
タニアに「チ×コ絵」を披露しているのも、ひどい。

わたしも先日気が付いたので偉そうには言えませんが、女→男の性加害は加害として認識されない、あるいは認識されにくい一例です。

(男子まんがによくある、女子更衣室や女風呂覗き&男子による覗き見した女の品評会を風刺したものである可能性も微レ存・・・?)

こんな形での紹介になりましたが、「カルバニア物語」はフェミニズムと少女まんがのみごとな融合と言える作品です。オススメ!

・・・オススメ!と書いたものの、そういえば「フェミニズム」って、世間からおっそろしく偏見を持たれてるよなあ、このススメ方ではかえって敬遠されてしまうか!?と心配になりました。

おっそろしく偏見を持たれている例:
【青池保子「パリスの審判」と「熊猫的迷宮」】


フェミニズムの定義とは、男性も女性も平等に権利と機会を与えられるべきであるという信念です。つまり、男女は政治的、経済的、そして社会的に平等であるべきであるという考え方です。
【エマ・ワトソンが挑戦する“新しいフェミニズム”の取り組み】より引用)



とりあえず、上にリンクしたエマ・ワトソンのスピーチに共感できる人、理解できる人なら、「カルバニア物語」を楽しく読めると思います。
偏見と憎悪に満ちた、男気取りで女を見下し、偏見と憎悪を吐き出すのが大好きな、「名誉男性」歴女には理解できないスピーチであり、作品でしょうけれど。
正直、このスピーチ内容が「新しい」とは思えないんですけどね。
グロリア・スタイナムなど1970年代に、「フェミニズムはアンチ・ナショナリズム」「性とか人種とかによって生まれながらに規制されないような、そういう公平な社会。そして、多様な価値や生き方が許容される社会」と提唱してたし。

けれど、エマ・ワトソンのスピーチがことさら「新しい」と呼ばれるほどに、フェミニズムに対する誤解と偏見が大きいということでしょう。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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コメント
この記事へのコメント
皇帝円舞曲
お久し振りです。またお邪魔します。

『エロイカより愛をこめて』の『皇帝円舞曲』でエロイカは、オペラ『トゥーランドット』を欺瞞的な話と言いきっていました。会話の流れもあるけれど、エロイカはミソジニー、まあ女装をする割には女性が嫌いなんだな、と感じます。『グラスターゲット』の回も、ヒドイと言ったらヒドイけど。

ルディ君は、女性にもいるじゃないですか。女性に対して男性に楯突くなとか、家庭を大事にと説教する女性。あれの男性版にするべく教育されている。

塩野七生の短編小説『エメラルド色の海』を『エーゲ海の鷲』という題名で漫画化したのは青池保子ですね。発表当時の年代(単行本の初版は昭和52年、『イブの息子たち』二巻に入っています)と読者受けを考えて、ヒロインが人妻から婚約中の少女になり、確かに砂糖をたくさん入れた紅茶と化していした。スペインが単純化された悪役として登場するので、まだ、青池保子としては重厚な歴史ものを発表したいが発表できないでいる頃だったのかも。
これは原作ではなく、一種の参考・リスペクトの作品。でも、これをあなたの小説を下敷きにした漫画です、と読まされたら、漫画に対して虚心でいられなくなるかも知れません。

わたしが『カルバニア物語』の勝手に名言葉にしているのは、『女のパンツを脱がせちゃいかん』です。
そりゃそーだ。

TONOさんたちうぐいす姉妹のお父さんはお医者さんで常々娘たちに、「男性にとってエロ本は、女性のナプキンやタンポンと同じようなものだから、旦那さんが持っていても怒らないように」と言っていたそうです。
医者を家族・親戚に持つ彼女たちは、診察の時、ぱっぱと脱いで、医者から「恥ずかしくないんですか?」と言われ、医者やナースの前で裸になったって恥ずかしない! という会話をしていた覚えがあります。(この辺、『おれたちの葬式』か、『けしからぬ話』か記憶が曖昧です)

エキューは自分が月経の時はきちんと公言します。
自分のあるがままを大切にしているし、周囲に伝えることに躊躇はありません。
公爵だから、ではなく、立派にエキューの個性。

タニアも女王というより、自分自身を持っている。そういう意味では、エキューと結婚できなくてもいいと考えが至るまでのライアンの自覚はおそかったですね。

わたしはライアンが嫌いじゃないんです。コンラッド王子の方が駄目。

かしこ
2015/09/14(Mon) 12:16 | URL  | 名取の姫小松 #-[ 編集]
Re: 皇帝円舞曲
>名取の姫小松さま

こんばんは。

> 『エロイカより愛をこめて』の『皇帝円舞曲』でエロイカは、オペラ『トゥーランドット』を欺瞞的な話と言いきっていました。会話の流れもあるけれど、エロイカはミソジニー、まあ女装をする割には女性が嫌いなんだな、と感じます。『グラスターゲット』の回も、ヒドイと言ったらヒドイけど。

