2016年02月06日 (土) | Edit |
はじめに断っとくと、バーバラ・カートランド・ロマンスはわたしには合わなくて、辛口感想になってます。
両作品とも作画には不満はありません。


わたしは、バーバラ・カートランド・ロマンスは、ミソジニー型ロマンス小説だと思いました。だって、「娼婦と寝た男が、処女と結婚する」パターンを推奨してるんですもの。女を娼婦(悪)と処女(善)に分断してるんですもの。
むしろ男性向けロマンスじゃね?これ。

関連エントリ:【ミソジニー型ロマンス・ヒーロー】


「バルターニャの王妃」
原作:バーバラ・カートランド
翻訳:上本治美
まんが:さいとうちほ
原著:“Queen save a king”1991年


一八七四年。両親を亡くしたピュティアは、伯母アイリーンのもとに身を寄せていた。その頃、侵略の危機にさらされていたバルカンの小国バルターニャでは、救国の策としてイギリス女王の縁者を王妃に迎えることが画策されていた。白羽の矢がたてられたのは、女王の血をひくアイリーンの娘、エリナだった。だが、エリナには恋人がいた。困りはてたエリナは、ピュティアにとんでもない頼みごとをもちかけてきた・・・。
(原作版の内容紹介から引用)



さいとうちほさんによる、初ハーレクイン・コミックです。
ジャンルとどんぴしゃりとはまった素晴らしい作画でした。

さいとうちほさんの絵はきらめく水晶のような透明な美しさに満ちています。
とりわけ印象に残ったのは、舞台劇のような構図の二つの場面です。

ひとつめ。
結婚式での王妃への戴冠後、新郎新婦の二人を描く見開き(p78-79)
国王は横向き(ピュティア向き)で左手を差し伸べていますが、王妃となったピュティアは真正面(読者目線)に体を向けて立ち、左手を国王に差し伸べています。
二人が見つめ合うべき場面だと思えて、ピュテイアの向きが奇妙に見えたのですが、「舞台劇」だと思えば不自然ではありません。

ふたつめ。
誘拐計画から国王を救おうと拳銃を撃ち、無事に解決した安堵で気を失ったピュティアを国王が抱きとめる場面(p115)。
この構図は、バレエのパ・ドゥ・ドゥのような様式美でした。
美しいんです。二人のポーズといい、髪の流れ、衣装のドレープといい。
あの場面の美しさの千分の一も伝えられない己の表現力の乏しさが情けない・・・。

小さな点ですが、脇役のエリナ嬢とドン・マルコス・ルカ氏が主役二人よりは控えめながら、美男美女として描かれていた点も好ましかったです。すぐ消える脇役だからとおなざりにされずにいたので。
同様の意味では、国王の愛人が美女であり、見せ場があった点も良かったです。

という事で、申し分ない作画ではあったのですが、内容に不愉快な点がありまして、ここから先はその点について語ります。






不愉快であったのは、ヒロインと初対面後の国王陛下のご感想です。

「(ヒロインは)とても19には見えない程若々しい」



はあ?19歳って、「若い」以外のなにものでもないじゃないですか。
「19には見えない程若々しい」とお考えになるなんて、国王にとって19歳は「若いとは言えない年齢」なんでしょうか。
でなきゃわざわざ「19には見えない程若々しい」とは考えませんよね。
あるいは19の年齢にすら「薹が立ってる」と不満を抱くほどの、ロリコ・・・(ry 。

この言にひっかかったんですが、江戸時代は二十歳すぎれば年増扱いだったと読んだこともあるので、ヒストリカル・ハーレクインで、時代背景が19世紀終わり頃だから、これもそういう設定なのだろうと、ひとまず腹の虫をこらえました。

しかし、読み直して気が付きました。
国王の年齢に。

「バルターニャ国王は30過ぎの道楽者で」

30過ぎ。
30過ぎ。
(さいとうちほさんの絵による国王は華麗で、30過ぎには見えなかった・・・。)

30過ぎのくせに、19歳の女を「19には見えない程若々しい」と評するのか、こやつはぁぁぁぁぁぁ。

◆ヒストリカルだから、国王様なんだからムキになるなよ、てなご意見もあるでしょうが、19歳という若い年齢の女だから、わざわざ「若々しい」と評する必要性は皆無な上に、「大人びている」、「しっかりしている」と他に誉めるべき美徳もあるのに、わざわざ「若々しい」を用いた意図が理解できません。

