2015年12月16日 (水) | Edit |

「大帝の恋文 ロマノフ大公女物語」
作者:一原みう
イラスト:真敷ひさめ


小説に添えられる作者による「あとがき」はたいてい、「可もなく不可もなく」なんですが、たまに作品本体をぶち壊しにしたり、逆に、盛り上げるものもあります。

本作の「あとがき」は、まさに、盛り上げたケースです。
小説本体も良かったのですが、「あとがき」に垣間見えた作者さんの開明性が本作の良さをさらにパワーアップさせたと思います。

「自国で最初の小説は?」というテーマに一人ずつ答えていく中、「最初の小説家は十八世紀のエミンかな?」と言ったロシア人学生の言葉に一同、「え?」と驚きました。(中略)
「日本最古の長編小説(源氏物語)は十一世紀かあ、凄いなあ」と感嘆するロシア人学生とは逆に、私は十八世紀まで国民の大半が読み書きできなかったにもかかわらず、短期間で近代化を推し進め、文学を花開かせたロシアという国に驚きました。
(同書「あとがき」より引用)(赤太文字強調はわたし)



最近、日本スゴイ!日本素晴らしい!!と、認知が歪んだ書物が書店を占め、比例して同様の人が増えてるようなので(※)、「日本スゴイ」と誉められたのに自己陶酔に陥らず、「ロシアってすごい」と思いをはせた作者さんに感心しました。

(※)歪んだ価値感の一例として、Twitterに流れた、団塊おじさんによる次のエピソードを。

「先日自分が落とした共通乗車カードが駅に届けられて感動した。日本人の精神を誇りに思う」


「その拾い主は日本人じゃないかもしれない」
「素晴らしいのは日本人じゃなくてその拾い主個人だ」
「なんで落とし主のあんたが誇りにしてるの!?」

と、つっこみ、もとい、指摘が入ってました。

他にも興味深いエントリがあったので引用とリンクをします。

「日本の報道を注意深く観察すると、「良いことは日本人」、「悪いことは非日本人」という、単純なロジックの上で成り立っていることに気づく」
外部リンク:(【「良い日本人」に「悪い非日本人」という常識について考える。】)より


なんか、「魔女判定」みたいですな。
魔女の容疑をかけた女を縛って池に投げ込み、浮かんだら「魔女」なので処罰、浮かばず溺死したら「魔女」容疑については無罪ってあれだ。

◆一読した印象は、密度が濃い。

みっちりもっちりした歯ごたえのあるパンのような小説です。
(以前、どっかのフレンチで食べたパンがそんな歯ごたえでした。名前は知らない。残念。)

主役であるアンナの婚約エピの背景に、エカチェリーナ皇妃の戴冠と立后、そして大帝の死、さらには、エカチェリーナ1世の逝去まで書かれてあるので、作中では少なくとも6年は経過しています。
ただし、エカチェリーナ1世としての御世は終盤約2頁ですので、実質は、ほぼ5年(4年プラスアルファで計算)の物語でしょう。

その5年の歳月のなかに
1) 大公女アンナとスェーデン公子カール・フリードリヒとの婚約をめぐる騒動。
2) 大帝ピョートル1世とマリア・カンテミールの恋。
3) 2)によって、追い詰められるエカチェリーナ皇妃が関わった陰謀。
4) 大帝ピョートルの元、近代化を推し進め、その一環として文学を花開かせようとするロシアの苦闘。


わたしの表現力がないせいで、「たった4件で密度が濃い?」と、呆れられるかもしれませんが、近代化へと苦闘する時代そのものが、大黒柱として物語を支え、そこが密度の濃さに繋がっていたと思います。

1) 大公女アンナとスェーデン公子カール・フリードリヒとの婚約の中にも、寒冷の田舎と見なされるロシアが、欧州の強国に肩を並べようと、努力する姿勢がうかがえます。

a) かつては、身分の高貴さゆえに結婚を許されず、テレムに閉じ込められるように一生を終えた皇帝の娘たち。しかし、大帝ピョートルは埋もれた人材の価値にいち早く気づき、娘たちを、欧州の貴族、王族に縁付けようとしました。政略結婚です。しかし、それは、俗に言う「女の意志を無視したもの」としてではなく、諸外国にロシアを広く知らしめる、外交官にも匹敵する重要な役割としてです。

