2015年10月19日 (月) | Edit |
ちょいと哲学者っぽいタイトルですが、わたしのエントリなので、たいした内容じゃないです。

ある日の散策中、いつもと違う道を通ったら、美味しい軽食と手頃な価格のおしゃれカフェを見つけ、気に入ったので、リピートしました。

何度目かの訪問時、ふいに漂ってきたのが、煙草の煙。
驚いて煙が漂ってきた方向に目を向けると、ぷかーと美味しそうに煙草を喫うお客さんが。

わたしは煙草の煙が大嫌いなので、ゆっくりする予定でしたが、急いで注文の品を食べ終え、レジにてそっとお聞きしました。
「あの、このお店は喫煙可だったんですか?」
「はい、そうです」
「分煙もされてないのでしょうか?」
「申し訳ありません。分煙してないんです」

3回以上通いましたが、どうやらその時、わたしと同じ時間帯にいらしてたのは、わたしにとっては幸運なことに、煙草を喫わないお客さんばかりであったようです。

わたしは、煙草を喫うお客さんが現れて、初めて「このお店は喫煙可である」と知ったのです。

さて、わたしが知ったのは「このお店は喫煙可である」ことだけでしょうか。
いいえ、同時に、もうひとつ重要なことを知ったのです。

「わたしがこのお店を禁煙だと『思い込んでいた』」ことを。

後者はすごく重要です。
「このお店は喫煙可である」と知った以上に重要です。

なぜなら、「思い込み」は無意識になされているものだから。
自分で意識して気づくことはありません。
この例のように、外界から刺激を得て、自分の「思い込み」に気づくのです。

他にわたしの経験で挙げると、「西の河 東の河」(佐々木潤子著)で知った、「ジャアファルとアッバーサ」の件があります。

「西の河 東の河」は、「千夜一夜」でおなじみのハールン・アル・ラシード、彼の妹アッバーサと、ハールーンが信頼する宰相ジャアファルの恋物語です。

暗殺の危機に脅かされてきたハールンが、宰相の権力の増大を警戒し、アッバーサとの仲をいろいろ妨害するのですが、最終的には二人の仲を認め、ハッピーエンドに終わっています。

長い間、ジャアファルもアッバーサも創作の人物で、当然二人の恋物語も創作だと思っていたので、きっかけは忘れたのですが、日本語Wikiで「ジャアファル」の項目にたどりつき、読んで驚きました。

ジャアファルとアッバーサが実在の人物であったことに。

今、「長い間、ジャアファルもアッバーサも創作の人物で、当然二人の恋物語も創作だと思っていた」と書きました。
しかし、「思っていた」当時は、自分がそう「思っていた」ことに無自覚でした。

日本語Wikiで「二人は実在した人物である」との知識を得て、ようやく「わたしは、長い間、ジャアファルもアッバーサも創作の人物で、当然二人の恋物語も創作だと思っていた」ことを自覚したのです。

こういう例って、省みればたくさん挙がると思います。

だから、わたしは「歴史創作を鵜呑みにする、しないは読者の自己責任」とのご意見に賛同できないのです。

かなり見識ある(と、思われる)方たちが、そう仰るのを何度か目にしました。
歴史創作への「史実と創作の兼ね合い」が話題にあがると、「歴史小説(ドラマ)を鵜呑みにしちゃう読者(視聴者)が悪いんですよ」ってな感じで。

いや、読者も視聴者も悪くないです。
鵜呑みもなにも、知識がなければ、「受け入れてしまう」んです。
しかも「思い込んでいる」のだから、「思い込んでいる」事自体に気づかないまま。

だから、わたしは「思い込み」対策として、ばんばん「批判」「検証」「感想」の声があがればいいと思ってます。

人は、外界から刺激を得て、自分の「思い込み」に気づくのですから。

わたしが、何度も、「気に入らなければ読まねばいい(見なければいい)」とのご意見を批難(批判じゃなくて、はっきり批難)してきたのも、「思い込み」を「思い込み」から解放する他者の意見を封殺する行為にほかならないからです。

関連エントリ:【「気に入らなければ読まねばよい」にもの申す】

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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