2016年04月24日 (日) | Edit |
(最初のお願い)
こういう動物愛護エントリを書きましたが、わたし自身はその活動に関わっていません。
たまたま「保健所犬の飼い主になる前に知っておきたいこと」を読み、それをきっかけに、関連のサイトやブログや書籍を読みました。
なので、このエントリの記述はわたしの理解の結果であり、わたしに責任があります。
著しい間違いは書いていないと思いますが、間違いの指摘には応じますので、穏当にお願いします。


TL上で何度か、保護犬(保護猫)を勧めるTWを目にしました。
(以下、「犬」の箇所は「猫」もあてはまると思って読んで下さい)

「犬を飼いたいと思ったならば、ペットショップに行く前に、保護犬の里親になることを考えて下さい」と。

大きなお世話でありますが、愛護動物を複数飼い(多頭飼いではない)しているだけの人間とはいえ、飼い主のいない犬猫と、彼・彼女の為の活動に、少しばかりでもサポートになることを願って本エントリを書きました。
辺境過疎ブログなので、謙遜の意味ではなく、文字通り微力ですが、やむにやまれぬ気持ちってのが湧きまして(後述)

なぜ「ペットショップからの購入ではなく、保護犬なのか」を説明する前に、保護犬について。

保護犬とは、飼育放棄、迷子等の理由から飼い主がおらず、動物愛護センターなどに一時的に保護されている犬を指します。多くは殺処分となります。
しかし、現在では、民間の動物愛護団体の協力もあり、センターや保護団体の施設、あるいは一時預かりのボランティア宅で、新しい飼い主との出会いを待ってる犬も含めて保護犬と呼びます。

だから、TLで勧められていた保護犬とは、狭義では殺処分をまぬがれ、預かりさんの元で過ごしている犬たちを指していると思います。
しかし、殺処分をまぬがれ、公的施設から引き出された、預かりさんの元では、その子たちの立場は宙ぶらりんのままです。
公的施設や保護団体の保護犬ではなく、終生大切に慈しんでくれる飼い主(※)の元にもらわれてこそ、救出完了と言えましょう。

(※)飼い主
現在では、飼い主ではなく「里親」と呼ぶのが一般的です。「親になったつもりで、二度と遺棄せず大切に育ててくれる人」を求めて「里親」と表記するんだろうなと察せられるのですが、わたしは「里親」表記に気がすすまないので、自分のフィールドである本エントリ内では原則、「飼い主」を用います。




だから、「ペットショップからの購入ではなく、保護犬を迎える」ことで、1頭の保護犬の救出が完了します。

それだけでなく、預かりさんのキャパが空くので、殺処分の危機にさらされている犬を、新たに引き出すことができます。
つまり、1頭の保護犬を迎えることは、2頭の犬を救うことになるのです。

さらに、ペットショップで購入しないことによって、将来的に、生体販売禁止につなげることもできます。
生体販売の問題はデリケートで、わたしも考えがまとまってないのですが、今のところは、「パピーミル」を思うと肯定できません。
末端のペットショップ店員さんには動物好きないい人も多いでしょうけれど、仔犬、仔猫生産の為にフル稼働させられている繁殖犬、繁殖猫のことを思うと、生体販売は肯定できません。

なお、「パピーミル」「繁殖犬・繁殖猫」等についてご存知ない人へ。
いきなりぐぐると、未知の人には、かなりキツイ内容や画像がヒットすると思うので、下記の本をオススメします。

  
左:太田匡彦
「犬を殺すのは誰か ペット流通の闇」

中:(文)井上夕香(写真)小関左智
「ばっちゃん 助けられた繁殖犬たち」

右:大岳 美帆
「子犬工場 いのちが商品にされる場所」




しかしながら、保護犬の飼い主となるのは容易なことではありません。
売り物(犬・猫)の幸福なんてどうでもいい、売れればいい、売れた先で、虐待されようが、遺棄されようが関知しないペットショップとは違い、犬猫が二度と不幸にならないよう、そして虐待や実験、繁殖目当ての詐欺師の元に渡らないよう、徹底的に「飼い主としての適性」を調査されます。