事実上、庶子の身分であるアンナが、それゆえに良縁に恵まれないのだとやや気に病み、父に高望みしすぎはいけないと遠まわしに告げた時の、ピョートル大帝の返答の素晴らしかったこと。全文引用は長すぎるので、特にいいなと思った箇所を。

お前たちの出自も実は関係ない。ロシアという国が強大で、同盟を結びたいと思わせることができれば、どんな大公女でも縁組したいと考えるものなのだ。

(中略)

お前たちは誰にもできない大きな役割を担うのだ。この国の誰よりも重要な外交官になるのだよ。お前がどこに嫁いだとしても、お前はロシアの代表だ。(中略)お前がロシアに認められた素晴らしい人間であるなら、欧州の人もロシアに対する認識を改めるだろう。余は、余のアーニャにはそれができると思うのだよ!



力強い父の言葉に、アンナの憂いは吹き飛びます。
わたしも、この激励には心躍りました。

女だからと閉じ込めるのではなく、広い世界へ!
女だからと無知無教養に甘んじるのではなく、より高い教養を!
女だからと二級品にとどまるのではなく、高い志を抱け、そして叶えろ!

まさに、大帝が目指すロシアの近代化と歩調を合わせているのです。

b) 格式ばった欧州王族に比べ、自由奔放、のびのびと育ったアンナは、婚約者カール・フリードリヒから、社交の場での会話のしかた、衣装の選び方のアドバイスを受けます。当初は、口うるさいと反発していたアンナでしたが、カール・フリードリヒの助言通りにしたら、スムーズに貴顕淑女と会話が繋がり、今まで、コンプレックスを抱く一方で、欧州流を拒んでいた自分の頑なさを反省します。

ここも象徴的な場面だと思うのです。

これまで人の目を気にしたことはなかった。欧州人はアンナとリーザにとって敵のように感じていた。(中略)けれど、彼らを味方につけることもできるのだ。自分に好意を抱いてくれれば、仲良くできれば―――。
(中略)
ああ、そうか。皇族は国を背負う外交官なのだ。カール・フリードリヒはその中でも一流の外交官。そして、自分もロシアという国を背負っているのだ。



閉じこもりの扉を開き、自分たちから外へ、外へと飛び出して行こうとしている意志と意欲に魅了されます。

日本スゴイ!日本人素晴らしい!!と、内へうちへと閉じこもって、他者との関わりを自分に引き寄せてしか考えられない閉鎖性との、何という違い。

2) 大帝ピョートル1世とマリア・カンテミールの恋も、ロシアの文字の普及とともに、文盲の多いロシア国民に読み書きを教え、やがてはロシアの文学を花開かせたいとの大望がきっかけでした。

3) エカチェリーナ皇妃が夫帝を害する陰謀に関わった動機。それは、夫の心がマリア・カンテミールに傾いたことが一因ですが、では、なぜ、大帝はマリア・カンテミールに恋したのか?

若き大帝にとって、皇妃は最高のパートナーだった。それは間違いないのだ。
だが、時の流れは残酷だ。すべてをそのままの姿でとどめておくことはできない。
時代は変わる。ロシアは西欧化の新しい時代に入った。大帝も年をとる。皇妃に求める資質も、女性の好みも、変わってくるのは当然だった。



冒頭に引用した作者さんのあとがきと同じくらいに、大好きな箇所です。

「時の流れは残酷だ」あたりまで読んだ時、
「あー、はいはい、皇妃が年取って若さを失ったので、夫の愛も減少したのですね、年喰った女には価値がありませんものね、BBAですものね、劣化ですものね、はいはい」
と、解釈したのですが、そんなことはなかったぜ!
ごめん、すまねえ、この物語は、そんな安っぽいお話ではなかった。だから、大帝ピョートルがそんな安っぽい男にキャラづけされるはずもなかった。

