2016年02月15日 (月) | Edit |
◆永井路子と杉本苑子(その1)

永井路子さんと杉本苑子さんは、わたしが好きな作家です。
エッセイ等を拝見するに、このお二人は友人でもあります。

お二人の創作ジャンルは歴史で、同じ日本史畑、時には、同じ時代、同じ人物を執筆しておられます。
作家として、歴史に造詣の深い者として、見解の相違をお互いどう受け止めておられるのでしょう。

わたしが知る限り、永井路子さんは、おねね贔屓で淀殿を高く買ってらっしゃいません(淀殿嫌いではないと思います)。
一方、杉本苑子さんは、淀殿贔屓で、こちらは明確におねね嫌いです。
他にも、お二人の著作を拝見していると、孝謙天皇と藤原仲麻呂との関係、北条政子の解釈等、お互いの意見が異なるケースが見受けられます。

わたしの経験では、歴史好き、ある歴史上の人物が好きという人間は、かなり偏狭なところがあり、自説に反対する人間はもちろん、自分の好きな人物を否定的に解釈している人間、さらには、はっきりと賛同の意を表さない人間に対して、程度の差こそあれ悪意を抱いたり、拒否反応を示すものです。「味方と宣言しない限り全て敵だ」と。

永井さんと杉本さんは、種々の見解の相違を持ちながら、どうやって友情を保ってこられたのでしょう。

お二人にとっては、プロ作家として、解釈の違いは当たり前、友情との両立なんて身構えるのは、しょせん素人の歴史好きよ、ってとこなのでしょうか。

お二人の、おねねと淀殿に対する贔屓っぷりの対照と友情の成立は、いってみれば、わたしが、「この私、クラウディウス」のリウィア像を鵜呑みしている人間と友誼を結ぶようなもので、「ありえねーーーー」ってなものなのです。

◆永井路子と杉本苑子(その2)

永井路子さんと杉本苑子さんは、わたしの好きな歴史小説家で、友人同士です。
著作から判断する限りでは、永井路子さんは、おねね贔屓で淀殿をあまり高く買ってません。
一方、杉本苑子さんは、淀殿贔屓で、明らかにおねね嫌いです。

わたしの経験では、歴史上の特定の人物に肩入れしてる人間は、かなり偏狭で、自説に反対する人間はもちろん、はっきりと賛同の意を表さない人間ですら排除する傾向があります。
いわんや、自分の好きな人物を否定的に解釈している人間に対しては・・・。

であるのに、永井路子さんと杉本苑子さんは友人同士でいらっしゃる。
どのような関わり方をされてきたのか。
そのあたりを明かしていただきたいものです。

カエサルとキケロのように、政治思想では対立しても、友人であったケースもありますが、歴史好きはしばしば、「味方と宣言しない限りは全て敵!」な傾向を持つものです。

※この件(歴史好きはしばしば、「味方と宣言しない限りは全て敵!」な傾向を持つ)については次項で。

永井路子、杉本苑子、両御大は小説家であって、歴史マニア、歴史オタとは違うと言えばそれまでですが。

ずばり「北政所と淀殿」をテーマに、永井路子、杉本苑子の対談が実現すれば、関わり方の一端がうかがえるかもと思うのですが、わたしが読んだ範囲では、お二人のそんな対談は見当たりません。

 

しかしながら、お二人の「対談」だけであれば、上記二冊で実現しています。

北政所と淀殿にも言及していますが、お二人がそれぞれに抱いているであろう好悪は伝わってきません。あまり掘り下げすさらっと流した感じです。古代から近代まで語らなければならないので、一人ひとりじっくり時間を割けなかったんでしょうけど、勘ぐれば、対立を避けたのかも?

そして気が付きました。
あれれ?
永井さんてばお茶々を「淀君」と呼んでいます(※1)(※2)。
杉本さんは「淀殿」とお呼びです。

わたしは、永井さんのエッセイで「淀君」は一種の蔑称と知り、以来、なるべく「淀殿」を用いるようにしているのに、本人さんが淀君とお呼びとは(・.・;)

(※1)
「時代を旅する」中、「徳川家の女たち」の「浅井氏だって天下をとった」の節。
ただし、同書同章の「品行方正も武器になる」では淀殿と言及しておられます。

(※2)
「ごめんあそばせ独断日本史」中、「戦国人の魅力」の「老いてぼけた秀吉」の節。

◆永井路子と杉本苑子(その3)、改め、歴史上の特定人物に肩入れしている歴史ファンには気を付けよう。

「歴史上の特定人物に肩入れしている歴史ファンには気を付けよう」
まさに天に向かって唾を吐く行為。
もはや自嘲を込めた記事でございます。
自戒ではなく、自嘲です。
大事なことなので、二度言いましたw

わたしは、こんなに(以下参照)アイタタな振る舞いをしてる奴と同類と見なされているんだろうなあ・・・。

何年か前、ある歴史ものまんがをきっかけに、ヒロインを主役にした歴史小説(以下「小説A」)を読みました。
わたしには可もなし、不可もなしの内容でしたが、感想をぐぐったら、ネットでは著しく評価が低い。
かといって何が原因で不評なのか追及する気はおきず、そのままにしていましたが、たまたま「小説A」の題名で、ヒロインの旦那さん(以下「人物B」)のファンサイトを見つけました。
ファンサイトといっても、関連書籍、史料等を渉猟した、アマチュアなりにかなり調べたサイトのようでした。

