2015年12月25日 (金) | Edit |
再録エントリですが、以前いただいたコメントは未再録です。コメント、ありがとうございました。



◆その1「チェーザレと伊周」


藤原伊周(ふじわら・これちか)は、は平安中期の貴族。藤原北家、摂政関白内大臣藤原道隆の嫡男です。
という説明より、かの「この世をば わが世とぞ思う 望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んだ、藤原道長の甥(長兄道隆の息子)と言った方がわかりやすいかな。

後世の人間は、道長が摂関政治の全盛期に君臨した事を知っていますが、伊周の幼少から青年時代にかけては、父・道隆が絶好調でした。
伊周は父の後押しを受け、なみなみならぬ栄誉を得たのですが、結局は、父の死後、叔父・道長との政権争いに敗れ没落します。

さて、伊周くん。
親戚を見渡すと、この名前、わりかし目立ちます。

伊周周辺の男性親族の名前を挙げます。

祖父・兼家
父・道隆
叔父・道兼
叔父・道長
弟・隆家
そして、本人は伊周。

なんか、「伊周」だけ浮いてるような・・・。
祖父、父、息子の世代は皆お互い、どこかに共通する名の文字があるのに。

どうして、伊周は「伊周」と命名されたんでしょう?

わたしの読書範囲ではその件について触れている書籍はなかったので、疑問は疑問のまま残っています。

わたしにひとつ、思いつきがあります。
「伊周(イシュウ)」にちなんだ命名ではないか?という事。

伊周(イシュウ)とは、「殷の伊伊(インイン)と周の周公。共に国の基礎を固めるのに功績のあった賢臣」
(大修館「新漢和辞典」より引用)



道隆の嫡男として、やがて関白をも嘱望された青年への命名にふさわしいものではないでしょうか。
もしかして、この命名は漢学に素養があったと言われる高階貴子によるものであったのではないかと想像しています。

さて、タイトルの「チェーザレ」の件。
以前、「チェーザレ 破壊の創造者」の著者、惣領冬実さんは公式サイトで、チェーザレの名前について述べておられました(「information」頁の過去ログ、2007年3月10日の項目)。

聖人に因んだ命名が一般的であった当時において、「チェーザレ」は風変わりな命名であったのです。
惣領さんの「ちょっと不思議に思っている」との言葉に、自分の読書記憶を振り返れば、たしかに「チェーザレ」は珍しいです。
「優雅なる冷酷」ほか、ルネサンス関連の著作を読めば、同じ個人名が頻繁に表れます。
ルクレツィアの二番目と三番目の夫はアルフォンソ。
カテリーナ・スフォルツァの最初の夫と後のレオーネ10世と黒隊の隊長はジョヴァンニ。
イザベラ・デステの夫とユリウス2世の甥はフランチェスコ。
その他いろいろ。

なのに、チェーザレはチェーザレ以外ではみかけません。

なぜ「チェーザレ」と命名したのでしょうね?
お兄さんはペドロ(ペテロのスペイン語読み)、弟はホアン(ヨハネ)、ホフレ(調査不足)なのに。

わたしの友人は出産前、子どもの名前をいくつかリストアップしていて、産まれた子の顔を見たとたん、「あ、桜子(仮名)だ!」と、内のひとつがピンときたそうです。

もしかすると、産まれた息子の顔を見たとたん、アレッサンドロ・パパの頭に、「あ、チェーザレだ」と天啓が降りてきたのかもしれません(笑)。

◆その2「チェーザレ・ボルジアの名前で遊んでみよう」

もし、チェーザレ・ボルジアが「チェーザレ」と命名されていなかったら?
かの名作「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」のタイトルはどうなっていたでしょうか。

慣例通り、聖人にちなんだ名前を付けられていたらと仮定したお遊びを試みました。

聖人の名をすべて採りあげるには膨大であるうえに、知識も足りないので、オーソドックスに、十二弟子に因んだ命名を仮定し、イタリア語読みで表記しました。

並びは、昔、日曜学校で覚えた「十二弟子の歌」に登場する順です。
(子供の頃に頭に入ったものって、意外と覚えているものだと感心したけど、「マタイたち」ってことは13人以上になるやん?ええっと、このあたりの矛盾、どう説明があったっけ?)