わたしが先に「やむにやまれぬ気持ち」と書いたのは、「保護犬の飼い主となる難しさ」に触れずに、保護犬を勧めていることにハラハラしたからです。

保護犬を引き受けようと保護団体にコンタクトを取ったはいいけれど、要求される「飼い主の条件」の厳しさに怒り心頭、一転、アンチ保護団体、アンチ保護犬となり、「善意を踏みにじりやがって!」と、怒りをあらわにする人もいます。

ネット検索すれば、譲渡における「飼い主の条件と審査の厳しさ」を悪意をもってまとめ、さらしものにしているページもあります。
悪意のまとめでなくても、「保護犬を希望したのに、条件に合わないと断られて、結局ペットショップで購入した。良い飼い主を求める気持ちはわかるけれど、条件を厳しくし過ぎては、かえって良い縁を逃してしまうのではないか」との不満もちらほら見かけます。

そうならない為にも、事前に、「保護犬の飼い主となるのは容易でない」と、あらかじめ知っておくことが大事ではないかと思い、辺境過疎ブログですが、この件を採りあげました。



片野ゆか
「保健所犬の飼い主になる前に知っておきたいこと」


と言っても、↑この本を一冊読んどけ、とオススメするだけなんですが。

本一冊を読むのがめんどい人は、下記リンクをどうぞ。
とりあえず、↓そこで指摘されている二点を呑込んでおけば最低限の心構えはできるかと思います。

外部リンク:「保護猫を家に迎えたい方へ 知っておいて欲しいこと」

◆本書は「保護犬の飼い主となるのは容易でない」事を含めて、保護犬について知る為のわかり易い手引書です。

先に触れた、「飼い主の条件と審査」の厳しさについてもページが割かれ、「なぜ、厳しい条件を課すのか」との理由も述べられています。

少々偉そうに言えば、ここに書かれた理由に納得できる人だけが、保護犬の飼い主となりなさい、です。
「可哀そうな犬を救ってやる」との感情に流された人は到底飼い主には向かないと思いました。

極端に言えば、物乞いしても、一生犬を養ってやる!くらいの覚悟と気概がなければ飼い主にはふさわしくないなと(わたしの感想です)。

だって、人間の子どもは成長すれば親から離れて独立して生きていきます、また、そう育てなければなりません。しかし、犬猫はそうはいきません。
言ってみれば、「永遠の被保護者」です。「永遠の扶養家族」です。
しかも、人間ならば育児放棄されても、殺処分はないし、一応、セーフティネットもあります。しかし、犬猫は殺処分もあり得ます。命を守れるのは飼い主だけです。
一生「保護者」でいる覚悟がない人が飼うものじゃないです。

個人的には、劉邦の法三章に倣って「犬猫飼育三章」を掲げたい。

(1) 終生飼育。
(2) 不妊、あるいは去勢手術の徹底。
(3) 身元明記(迷子札装着、マイクロッチプ等)

◆この本は、保護犬の「飼い主の条件」の他にも、興味深い事項についてわかり易く著述されています。

(1) 動物愛護の過去から現在への流れ(殺処分から生かすことへ、また、官民対立から官民協力への変化等)。
(2) 飼育遺棄の発生する大元(身勝手な飼い主による遺棄他、ペットビジネスの裏)。
(3) 保険の効かない医療費を含めた生涯飼育費用(著者自身の飼い犬の医療にかかった具体的な費用が公開されています)。
(4) 愛犬(愛猫)の守り方。
(5)保護犬、なかんずく成犬を迎え入れることのメリット。

なお、保護犬の飼い主となる条件については、良心的な保護主、保護団体であれば厳しくならざるを得ないと思いますが、それが絶対かと言うとケースバイケースであるように見受けられます。。
後述する「ずっと犬が飼いたかった」の著者も、「いもうとは秋田犬」の著者も、条件的には不利でしたが、誠意と熱意でもって、保護犬の譲渡先として審査を通過されています。



なお、誉めた話じゃありませんが、結果オーライとなった、次のようにたいへん「いい加減」な譲渡もあります。


穴澤賢(あなざわ・まさる)
「またね、富士丸」


「またね、富士丸」は、8年弱の歳月を共に過ごした愛犬・富士丸に突然先立たれた作者さんが、ペットロスの悲しみ、苦しみに苛まれ、なんとかそこから脱却しようとあがく、苦闘の記録であるのですが、作者さんが飼い主となる譲渡の「いい加減」さが、批難の意味でなく、印象に残りました。

