2016年06月15日 (水) | Edit |
四分割してます。
分けて掲載するつもりでしたが、ひっぱる話でもないので、一挙掲載です。

◆「嫌い」発言のみが他人を不快にさせるのか?(その1)

今でこそネットの世界ではひきこもり気味のわたしですが、以前は現在より積極的に同じジャンルのサイトやブログと交流していました。

その中に高々と「思いやり」を掲げるサイト主さんがいました(以下、Aさん)。
平成21年の大河ドラマ(未見)の主人公が「愛」だか「義」だかを掲げるごとく。

おりに触れては、
「コメントは大勢の人の目に触れるから、思いやりをもって書き込みして下さい」
「批判や嫌いの発言は慎んで下さい」
「あなたが嫌いなものを好きな人もいるんです。常にそれを念頭において書き込みしてください」等々。
(わたし個人に向けられたものでなく、サイトに来る人全員に向けてです。)

歴史系サイトは、「俺様の知識が絶対正しいんだぜぇ」「わたしの愛する●●さまサイコー」と俺様主義の人間が集まってきやすいので、警戒しておられたんだろうなと察せられます。

が、当時は耳が痛かったです。
自分は、「好き」な気持ちをはっきり書く反面、「嫌い」なものを徹底的に辛辣に叩く傾向があるので。
自分のサイト内ではいざしらず、Aさんのサイトに非常識な書き込みはしなかった、と言いたいんですが、相手がどう感じていたかはわかりません。

ただ、自分の反省点は反省点として、「嫌い」発言や「否定的な見解」をやたらに排除しようとするAさんの態度には、釈然としないものがありました。
特に、「あなたが嫌いなものを好きな人もいるんです。あなたの『嫌い』発言で不快になる人がいるかもしれないことを常に考えて書き込みしてください」には。

あまりにも一方的な決めつけじゃない?と。
何かを嫌っている人にとっては、それを好きだとほめそやす発言が不快であるかもしれないのに。
「嫌い」発言だけが他人を不快にするかのような言い分には首肯できませんでした。

わざわざ議論を吹っ掛けることはしませんでしたが、Aさんサイトへの訪問はややおっくうになり、あれやこれやで、現在に至っています(語ることでもないので、途中は大幅に省略)。

次のような例があります。

その1.
とある会社の社長さんが自分のブログで「『愛の流刑地』を愛読しています!」と書いたら炎上しました。
あんなエロ小説を好むなどけしからん!と。

その2.
とあるスポーツの選手さんが、自分のブログで「K田選手の世界タイトルマッチに感動しました」と書いたら炎上しました。
八百長試合に感動するなどけしからん!と。

どっちのケースも批難書き込みしてきた人たちが礼儀知らずだと思います。
けれど、「何かを『好き』と表明することも、それを嫌う人間を不快にさせることもある」事の実例として紹介しました。

◆「嫌い」発言のみが他人を不快にさせるのか?(その2)

「その1」でわたしは書きました。
「何かを『好き』と表明することも、それを嫌う人間を不快にさせることもある」と。

実例として、下着会社の社長さんとスポーツ選手のブログ炎上例を紹介しましたが、今回はわたし自身の経験です。

昔々、わたしは同じジャンルのサイトさんと積極的に交流していた頃がありました。

ある時、他サイトの掲示板で「わたしは作品Aが好きです。管理人さんはどうお思いですか?」と話を振りました。
作品Aは、書き込み先のサイト主旨から外れていないし、掲示板の話題の流れにも沿っていたのですが、管理人さんは作品Aがお嫌いだったんですよ・・・(汗)。

わたし自身にではありませんが、作品Aに対してはかなり辛辣なレスが返ってきて、しまったと臍を噛みました。
見解の相違には触れず、レスを下さったことに感謝して、即話題を切り上げましたが、そのやり取り以来、訪問も書き込みも二の足を踏むようになりました。

わたしの好きな作品を貶されて腹がたったのではなく、逆に、わたしの訪問や書き込みが管理人さんにとって不愉快なのではないかなと気を回したからです。

書き込みの件に加えて、自分のサイトでは作品Aを絶賛していただけに、その絶賛感想を管理人さんもご存知で、もしや以前からわたしの訪問を不快に思っていらしたのではないか?と、取り越し苦労をしてしまい、これだけが原因じゃありませんが、訪問も書き込みもすることはなくなり、あれやこれやで、現在に至っています(語ることでもないので、途中は大幅に省略)。

他人とのおつきあいはむずかしいね、と、言いたいのではなく、「何かを『好き』と表明することも、それを嫌う人間を不快にさせることもある」という事実です。

嫌い発言だけが人を不愉快にさせるものではありません。

「わたしの大好きな▲▲を『嫌い』と言う感想を読んで傷ついた、傷ついた。▲▲を好きな人の気持ちを考えて下さい」等の、一方的に被害者ぶった泣き言に何度か出くわしたことがあります。

逆の想像は働かないんでしょうか?
▲▲を嫌いな人から見れば、▲▲が好き!という感想も十分に不快であり、場合によっては傷つける力をもっていると。

◆「嫌い」発言のみが他人を不快にさせるのか?(その3)

