2016年07月28日 (木) | Edit |
再録エントリですが、以前いただいたコメントは未再録です。コメントありがとうございました。

◆その1.デキムス・クラウディウス・ネロ

リウィアの次男は一般にドルススもしくは、同名の甥と区別する為に大ドルススと表記されています。
生まれた時のフルネームはデキムス・クラウディウス・ネロ。
その後ネロ・クラウディウス・ドルススと名乗りました。

スエトニウスは「皇帝伝 クラウディウス-1」で、ドルススの元々の個人名(プラエノーメン)がデキムスであることを明記している。
しかし、デキムスは貴族の個人名ではない。そして、クラウディウス氏族ネロ家に唯一見られる例であることが検証されている。
しかしながら、クラウディウス氏族の解放奴隷の追悼碑文にデキムスの記載があること指摘して、同名がクラウディウス氏族で用いられた可能性をモムゼンは提唱している。しかし、デキムスは決してクラウディウス氏族ネロ家に堅く結びついた名前ではない。
事実セクストゥスもあらゆるクラウディウス氏族に見られない。
(中略)
この氏族がネロの家名を採用するとともに、ティベリウスの個人名を用いた建国早期、他のクラウディウス氏族で常に用いられた個人名はアッピウス、ガイウス、そしてプブリウスであった。
紀元前2世紀から紀元後1世紀初頭にかけてクラウディウス氏族ネロ家の世代的な情報が欠けているので、デキムスの個人名がいつネロ家に受け入れられたかの証跡を推測することはできない。
したがって、よりあり得る推測は、リウィアとクラウディウス・ネロが、二人の次男にリウィウス氏に用いられる個人名を与えたということである。
デキウスもしくはデキムスはリウィウス氏族で用いられたことが裏付けられている。
(Huntsman「The Family and Property of Livia Drusilla」p73-74注釈)(日本語はわたし)



「継父の不義の子ではないかと疑われた」状況なのに、この命名では噂の火種に油を注いだのでは・・・!?
まるで父クラウディウス・ネロが、「息子が産まれた?わしに覚えないね。クラウディウス氏族の子とは認めん」と言わんばかりじゃないですか。

とはいえ、わたしは、ドルススの実父はクラウディウス・ネロ説を支持していきます。

◆その2.まずかきやりし人ぞ恋しき

in the same bed, on the part of the one(Drusus) the vigour of youth was extinguished, while on the part of the other(Antonia) the experience of widowhood dragged on into old age. Let this bedchamber be taken as representing the extream case of such experience.
(Nikos Kokkinnos「Antonia Augusta: Portrait of a Great Roman Lady」p16)

同じ寝台で眠った一人(ドルスス)は、若盛りの身で打ち砕かれた。
あとの一人(アントニア)は、寡婦のまま老境に至った。
この寝室は極端な経験の象徴として用いられる。
(日本語訳はわたし)




引用文はVelerius Maximus(ティベリウス時代の歴史家)によるものです。
どうにも意味がつかめないのですが、「修辞学的、哲学的な偏向ある叙述」であるらしいので、若くして死んだ人物と、老いるまで生きた人物が同じ寝室で過ごしていたことを運命の皮肉とみなして対比させているのかもしれません。

哲学的考察はさておいて。

引用文からわかるのは、アントニアが夫の死後も、夫と過ごした寝室で眠りについていたことです。
哲学者でも修辞学者もないわたしは、この一文から和泉式部の艶やかな独白を連想しました。

黒髪の乱れもしらずうち伏せば
まずかきやりし 人ぞ恋しき



自分の黒髪をかき抱いた、今は亡き恋人を想って詠んだ歌です。
黒髪によみがえる、亡き人の愛撫のぬくもり・・・。
なんともなまめかしく、官能的です。

アントニアが夫と過ごした寝台でずっと眠りについた行為にも同種の官能を感じます。

関連エントリ:【世界史上の三大貞男(さんだい・ていなん)】

◆その3.アントニアの死

On 1 May AD37, at the age of seventy-two, the great lady, preferring to die with dignity, was driven to suicide.
(Nikos Kokkinnos「Antonia Augusta: Portrait of a Great Roman Lady」 p28)

紀元後37年5月1日、72歳の偉大なる貴婦人は、自殺へと追い込まれ、尊厳を持って死ぬ事を選んだ。
(日本語訳はわたし)



アントニアは自殺を強いられた!?

たしかに、スエトニウスの「皇帝伝」には、「カリグラは祖母を死に追いやる張本人となったのである」(カリグラ-23)との記述があります。
けれど、カリグラだから、老齢による自然死も、誹謗の種にされたのだろうと読み流しておりました。

皇帝伝以外にも、アントニアの自殺をほのめかす、あるいは明記した史料はあるのでしょうか。

自殺したか否かは脇に置いても、アントニアも悲劇的な一生である側面を持ちます。
鍾愛の長男は東方で早死にし、娘リウィラも不義と毒殺の汚名をかけられ先立ちました(セイヤヌスと姦通し、夫を毒殺した咎で、アントニア自ら餓死を命じたとの記述もあります)。
末子クラウディウスは無事生き伸びましたが、ティベリウスの孤立とカプリへの逃避、セイヤヌスの陰謀、ゲルマニクの子供たちの悲惨な末路も見続けなければならなかったのですから。

長生きするってのは、必ずしも幸福とは言えない。
同じ事は、アウグストゥス、リウィア、ティベリウスにもあてはまります。
かといって、不幸な結婚を強いられた兄を残して若死にしたドルススが幸福とも言えないのだけど。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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