エカチェリーナ皇妃が夫の熱烈な寵愛を失った原因は、人間の力ではどうしようもない加齢(※)によってではなく、努力次第で身に着けられる教養を蔑ろにしたからなのです。

(※)昨今、「アンチエイジング」が盛んで、人間の力でも加齢に逆らえないこともないですが、限度ってのがあります。
また、男性に比べ、女性の側に、理不尽なほど強烈に「若くあること」が求められるのが現実です。

和久井香菜子さんのエッセイに適切な一文がありました。引用します。

人は誰でも年を取ります。老いるということは、美しさを失うということです。過剰に美しさにこだわるのは、失われていくものに追いすがり、勝てない戦を挑むようなものです。
だって、どんなに若作りしたって、本当に若い人には勝てないんだから。
【知恵と教養で逆境をのし上がれ!『夢の雫、黄金の鳥籠』】



昨今、「アンチ・エイジング」が盛んですが、「どんなに若作りしたって、本当に若い人には勝てないんだから」、この一言に尽きるわ。

マリア・カンテミールも言ってます。

私の外見を賛美する人は大勢いましたわ。でも、時間とともに消えゆく表面的な美しさではなく、私の知識が必要だと言ってくださったのは大帝陛下だけでした。(後略)



余談ながら、「どんなに若作りしたって、本当に若い人には勝てないんだから」とはいえ、わたし、「美魔女」は好きです。
あの女(ひと)たちが「美」を目指す動機には、異性や世間への媚び諂いがない、と思う。
ボディビルダーが己の肉体を愛で、肉体改造にいそしむのと同じメンタルであろうと思います。

◆この物語全体を貫く、「外へ、外へ!」と向かうエネルギーが好きです。
大帝が「ロシアの近代化」を目指しているからであろうと思いますが、再度引っ張り出すと、「日本スゴイ!日本素晴らしい!!と、内へうちへと閉じこもって、他者との関わりを自分に引き寄せてしか考えられない閉鎖性」とは対極の開放性。

己を知り、他者を知り、他者との関わりの中で生きようとする、生き生きとした命の脈動を感じます。

◆史実はいかに?
ロシアについては不勉強なもので、ところどころ、これって史実なの?創作なの?と気にかかった点。

1) 「愛妾ができても恋文は書かない」。
大帝がエカチェリーナ皇妃と交わした約束です。識字率の低いロシアで、しかも庶民出身の為、充分な教育を受けておらず、したがって、読み書きに不自由なエカチェリーナ皇妃が嫉妬することのないようにと取り交わされました。
創作っぽい反面、事実は小説より奇なりとも申します。
史実から着想を得て、もあり得るなあと。

2) 父帝は長女のアンナを、母妃は次女のエリザヴェータを可愛がっていた。
親だって人間、子どもたちへの愛情が多少偏ることもあるでしょう。
さて、ピョートルとエカチェリーナ夫妻の子への愛情の偏りは史実だったのか?

◆実は、タイトルの意味をいまひとつ把握しきれてません。
たしかに、大帝は、エカチェリーナとの約束を守り、愛するマリア・カンテミールにも恋文を送っていないのだけど。
とはいえ、恋文でなくても、マリア・カンテミールにとっては恋文で。

よくわかんないな。

恋文は、アンナとカール・フリードリヒとの間でもキーアイテムになってるんですが、物語における意味がよくわかんない。

恋文(手紙)、しかも、自分の手元にとどめているのではなく、相手に渡しているので、「自分の中で完結しない」「自分の意志を他者に伝える」「他者とコミュニケーションを取る」ことを指してるのかな、これまた、内(自分)を見つめ、外(他者)へと向かおうとしている、作中での当時のロシアを象徴しているのかなと思いますが・・・。