富士丸くんは、ペットショップでの購入ではなく、「里親募集」サイトから貰い受けた犬でした。
この時の譲渡が、「保健所犬の飼い主になる前に知っておきたいこと」を読んだ身から見ればかなり「いい加減」です。

当時の作者さんの状況は、良心的な保護主あるいは保護団体であれば、謝絶されるものだったのではないかと思います。

(1) 1DKのマンション住まい。
富士丸くんはコリーとハスキーの雑種。
親犬のことを考慮すれば、成長後は中型犬~大型犬の大きさになると予測できます。また、運動量も相当必要とします。
いつまでも1DK住まいではないかもしれませんが、コリーとハスキーの雑種の住まいとしては狭く、不適切ではと思われます。

(2) 子どものいない若い夫婦。
なんでこれがダメなのかと言いますと、「子どもが産まれた」ことをきっかけに飼育放棄となるケースがあるからです。
子どもに動物アレルギーが出た、あるいは、子どもに手がかかって、犬の世話が面倒くさくなった、費用を惜しむようになったとかで。
子どもの誕生による変化に予測がつかない分、譲り渡すのを避けたい相手だと考えられています。

しかしながら、富士丸くんは、当時の作者さん夫婦に譲渡されました。
保護団体では通常の、お見合い期間もなく、お試し期間もなく、会ったその日の持ち帰りで。

この「いい加減」さは、たぶん、譲る側が行政でも保護団体でもなく、繁殖に失敗したブリーダーだったからだと思います。
勘ぐれば、譲る側(ブリーダー)にとっては「売りものにならない」から、とっとと厄介払いしたく、もらってくれるのであれば相手が誰でもよく、仔犬が幸福になろうが不幸になろうがどうでもよかったのでは。

結果として、この「いい加減」な縁は双方にとって幸福なものとなりました。
富士丸くんは愛されました。大事にされました。慈しまれました。
作者さんの生活は決して順風満帆のものではありませんでしたが、富士丸くんを捨てることはありませんでした。単に「捨てない」だけでなく、富士丸くんを愛しました。大事にしました。慈しみました。

しかしながら、この「いい加減」さを知って、「ほらみろ!やっぱり保護団体は厳しすぎる!!あいつらこそ、犬猫の良縁を妨げている悪の団体だ!!」との憎悪を持たれるのはたいへん不本意です。

たしかに富士丸くんは幸福な一生を過ごしました。
でも、富士丸くんと一緒に生まれたきょうだいたちは?
不明です。
不幸になったとは言えませんが、幸福になったとも言えません。
(憶測でもものを言ってすみませんが、この「いい加減さ」を見るに、里親詐欺師であっても、不審に思わず、ホイホイと渡してしまいそうです。)

「いい加減な譲渡だから幸福な譲渡先を見つける」のでもなく、「審査が厳しいから良縁を逃す」のでもないと思います。

あまり使いたい言葉ではないけれど、「運」なのかなあ。
「運」を用いてしまうと、殺処分となった犬猫たち、酷い一生で終わった犬猫たちに対してあまりにも無慈悲で申し訳ないのだけれど、それでも「運」としか言いようがない気持ちにさせられます。

 
左:成毛厚子
「ずっと犬が飼いたかった」

右:今西乃子・浜田一男
「犬たちをおくる日 この命、灰になるために生まれてきたんじゃない」

成毛さんの飼い犬れい子さんのアップである「ずっと犬が飼いたかった」の表紙、どっかで見たようなと気になってたら、「犬たちをおくる日」とそっくりなんだと気がつきました。

ともに、人間(読者)をじっと見つめる犬のまなざし。
けれど、この二匹がたどった運命は真逆です。

れい子さん(「ずっと犬が飼いたかった」)は殺処分寸前に動物愛護センターから引き出され、その後、保護団体を経由して成毛さんの飼い犬となり、後に加わった猫ともども幸福に暮らしています。