そもそも、政情不安が著しいバルカン半島の小国バルターニャに送り込む王妃なのだからと、英国側は「世間を知った賢く30歳近い女性」を条件に花嫁候補を物色しました。
あいにくその年頃の王女がいないとあって、19歳に白羽の矢が立ったのですが、その時も「たったの19歳」と、側近は難色を示しています。
しかしながら、ヴィクトリア女王が「この際肝心なのは年齢よりも統治者としての資質です」と断言して花嫁に決定しました。

ヒロインに求められているのは「賢さ」「責任感」「統治力」です。
誰もが手にすることができ、あっという間に去ってしまう年齢に伴う「若々しさ」ではありません。

国王の口から「若々しさ」を誉めさせる必要はないと思います。
むしろ、「19歳とは思えない程しっかりしている」「19歳とは思えない程大人びている」の方が適切だったのに。
実際、ヒロインはそんな女性でしたし。

◆あらすじにある通り、ヒロインのピュティアは身代わりです。花嫁になるはずだったエエリナは19歳で、ピュティアは18歳です。
勘ぐれば、ヒロインの若さ(18歳)を強調しようとして「19には見えない程若々しい」を用いたのかなと思いますが、だとすれば、余計にいやな感じです。

和久井香菜子さんのエッセイに「若さ」について、適切な一文がありました。引用します。

人は誰でも年を取ります。老いるということは、美しさを失うということです。過剰に美しさにこだわるのは、失われていくものに追いすがり、勝てない戦を挑むようなものです。
だって、どんなに若作りしたって、本当に若い人には勝てないんだから。
【知恵と教養で逆境をのし上がれ!『夢の雫、黄金の鳥籠』】



◆この言のせいで、せっかくロマンスの世界に浸っていたのに、「誉めそやされる女の美点は、年齢に左右されぬ聡明さ、落ち着きのような美徳ではなく、あっという間に去っていく『若さ』である」と示されたようで、いい気持ちはしません。

しかも評しているのが30男ですからねー。
お前が言うなの典型。

◆しかしながら、もし、当初の予定通り、「世間を知った賢く30歳近い女性」が花嫁であれば、この言も不愉快なものではなかったでしょうか。
「30には見えない程若々しい」であれば、当然と受け止めることができたでしょうか。

否。
なぜなら、「若さ」なんて、「あっという間に過ぎ去ってしまう」ものを愛でられてもしょうがないからです。
そして、発言者が30過ぎであるからです。
30過ぎが、30歳を、「30には見えない程若々しい」と評する資格はないと思います。

つまり、この言の不愉快さは、「女の価値は若さ」であると示した点と、男は年齢に関わらず、女を年齢で是非を下すことが出来る、と知らしめたことではないでしょうか。

注意して読めば、初対面の後、「国王がヒロインをどう思ったか」ばかりがモノローグで語られます。
ヒロインにとっても、国王は初めてまみえる相手であったのに、語られるのは、国王からヒロインへの評価のみです。

つまり、男は男であるだけで、女を思いのままに品評できる、そして、女は男からの評価を黙って受け入れるということなのでしょう。

◆「19には見えない程若々しい」
このセリフは、バーバラ・カートランド・ロマンスのミソジニーな一面の表れだと思います。

「19とは思えない程大人びている」
「19とは思えない程しっかりしている」
こういう讃え方でも充分にお話は通じたのに。

一原みうさんの「大帝の恋文 ロマノフ大公女物語」は、その点で優れてました。
下記エントリ中盤で、「若さ」を愛でられることは、女にとって必ずしも嬉しいことではない点について触れています。

関連エントリ:【一原みう「大帝の恋文 ロマノフ大公女物語」】

◆そういえばこのロ××ンおやじ、もとい、国王は、新しい女(処女ヒロイン)が来たとたん、直前まで睦言を囁き、逢瀬を約束した女(愛人)をあっさり忘却の彼方へと追いやりました。
「結婚したって愛してるのは君だけだよ」ってなことを口にしてたのに。

そりゃ愛人だけどさ。
捨てられ役の女だけどさ。
ありゃないわ。
こんな移り気な男のどこがいい?