◆作者さんも賛否両論を懸念なさった、「父ちゃん、母ちゃん」の件。
わたしは好きです。

◆ラストの一行に、複雑な気持ちを抱いてしまいます(なんていうか、「トホホ」みたいな感じ?)。

ピョートル三世の誕生である。



綺麗な締めではあるけれど、ピョートル3世の生涯を知ってるだけに、めでたしの気分になれません。
他の方の感想でも、その点に触れてあるのをちらほら拝見しました。

◆手元にない為、記憶だよりですが、↓「陰の男たち―女帝が愛した男たち」によれば、カール・フリードリヒは、決して「良き父」とは言えなかったはず。
18世紀の貴族の子らの躾を、今日(こんにち)の目で断罪するのは傲慢ですが、家庭教師によるほぼ虐待にちかい躾を容認していたはず。(読み直して、必要があれば修正します。)

ラスト一行とともに、複雑な気分にさせてくれる「史実」です。


「陰の男たち―女帝が愛した男たちII」
作者:テア・ライトナー
訳者:庄司幸恵


「史実」と言うなら、終盤、カール・フリードリヒと共に、ロシアを後にする、希望に満ちたアンナの人生は、あと・・・(泣)。

追記.
考えようによっては、「未来予知」人間が跋扈する世界じゃないってことですな。
歴史ものは作品によっては(某「姫戦」大河ドラマとか)、登場人物たちに未来を知ってるかのようなセリフを口にさせたり、振る舞いをさせたりしますから。

であるならば、アンナが自身の寿命を知らず、希望を胸にロシアを後にするのも、未来を見通せぬ人間として当たり前の姿で、それゆえに、人間の限界と悲しさを描いたものとも言えましょう。

しかし、「ピョートル三世の誕生である」は、地の文で、即ち神の視点の一文でもあるので、あの幸福とは言い難い一生を送った子の誕生が物語の締めなのかあと、せっかくの希望が陰るような思いを抱いてしまいます。

いっそ、アンナの旅立ちで終えたらよかったのでは?と思うけれど、手紙がキーとなる物語なので、あのラストにする必要があったんだろうな。

◆イラストについて。

さすがコバルト文庫、少女まんが風のイラストを採用してくださって、眼福、眼福w
ヒロインのアンナ&ヒーローのカール・フリードリヒ、および、妹エリザヴェータら、若い美少女と美青年だけでなく、ピョートル大帝、エカチェリーナ皇后、悪役メンシコフ宰相等、若くないおじさん、おばさんの面々もイラストに描いてくださってることが嬉しいです。

1) 「ピョートル大帝とエカチェリーナ皇后の別れの場面」(p271)、「酔っぱらって陽気に騒ぐアンナ&エリザヴェータ姉妹」(p19)、「メンシコフ宰相現る」(p136)の三枚が特に好きです。

ちなみにp136の絵が好きな理由は、若くも美しくもなく、時代劇の三下悪家老みたいで、女性読者対象小説においてイラストにする需要がなさそうなメンシコフが大きく描かれていたからです(笑)。

マリア・カンテミールも好きなのに、彼女の登場イラストが、ベスト3に入らなかった。残念。

2) カラー表紙絵のカール・フリードリヒの表情って、なんか変じゃね?
同じ作者さんの別作「皇女アナスタシア」の表紙絵(作画者は本作とは別の人)も、微笑まないヒーローなので、コバルトの表紙だからって、必ずにっこり笑う縛りはないのでしょうが、本作のカール・フリードリヒの表情ってなんか変じゃね?

原因を探るべくじっと見つめて思ったのは、「口元がちょっとだらしないのでは?」。
左顎に流れている上唇の線の終わり方が、ニヒルでなし、仏頂面でなし、中途半端な感じで、不貞腐れているようにも見えるのです。

この変な表情が、かえって「印象に残る」とは言えますが。

3) 全身像になるとでかい。
巨人族か!?と言うのは大げさですが、とにかくでかく見えます。男だろうが、女だろうが、アンナもリーザモカール・フリードリヒも、身長2メートルくらいありそうに見えます。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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