「犬たちをおくる日」の表紙の仔は、おそらく殺処分されています。

◆成毛厚子さんと言えば漫画家。それもホラー漫画の名手。
この書の背表紙を見た時は、
「え?成毛さん?てことはまんが作品なの?でもここはまんが本コーナーじゃないし、同姓同名の別人?でも、珍しい名字だしなあ」
とりあえず手に取ってみたら、やはり漫画家の成毛厚子さんによるものでした。

20年前後の歳月をともにした愛猫二匹を見送り、悲しみの底に沈んだ成毛さんが、保護犬を引き取り、さらに捨て猫を貰い受け、二匹との関わりのなかで新たに喜びを見出していく日常が綴られています。

たんなる犬猫エッセイではなく、保護犬を通して見える、日本のペット飼育の暗部も語られます。

わたしがこの本で特にいいなと思ったのは次の二点です。

(1) 保護団体から犬猫を譲渡される際の条件と審査の厳しさに言及している。
但し、成毛さんご自身は、譲渡条件の厳しさを「当然のこと」と受け入れていらっしゃいます。

(2) 昭和の犬猫の飼われ方について言及している。
成毛さんの幼少時代の個人的な体験ですが、参考になります。

防犯と残飯処理のために飼われ、躾を受けることなく、散歩につれだされることもなく、病気になっても獣医にかかることもなく(そもそも動物病院も少なかった)、ただ「気が向いた時だけ遊ぶ動くおもちゃ」のように扱われて死んでいった昭和の犬たち。

犬に比べれば、作者さん宅に迎え入れられた猫たちは、幸福であったように読めます。
まあ、猫は散歩がいりませんから。
でも、外出をとめてなかったので、1匹、帰ってこなかったのがいるらしいです。
作者さんはそれを悔いておられます。


他に、友人の漫画家、西さんについて言及があって、「西さん」と名字しか書かれてないのですが、「西さん」で猫の「茶タロー」の飼い主とくれば、「あかりとシロの心霊夜話」の作者さんです(笑)。
「あかりとシロの心霊夜話」シリーズが好きなので、その作者さんがちらと出てきて楽しかったです。
お二人をつないだ亡き愛猫たちのエピソードもすてきです。

関連エントリ:【西尚美「あかりとシロの心霊夜話」】


「いもうとは秋田犬」
作者:小池田マヤ


「いもうと」である秋田犬、南ちゃんが、元保護犬って点にひかれて読みました。
同じく成犬の保護犬を迎えた、成毛厚子さんのエッセイ「ずっと犬が飼いたかった」もいい本でしたし。
本作も期待に違わず良かったです。

南ちゃんは保護犬でした。
だから、ペットショップで購入するように簡単には作者さんの犬とはなりませんでした。

ペットショップなら、
購入すると言いました。
 ↓
売ってもらえる。(ペットショップに飼い主審査はない)
 ↓
あっという間に我が家の犬

そんな流れではなく、
保護元でのお見合い(数回)

自宅でのトライアル飼育

この流れを経て、共に暮らしていけるよう覚悟と準備をする過程がユーモラスにえがかれています。

コミックスのおまけは、カラー2頁(南ちゃん他、お友だち犬二頭の写真)と、各話毎に、同じく保護犬飼いの担当さんとの対談「おしゃべりコラム」が入ってます。
コラムのテーマは「おやつ」「さんぽ」「ごはん」「保護犬(1)~(3)」。
残念なのは、初出掲載誌について記載がないことです。

ところで、わたし、この本表紙のふりがなで、初めて「秋田犬」を「あきたいぬ」と読むと知りました。
この世に生まれて××年、ずっと「あきたけん」と読んでたよ。

他に「知らなかったけど、知ったこと」。
犬服は「部屋に抜け毛が散らない」「着せると着せないとではコロコロの使用量が全然違う」。
すみません、わたしも犬服は飼い主の自己顕示欲だと思ってました。ごめんなさい。


福本博文
「黄金の犬たち」


ひょんなことで、「保健所犬の飼い主になる前に知っておきたいこと」を読み、そこからずるずると、遺棄犬、実験犬、殺処分に関わる本を読み、さらに犬猫保護ブログを読み、流れ流れて、行き着いたのが、「黄金の犬たち」。