◆この後、同じくバーバラ・カートランド原作の「政略結婚は恋の始まり」(まんが:竹内未来)を読む機会がありました。
やはり思いました。「わたしにはバーバラ・カートランド・ロマンスは合わない」

「政略結婚~」では、ヒロインの気高さ、純潔を強調する為に、「貞操を守る為に死を選ぶ」価値観が肯定されていました。
こんな展開、わたしにとっては、最低です。

こうも強烈な嫌悪を抱いてしまうと、なにもかも嫌になってきました。
通りすがりに庶民の女性の赤ちゃんをとりあげた形でアピールした、ヒロイン・ビュティアの母性の強調も気色悪いったらないわ。




「政略結婚は恋のはじまり」
原作:バーバラ・カートランド
訳者:葦浦阿紀(「ジラス宮殿の王妃」)
まんが:竹内未来
原著:”The cruel count”(1990年以前)


公爵令嬢ヴェスタが政略結婚で嫁いだ地は、革命の最中だった。着いた途端、ツァコー伯爵に帰国を促されるヴェスタだったが、この結婚は両国のため自分に課せられた使命だと、大公に会いに首都に向かうことを決める。けれどもその危険な旅の中で、出会ったばかりの伯爵に思いを寄せてしまい――――!?(カバー裏表紙より引用)



注意.本感想には、(たぶん)重要なネタばれがありますが、反転仕様にはしていません。

◆たったひとつのエピソードが、作品全体への嫌悪をもたらした・・・。

ヒロイン・ヴェスタとツァコー伯爵は、道中で山賊に捕まります。
ツァコー伯爵は処刑、ヴェスタは「首領の弟の妻になるなら生かしておいてやる」との宣告を受けたので、ヴェスタは「純潔と誇りを全う」する為、ツァコー伯爵に自分を殺すよう命じます。

ここ、見せ場なんでしょうね、きっと。
ヒロインの貞潔さと誇り高さを読者に強烈に印象づける場面なんでしょうね、きっと。

だけど、わたしにはダメでした。
今どき、「貞操を守る為に死を選びます!」なんてヒロインを見せつけられるとは思わんかった。(注.誉めてません。感心してません。不愉快でした。)

ヒーローのツァコー伯爵も、アンチ・テーゼを示さず、貞操を守るために死を選ぶヒロインの考えを讃えて受け入れているし。

本作が、強姦被害からのサヴァイヴァーをテーマにした物語ではなく、ハーレクイン・ロマンスであるのは理解しています。
しかし、「強姦されるくらいなら死を選ぶ」価値観の肯定を見せつけられたのは不愉快です。

言い方は悪いですが、ハーレクイン・ロマンスにさほどリアリズムは追及されないので、山賊の欲情話がなくても、すなわち「強姦されるくらいなら死を選ぶ」ヒロインを見せつけなくても話は進んだんじゃないかと思うにつけ、ヒロインの貞操堅固っぷりを讃える為に、わざわざこんなエピを挿入した原作者さんが気持ち悪かったです。

バーバラ・カートランド・ロマンスでは、ヒロインの「純潔」は「聖母性」と並んで重要な要素らしいとのことですが(後述)。

◆バーバラ・カートランドさんて、相当年配の方だと聞いた記憶があるのでぐぐってみたら、生年は1901年でした(英語Wiki参照)。

日露戦争より前の生まれ・・・。
明治34年。
めいじさんじゅうよねんうまれ・・・。

これじゃあ、「歴とした良家の女子たる者、貞操を守るためなら誇り高く死を選ぶのが当然です!」との貞操観念を有しても無理ないのかなあ・・・。

関連して。
某古代エジプトタイムスリップまんがを、わたしが嫌いである理由。
ひとつは、敵国の王に無理やり花嫁にされそうになった、率直に言えば、強姦されそうになったヒロインが、ヒーローへ操を立てようとして毒をあおいだこと。
ふたつめは、その件をヒーローが喜んでいたこと。
「愛い奴だ、わたしの為に身を守ってくれたのだったな♪」(♪マークはついてなかったけど、大意はこの通りです。)

そーかよ、ヒロインが貞操堅固な死体になってもよかったのかよ、このヒーローは。
さいってい、こいつ、と不愉快になりました。
この漫画の作者さんも、バーバラ・カートランドほどじゃないけど、高齢の方でいらっしゃいます。

高齢でも、「命は貞操より大切だ」「殺されれば取り返しがつかないけれど、貞操など犯されても洗えば落ちる」ことを描いている作家さんもいらっしゃると思うので、個人差の方が大きいのでしょうけれど。

◆まったく逆の作品があります。たったひとつのエピソードが作品全体への好意をもたらした・・・。


DVD「ウォリアークイーン」

ネロ帝治世下の帝政ローマ時代、ブリテン島、イケニ族の反乱を描いたドラマです。
作中、反乱の首謀者であるイケニ族ブーディッカの娘たちは、懲罰のようにローマ軍兵士たちに強姦され、死にたいと泣き崩れます。しかし、母ブーディッカは悲しみにえづきながらも自害を許さず、娘たちを叱咤しました。