わたしが主張したいのは次の二点だけです。

(1) 「何かを『好き』と表明することも、それを嫌う人間を不快にさせることもある」
(2) 「『嫌い』発言だけが人を不愉快にさせるものではない」


言ってみれば自己弁護です。
わたしは好きなものは熱烈に好きになる一方、嫌いなものは徹底的に嫌いぬく性分なので、「思いやり」の主張や、「嫌い」発言を否定するスタンスを見ると、人格を否定されているように思えるんです。
「サラさんの嫌い発言で傷つく人がいるのに、ひどい人ね」と。

ええ、わたしの側の勝手な受け止め方です。発言者に責任はありません。

ただ、世間的には「嫌い発言はやめましょう」派の方が正論だから、あっちは思いやりのある良い人、わたしは嫌い発言するイヤな人にカテゴライズされるのは釈然としません。

これもまたわたしの側の勝手な受け止め方です。ていうか、ほとんど被害妄想でしょう。

ここまでが前振りです。

お茶々好きの人の「永井路子なんて殴ってやりたいくらい大嫌い」という発言をみかけたことがあります(中高生ではなく大人であるもよう)。
永井さんはわたしの大好きな作家のおひとりですが、発言者が「嫌い」発言される気持ちはわかりました。
たしかに、永井路子さんの描くお茶々はひどい。
●●●●●が書いたオクタウィアヌスなみにひどい。
後者のオクタウィアヌスが、狡猾、陰険、卑小とみつぞろえの無能な男ならば、前者のお茶々は我儘、身勝手、意地悪と三点セットのヒステリー女。
お茶々好きの人の中に、永井さん嫌いがいても当然でしょう。
わたしは永井作品の愛読者なので、ほろ苦い気持ちを抱きましたが、気持ちはよくわかったので、不愉快にはなりませんでした。

何が言いたいかといえば、

『嫌い』発言だって、他人の共感を呼ぶこともある、という事。

わたしがタキトゥスより嫌いなのは、「思いやり」を振りかざし、あるいは振りかざさなくても、「嫌い」発言を否定する人たちです。
「好き」発言だけが「正しい」かのように。

またやっちゃたよ。
「嫌いなものを徹底的にたたく」行為を・・・。

◆「嫌い」発言のみが他人を不快にさせるのか?(その4)

これか、これなのか!?
「嫌い」発言排除者が、やたらに「思いやり」を振りかざすわりには、「好き」発言も他人を十分に不快にさせる可能性があるという事実に思い至らない原因は。

193:名無し 2007/06/10 14:09:27
好きなものを好き、嫌いなものを嫌いという事は悪い事ではないけど、
キャラやカプを誰でも見れる日記とかではっきり「嫌いだ!」と全否定しちゃうと、それを見た誰かを不快な思いにさせることは覚悟しておいた方がいいね。
いくら日記読むのは見る側の責任でもさ。「好き」は素直に共感できる気持ちのいい感情だけど、「嫌い」は悪意も含んだ感情だから
(「サイト管理人の本音リターンズ」より引用)(リンク切れの為、リンクは貼ってません。)



いやそれって一方的すぎるから。
嫌い発言だけが、誰かを不快な思いにさせるものじゃないから。

>「好き」は素直に共感できる気持ちのいい感情



「嫌い」発言排除者が、こう考えているのであれば、「嫌い」発言ばっかり悪者あつかいするのは当然ですねえ・・・。
そうとは限らないってのに。

「その2」で書いた通り、「好き」発言だって、他人を十分に不快にさせる可能性があります。

ついでに書くと、こうやって「嫌い」発言を排除する人って、「根拠があれば」「正当な指摘であれば」の条件付きで「嫌い」ならぬ「非好意的な発言」(当人は「正当な批判」と称していますが)を許容している傾向があるように思います。

なんだかね。

根拠があろうと、正論だろうと、本人が「批判」だと言いつのろうと、自分の好きなものへの非好意的発言を好む人はいないと思うわよ。
ましてや、「根拠があるから」「正当な指摘だから」と、自分の正しさを疑いもしない人間から言われたのであれば。

こういう人って、「わたしは根拠のある批判をした。したがってわたしは正しい。受け入れないのは、相手が狭量だからだ。」と思い込んでいるんだろうなぁ。

>それを見た誰かを不快な思いにさせることは覚悟しておいた方がいいね。



ええ、覚悟していますとも。
「嫌い」発言をする人間は、自分が嫌われやすいことも、批難の目でみられることも知ってますとも。
そして、自分が「絶対に正しい」なんて露ほども思っちゃいません。

だけど、「嫌い」発言排除者、「好き」発言のみ礼賛者のみなさんには、「好き」発言も他人を不快にさせるという覚悟はしていますか?
してないでしょうね。
だって、「好き」発言も他人を不快にさせることもあるとは想像もできないんですから。
当然、他人を不快にさせる覚悟もないんでしょう。
あるのは、自分は善なる者、良き者であるとの思い込みだけ。

わたしには、「嫌い」発言者の方が分をわきまえている点において、自分を正しいと思い込んでいない点において、「嫌い発言」排除者よりマシに思えます。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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