東京畜犬事件なんて知らんかったよ。
日本に「動物愛護法」成立を促すきっかけとなった一種の詐欺事件(ものすごい雑な譬えですが、和牛商法、犬ヴァージョンとでも)。
困った時のWikipediaにすら項目がないよ。

人間が一番怖い、と、陳腐な結論になりました。



◆きれいに締めたのに、構成が下手くそなもので、書き損ねたことをずらずらと綴ります。

(1) このエントリを書いた動機は、「保護犬の飼い主となるのは容易でない」ことと、その理由を知って欲しいと思ったからですが、もうひとつ、理解したうえで「自分にはあんな厳しい審査を受けるのは無理だ」と考えるのも有りだと伝えたかったからです。

わたしがそうなんです。

無理。わたしとて、ペットショップよりは保護犬や保護猫をと思うけれど、あんな厳しい審査を受けるなんて無理。

現在とある愛護動物を複数飼いしているのでキャパがないってこともあるし、条件をあまり満たさない、審査に通らなさそうってのもあるんですが、自分の性分として、プライバシーを赤の他人にさらすのなんて無理。無理。無理。無理。
仮に、審査する側が、同等にプライバシーを提示してくれても無理。無理、無理。

条件と審査が厳しくなる理由はじゅううううううぶんに理解しましたし、批難も否定もしませんが、わたしには無理。

だから、自分に出来ることで、猫たちの幸福に貢献します。
まずは、今の子たちを大事にして、天寿を全うさせることだな。
(今の子も、過去の子も、生体販売ショップからの購入ではなく、飼い主がいない状態の子らを迎え入れています。)
そして、飼い主のいない猫たちや犬たちの為にも出来ることをしていきます。

(2) なんとなく気になったのは、事実婚の人たちです。法律婚可能だけれど、あえて事実婚を選んでいる男女とか、性的マイノリティの為、法律婚はできないけれど、婚姻同様の関係で一緒に暮らしている人たちはどうなるんだろう?

成毛さんや小池田さんの例を見ると、意外と独身女性ってのは、熱意と誠意によっては通るんでないか?と感じました。
と言うよりも、保護団体の人たちも、一般人であるからには、犬猫のことを離れれば、世間的の一般的な考えや風習やならわしに染まって生きているわけで、だから、「独身女性」ってのは理解できる存在なのでは。

しかし、事実婚男女とか、事実婚性的マイノリティってのは?
理解しがたい人が多いんじゃないかなあ。
(これはわたしの偏見で、理解者が増えてるならば喜ばしいことですが)

こういう人たちが、飼うならば保護犬をと思っても、プライバシーに触れる審査に懸念を抱いて、諦めているケースってものあるんじゃないかなあ。

突き詰めれば、審査の為に提出した機密情報は守られるのか?と、信頼の問題になるんですが。

たんに「外部に情報が漏らさない」って点だけでなく、審査した本人が、申し出てきた人のプライバシーに感情を動かさない、好奇心を刺激されないってことが信用できればねえ・・・。

その為にも、当事者同士に任せるのでなく、なんか客観的な「信頼」の証となるものがあればいいなと思います。
企業ならプライバシーマーク取得ってのがあるのんですけど、それでも時々流出事件がありますな。

(3) 「殺処分ゼロ」とともに「保護犬ゼロ・保護猫ゼロ」を目指して。
活動してるわけでもないのに、なに偉そうに目標掲げてんだよと。

でも、でも、保護犬、保護猫がいるって状況は、だめなんですよ。
「保護犬ゼロ・保護猫ゼロ」ってのが、より良い在り方です。

その為にも、終生飼育の徹底、不妊・去勢手術の徹底が望まれますが、さらに「飼い主の免許制」ってのが大事ではないかと。

飼い主が免許制になり、審査が当たり前となれば、審査する側にもモラルが求められる(←現行の保護団体や保護主のモラルが低いと言いたいのではない)ことも当たり前となり、審査側にも公的な資格があれば、審査される側の警戒も薄れるんじゃないかなあ。

「飼い主免許制」が導入された場合、わたしにとっては、不利にこそなれ、有利になることはないのですが、遺棄され、殺処分される犬猫ゼロとなるなら、全然いいですよ。

(4) 犬嫌いじゃありませんが、わたしは猫派です。

全然まとまりないですが、今度こそ終わり。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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