おっしゃるように伯爵は女嫌いですね。
少佐と一緒に法王庁に侵入した話の時も、女性の体を指して「そんなあちこち出っぱった女性の体に障りたくない」と言ってましたし。
それはそれで伯爵の個性ですし、対人関係では礼儀を守ってるし、自分から女に嫌がらせを仕掛けていくことはしないので、そういう点では、ありがたいです(ミソジニー男性は、女性に嫌がらせでからんでくることが多いと言われてるのに)。


> ルディ君は、女性にもいるじゃないですか。女性に対して男性に楯突くなとか、家庭を大事にと説教する女性。あれの男性版にするべく教育されている。

腑に落ちました!
なんで、あの急進的な団体が、男の子を一応虐待せずに育ててたのか解せなかったのですが、「名誉女性」を養成してたわけですね。

> 塩野七生の短編小説『エメラルド色の海』を『エーゲ海の鷲』という題名で漫画化したのは青池保子ですね。
> これは原作ではなく、一種の参考・リスペクトの作品。でも、これをあなたの小説を下敷きにした漫画です、と読まされたら、漫画に対して虚心でいられなくなるかも知れません。

わたしは「エメラルド色の海」も「エーゲ海の鷲」も好きなので、いろいろ事情を察することはできるのですが、複雑な気分です。
間に入った編集さんあたりが、少女まんが事情(原作通り年齢の高い人妻では想定読者に受けないから改変します等)を説明していなかったんですかねえと、残念に思います。

「エーゲ海の鷲」も少女まんがの縛りのなかで頑張ってると思います。
3年半ほど後には、海軍強制徴用で幕を開け、恋愛要素皆無の、「トラファルガー」を発表されておりますが。

でも、ななみんの気持ちもわからんでもないです。
名取の姫小松さんがおっしゃるように、「漫画に対して虚心でいられなくなる」と。

> わたしが『カルバニア物語』の勝手に名言葉にしているのは、『女のパンツを脱がせちゃいかん』です。
> そりゃそーだ。

いいセリフなんですが、ヤナ野郎だったもので、その程度では許せないぞという心境でいます(笑)。

> TONOさんたちうぐいす姉妹のお父さんはお医者さんで常々娘たちに、「男性にとってエロ本は、女性のナプキンやタンポンと同じようなものだから、旦那さんが持っていても怒らないように」と言っていたそうです。

??あれ、なんか、東日本大震災の時、送られてきた生理用ナプキンを現場の男性の判断で却下されたとかいう噂を聞いたことがあります。わたしのTL上では、男性は、「ナプキン=エロ」との認識だったのではないかとの推測が出ていました。

TONOさんのお父様のことですから、下卑た気持ちでおっしゃったのではないでしょうけれど、もっと適切な譬えはなかったのかなと。

> 医者を家族・親戚に持つ彼女たちは、診察の時、ぱっぱと脱いで、医者から「恥ずかしくないんですか?」と言われ、医者やナースの前で裸になったって恥ずかしない! という会話をしていた覚えがあります。(この辺、『おれたちの葬式』か、『けしからぬ話』か記憶が曖昧です)

身内に医者はいなくっても、わたしも医者の前での裸は平気ですw

> エキューは自分が月経の時はきちんと公言します。
> 自分のあるがままを大切にしているし、周囲に伝えることに躊躇はありません。
> 公爵だから、ではなく、立派にエキューの個性。
> タニアも女王というより、自分自身を持っている。そういう意味では、エキューと結婚できなくてもいいと考えが至るまでのライアンの自覚はおそかったですね。

シンプルに近い絵柄で、飄々とした作風なのですが、すごく深いし、考察しようと思えばいくらでも考察できて、読みでがあります。「カルバニア物語」。そんな「カルバニア物語」を支える、エキューとタニア、それぞれ個性的ですてきですね。

> わたしはライアンが嫌いじゃないんです。コンラッド王子の方が駄目。

「カルバニア」の男性陣は、わりかし「いい男」が多いので、少しの瑕瑾でも目立ってしまいます。
わたしはやっぱりライアンとは別れて欲しいな、エキューは。

では。
2015/09/15(Tue) 21:07 | URL  | サラ #ndrEhoxc[ 編集]
No title
お返事有難うございます。

わたしも身内に医者はいませんが、医療機関で裸になるのは平気です。産婦人科医や助産師で男性は嫌だという意見に、プロフェッショナルに失礼だ、セクハラの一種じゃないかと感じる方です。

弟が介護の勉強をしていた時、「力のある男の人来て!」の呼び掛けに駆けつけたら、当のお年寄りから「お姉ちゃんにお世話されたい」と言われたそうです。お年寄りの性別を確かめなかったけれど、介護士の受けるセクハラ行為の話題に弟が入ってきた流れから、男性だったと思われます。