「傷つかないところを見せておやり。わたしも見たい」と。

「ウォリアークイーン」は、わたしには面白みのない作品でしたが、このセリフは好きです。このセリフゆえに、作品本体にも悪い感情は抱いてません。

◆本作における、「貞操を守る為に死を選ぶヒロインすてき!」価値観の披露のせいで、バーバラ・カートランド既読二作品(「バルターニャの王妃」「政略結婚は~」)において、ちょっとひっかかっていた程度の不愉快な点も気持ち悪くなってきました。

例えば、やたらな「母性」の強調。
よそさまの感想サイトでバーバラ・カートランド・ヒロインの特徴として「純潔」に並んで、「聖母性」を指摘されていた方いらっしゃいます。
なるほど、単なる「母性」ではなく、「聖母性」ですか。
気持ち悪っ。

◆そして、どっちらけになったのが、ヒーローであるツァコー伯爵の正体。
おそらくバーバラ・カートランド・ロマンスを読みなれている人ならば、ツァコー伯爵が登場してすぐに、その正体の見当がついたかと思うのですが、わたしは初心者なので、全く予想していませんでした。

予想外であれば、意外性にびっくり仰天、やられた!と賞賛の気持ちが湧いてもいいのですが、逆に、あまりの都合の良さに、バカにされた気分になりました。

山賊に強姦(無理やり結婚)されそうになっても、都合よく、山賊仲間の子どもがひきつけを起こします(その子の治療をして、強姦話が立ち消えた)。はー、良かったねー。

大公妃として赴いたはずなのに、夫ではない男性(ツァコー伯爵)と恋に落ちてしまった。だけど、びっくり仰天、伯爵の正体はなんと・・・!はー、良かったねー。

なんだよ、この、ことごとくヒロインに都合のいい展開は。
読者をバカにしとんのか。

ハーレクイン・ロマンスには、こういう露骨なご都合主義展開もありとはいえ、アホらしいやら、バカバカしいやら。

せめて、強姦の危機の時に、ヒーローかヒロインのどちらか一方が、アンチ・テーゼを示していてくれたらマシだったんですが。

◆ヒロインのヴェスタは好ましい人物でした(さいとうちほさん作画「バルターニャの王妃」のビュティアもしかり)。

「ヴェスタはまっすぐでピュアで描きやすかったです」
(まんが版あとがきより、漫画家さんの言)



運命の変転をいたずらに嘆くのではななく、前向きに生きようとする向上心。
苦難に遭っても活路を見出す聡明さ。
分け隔てのない他者への優しさ等々。
(「貞操は命より重し」との信念には同意できませんが)

ただ、それらの美点が、全て「聖母性」「純潔」に集約されてしまうのが、気持ち悪いです。

わたしは本作がハーレクイン・ロマンスだと理解してます。
今まで、多少時代錯誤な恋愛観、男女観が描かれても、ハーレクイン・ロマンス(わたしはコミックス読みです)だからと、割り切って読んでいました。
しかし、こんな嫌悪感が湧いてきた作品は初めてです。

わたしにはバーバラ・カートランド・ロマンスは合わないんだろうなあ。

◆そういえば、ヒーローであるツァコー伯爵に全然魅力を感じません。(「バルターニャ」の国王も同様)

先に書いた通り、バーバラ・カートランドが強調する「聖母性」と「純潔」はともかく、ヒロインの本質は好ましく思えるのですが、ヒーローが全然だめ。

たぶん、かっこいいんでしょう。
たぶん、頼りがいがあるんでしょう。
たぶん、すてきな男性なんでしょう。
でも、わたしには全然だめです・・・。

魅力が全然わからない。
気持ち悪い。不愉快。

そして突然閃きました。
こいつら、「娼婦と寝て、処女と結婚する」パターンの踏襲者じゃねーか!

まさにミソジニー型ロマンス・ヒーロー!!

合わないはずです。ゲロゲロだわ。

あらすじでも感想本文でもはしょりましたが、「政略結婚~」のヒーロー・ツァコー伯爵も愛人持ちです。
前述の感想サイトさんによれば、バーバラ・カートランド・ロマンスのヒーローはほぼ「愛人持ち」だとか。

関連エントリ:【ミソジニー型ロマンス・ヒーロー】

◆両作品とも、ヒロインのキャラは良かったのですから、さいとうちほさん、竹内未来さん、両作画者さんのまんがを知る身としては、オリジナル作品の中で彼女たちを読みたかったと思います。
ヒーローだってもっとまともで魅力的になったと思うわ。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

読み返すと、何度も「気持ち悪い」「不愉快」と書いてる。
つくづく、バーバラ・カートランド・ロマンスは、わたしには合わなかったんだなあ・・・。

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