1. ペテロ
「ピエトロ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」
2. アンデレ
「アンドレア・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」
3. ヤコブ(2人)
「ジャコポ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」
4. ヨハネ
「ジョヴァンニ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」
5. ピリポ
「フィリッポ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」
6. トマス
「トンマーゾ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」
7. マタイたち
「マッテオ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」
8. タダイ
9. シモン
10. ユダ
11. バルトロマイ

「バルトロメイ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」

なんていうか、命名が「チェーザレ」でよかったね!と思う(笑)。

おまけ。
もし、アレッサンドロ・パパが、「カエサルもいいが、最期が悲惨である。妻と友と長寿に恵まれ、帝政を盤石のものとしたアウグストゥスにあやかろう」と思いついたとしたら?

「アウグスト・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」

「チェーザレ」に勝り劣りないほど、さまになってるじゃん!!

お遊びのきかっけは、その1でも触れた、惣領冬実さんの公式サイト内での、チェーザレの名前についてのご指摘(当時の命名の慣習から外れている)です。

ちなみにボルジア姓をつけない、個人名だけを用いた「破壊の創造者」だと、どの名前でもしっくりくるように思います。

「ピエトロ -破壊の創造者-」
「アンドレア -破壊の創造者-」
「ジャコポ -破壊の創造者-」
「ジョヴァンニ -破壊の創造者-」
「フィリッポ -破壊の創造者-」
「トンマーゾ -破壊の創造者-」
「マッテオ -破壊の創造者-」
「バルトロメイ -破壊の創造者-」
「アウグスト -破壊の創造者-」

「世界帝王辞典」さまの「ヨーロッパ人名対照表」を参考にしました。
ここで見当たらなかった名の欄は省略しています。

◆その3「チェーザレの結婚」

3件目はちょっとシモネッタ(下ネタ)入ってます。

さて、キリスト教世界では異端の「聖職者の子」として生を受けたチェーザレ・ボルジアは、己が王国を創造するべく、名誉と安泰を約束する枢機卿の緋の衣を脱ぎ捨てました。
俗人にもどった彼は、政略結婚を画策します。
花嫁は、ナヴァール王国の王妹シャルロット・ダルブレ。フランス王、ルイ12世肝いりです。

切れる頭脳と燃える野心だけではないチェーザレは、自身の結婚を利用して、立会人に娯楽を提供するのも忘れません。

シャルロッテとの初夜に挑んで、チェーザレは1回終えるごとに、ルイ12世ほかの立会人に合図を送りました。
その合図が6回を数えた時、さずがの王も豪快に笑いだし「わたしよりよほどブラーヴォーだ」とのたもうたとか。
遠いローマの地で、息子の挙式の報告を受け取った法王アレッサンドロ6世も、同じく笑って聞き入ったといわれます。

以上、塩野さんの「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」で読んだ、チェーザレの結婚のエピソードです。

読んだ当時は、なんとも思わなかったのですが。

シャルロッテは、初婚ですよね?

つまり、未経験だったということですよね?

未経験の花嫁相手にいきなり6回・・・。

デリカシー皆無・・・。

笑ってる場合か、男ども、と、嫌味のひとつも言いたくなりますが、猥雑で野蛮な時代だったってことでしょうかねえ。

貴婦人が「大砲はゆっくりお撃ちなさい。さもないとあなたがたのきんたまがちぎれてしまいますよ」と揶揄しても、「イタリアのプリマ・ドンナ」との名声を得られる時代だったのですから(※)。

(※)参考は塩野七生「ルネサンスの女たち」内「カテリーナ・スフォルツァ」。
チェーザレ軍の攻撃を受けたカテリーナ・スフォルツァが、自分の砦からチェーザレ軍に打ち込んだ大砲に刻んだセリフ。
日本語では「きんたま」と表記されていますが、当時のイタリア語で、男性でも言うをはばかる俗語で記されていたそうです。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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