『カルバニア物語』は飄々としているのですが、時々えっ! のシーンが出てきます。エキューの所為で婚約破棄された男性の逆恨みから襲われた時、エキューは見事返り討ち。
でもねぇ、血塗れのドレスに笑顔で女王の前に出てきて、「死体を埋めていて」はないぞ、がありました。ラストページだからギャグかと思ったら、過剰防衛で裁判になっているので、ギャグじゃなかった。
主要な登場人物の長所も欠点も余すところなく描くのが、この漫画のよい点ではあります。
男性キャラがヤナ野郎だろうが、お人形さんのように良く出来た王子サマだろうが、面白がっております。

かしこ
2015/09/16(Wed) 10:23 | URL  | 名取の姫小松 #-[ 編集]
第二第三
 ライアンxエキューのカプに反対ではありませんが、そもそもエキューの「英雄色を好む」宣言から始まっているので、ほかの相手も出てくるほうがバランスが取れそうだし、TONOさんならばそれで盛り上げることが充分にできると思います。プラティナに再会した時に、ライアンを、「私の一番目の彼氏」と言っているところを見ると、第二第三の可能性も排除していないようです。

 「前座」のゴルゴの話・・・ギャグにしか思えませんな。女の気持ちとしては威嚇されるのではなく、「汚らしいもの見せるな!」でスドン! のほうがはるかに自然でしょうに。
 女神アルテミス様、こいつ射殺してやって下さいな。
2015/09/16(Wed) 10:38 | URL  | レーヌス #t1rTeCTA[ 編集]
>名取の姫小松さま

> わたしも身内に医者はいませんが、医療機関で裸になるのは平気です。産婦人科医や助産師で男性は嫌だという意見に、プロフェッショナルに失礼だ、セクハラの一種じゃないかと感じる方です。

性的な羞恥心も占める分野ですから、一応、女性の患者さんの「同性がいい」との気持ちは尊重したいと思います。
わたし自身は、婦人科健診の医師が男性でも平気ですが(あれは「男」じゃない。「医師」という生き物だ)

> 弟が介護の勉強をしていた時、「力のある男の人来て!」の呼び掛けに駆けつけたら、当のお年寄りから「お姉ちゃんにお世話されたい」と言われたそうです。お年寄りの性別を確かめなかったけれど、介護士の受けるセクハラ行為の話題に弟が入ってきた流れから、男性だったと思われます。

どこの職場でも、パワハラ、セクハラの問題は入りこむものですが、介護現場は深刻ですね。
ちょうど、介護施設で入居者が謎の転落死、さらに、介護職員による虐待告発ビデオがニュースで公開されたりして、この件では、介護職員による虐待でしたが、入居者からのパワハラ、セクハラはニュースにならないけれど多いと聞いています。

> 『カルバニア物語』は飄々としているのですが、時々えっ! のシーンが出てきます。エキューの所為で婚約破棄された男性の逆恨みから襲われた時、エキューは見事返り討ち。

ほんとに人殺ししてたんだ~と、引いたりはしませんでしたが、作品世界にそぐわない気がして、初読み時は面喰いました。

> 主要な登場人物の長所も欠点も余すところなく描くのが、この漫画のよい点ではあります。
> 男性キャラがヤナ野郎だろうが、お人形さんのように良く出来た王子サマだろうが、面白がっております。

はい、いろんなキャラがいて、それぞれ美点も欠点も持つ人々で、その人たちで成り立っている物語。
思いがけない話の展開もあったりして、楽しく読んでおります。ありがたい。

では。
2015/09/16(Wed) 20:31 | URL  | サラ #ndrEhoxc[ 編集]
Re: 第二第三
>レーヌスさま

>ライアンxエキューのカプに反対ではありませんが、そもそもエキューの「英雄色を好む」宣言から始まっているので、ほかの相手も出てくるほうがバランスが取れそうだし、TONOさんならばそれで盛り上げることが充分にできると思います。

そう、わたしは期待してるんです。
第二、第三の男が現れるのを。
なんだったら、エキューがハーレム状態になって、父を特定できない子を身籠っちゃって、でも「母親はわたしってわかってるから問題無し」と堂々と赤ちゃんを産む展開も良し!

>  「前座」のゴルゴの話・・・ギャグにしか思えませんな。女の気持ちとしては威嚇されるのではなく、「汚らしいもの見せるな!」でスドン! のほうがはるかに自然でしょうに。
>  女神アルテミス様、こいつ射殺してやって下さいな。

まさに「汚らしいものを見せるな!」ですよねえ。
ほんと、硬派アルテミスの出番ですな。
2015/09/16(Wed) 20:36 | URL  | サラ #ndrEhoxc[ 編集]
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