ちょっとハードルが高いなと躊躇したのですが、サイトおよびブログ等の文面からして温厚で常識をわきまえていそうな、そして、おそらくは女性の管理人さんとお見受けし、書き込みしたんです。
(以下、やりとりした内容の正確な文面は、レスも含めて覚えていません。大意と思って下さい。)

「初めまして。あるきっかけで『人物B』の奥さんに興味を持ち、『小説A』を読みました。ネットで検索したところ『小説A』は評判が悪く、こちらでも厳しい評価を下しておられますが、どこが難点なのでしょうか。この時代にもこの人物にも詳しくなくて、不評の原因がわかりません。管理人さんが勧めておられる参考書籍や小説も読んでいくつもりですが、よろしければ、『小説A』について管理人さんが難点とお考えのところを聞かせていただけますか?」

しばらくレスは来なかったのですが、それはよくある事と気にしないでいたら、数日後、掲示板の入り口の注意書きがヒートアップしていました。

「ここは『人物B』のファンサイトです。『人物B』に悪意をお持ちの方の来訪は固くお断りいたします」

はぁ?と訝しく思いつつも掲示板に入ると、わたしの書き込みは削除されていました。

管理人さんのレスは
「書き込みありがとうございます。ですが申し訳ありませんが、当掲示板の主旨に沿いませんので削除しました。ここは『人物B』のファンサイトです。書き込みくださった件についてはメールをいただければよろこんで議論に応じます。」

は?
「教えてくん」が気に入らなかったって言うならまだ理解できますが、なんでいきなり「議論」なんて言い出したんだ!?
アノ、ワタクシ、ベツニギロンヲフッカケテハオリマセンガ。
ギロンデキルホドノチシキモアリマセンガ。
なに戦闘意欲満々になってるんですか、アナタ。
もしかして、わたしが「小説A」を擁護しにきたと思い込んでませんか?
なして、そんな勘違いができるの??

こんなとこ、三十六計逃げるにしかずで、真意を問いただしておりませんので想像ですが、あの管理人さんにとっては、
「人物Bが好き!」
「人物Bは素晴らしい!」
「人物Bってステキ!」
と、賞賛以外の書き込みは全て「人物Bへの悪意」「人物Bへの否定」だったのではないかと、胸中を想像します。

「味方と宣言しない限りは全て敵」だと。

そういえば掲示板も、きゃぴきゃぴとふざけたノリの言葉は皆無で、大人がコメントしてるんだろうなと思える文章ばかりなので気が付きにくかったのですが、読みようによっては「人物Bマンセー」的書き込みにばかりだったような。

当時、寄せられるコメントの少なさに悩んでいたわたしは、交流のあったサイト管理人さんから「貴女のサイトは好き嫌いがはっきり出ているので、ゲストは書き込みしにくいんじゃないでしょうか」と指摘されたことがあります。
指摘した下さった当人のサイトはうちよりはるかにコメントが多い、にぎやかなとこであったので、「好き嫌いがはっきり出てるわたし=ダメなやつ」と思えて、心中落ち込みました。

が、この経験のおかげで、

歴史サイトの管理人て、どんなに温厚でまともそうに見えても、一皮むけば、わたしと同じく、好き嫌いの塊なんだーーーー、

と、たいへん気が楽になりましたw。

ええ、きっとわたしも含め、歴史サイトの管理人の8割方は好き嫌いであれなんであれ、自己主張が強烈な、つきあいにくい奴なのですよ。

(対1名の経験を拡大し過ぎであることは自覚してます。言葉の綾と思って下さい。)

 
  

余談になりますが、わたしが永井路子、杉本苑子両御大の友人関係を敬意半分、不思議半分で受けとめているのはこの経験からです。
お茶々嫌いでおねね好きの永井路子さん、おねね嫌いでお茶々好きの杉本苑子さん、お二人はいかにして「友人」であり続けたんでしょう?

いっちゃあなんですが、永井路子さんの描くお茶々は、●●●●●が描いたオクタウィアヌスなみにひどいもんです。
後者のオクタウィアヌスが、狡猾、陰険、卑小とみつぞろえの無能な男ならば、前者は我儘、身勝手、意地悪と三点セットのヒステリー女。

茶々姫好きの方による「永井路子なんて殴ってやりたいくらい嫌い」とのコメントを目にしたこともあります。わたしは永井作品の愛読者ですが、腹が立つどころか、ほろ苦い気分とはいえ、気持ちはわかる、と思いました。(参考:小説「王者の妻」「乱紋」など)

逆に杉本苑子さんのおねねへの言及のしかたも、陰険で底意地悪いうえに、ねねを「石女」と見下しておられます。カルプルニアさまに言及するクレオパトラ贔屓の作家にそっくりと言えば雰囲気が伝わるでしょうか。(参考:随筆集「霧の窓」中「作られた悪女」、小説「月宮の人」「影の系譜」)

お二人が、おねね・お茶々に関するお互いの見解の相違についてどうお考えなのか本音を知りたい!!

追記.
「人物B」サイトの管理人さん、なんだって、ああも警戒したんでしょう。
わたしだったら、「松原國師著「西洋古典学事典」のリウィアの項目と、ここのサイトのリウィア像があまりにも違いすぎるんですが、詳しく教えていただけませんか?」と問い合わせがきたら、「よくぞ聞いてくださいましたぁ!!」と語りまくりますよ(笑)。

しかるに、リウィアは帝政ローマの創始者にふさわしい、理想的な伴侶であった。

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