2016年09月07日 (水) | Edit |
一部再録ありますが、いただいたコメントは未再録です。コメント、ありがとうございました。

◆その1.アグリッパの出自

この卑賤な生まれの、優れた戦術家にして勝利の伴侶
(タキトゥス「年代記」1-3)

カリグラは、自分がアグリッパの孫だとは信じたくなかったし、人からもそう言われたくなかった。アグリッパの出生が卑賤な為であった。
(スエトニウス「ローマ皇帝伝」カリグラ23)

Velleius mentions the novitas of his family.
(Meyer「Marcus Agrippa」p5)



オクタビの親友であり、側近中の側近であり、帝政樹立に尽力した右腕であり、娘婿でもあるアグリッパ。
上記に引用した通り、名門貴顕とは無縁の出身です。

塩野本では、「イタリアの地方の名もない家の出で、軍隊に志願するしかなかった育ち」とされ、カエサルの仲介を経て、オクタウィアヌスと親交を結んだことになっています。

この「カエサルの仲介」説、てっきり塩野さんの創作だと思っていました。
だって、塩野さんてば、太陽が昇るのも、人類が宇宙に進出できるのも、みなカエサルのおかげと言わんばかりにヨイショしまくってる方ですから。

ところが、Meyer「Marcus Agrippa」(P12-13)に似た記述があり、まるきりの塩野さんの作り事ではないとわかりました。
以下、いつもながら辞書と勘で読み解いた英文を適宜日本語に直しています。

「Manillius(※)による、現代語訳可能な断片的な記述によれば、アグリッパはかなり若くして軍に入隊していた。
軍隊奉公が許されるのは法的には17歳であるが、下層階級では相当数の人間が法定年齢以前に軍に志願したと思われる。
内乱による兵士の需要の高まりも、その傾向を助長した。
で、あるならば、若くして軍隊でのキャリアを積んだアグリッパが、ユリウス・カエサルの目にとまり、オクタウィアヌスに紹介され、学友として勉学への援助を受けたことは大いに考えられる。」

(※)詳細不明。注釈もありません。



◆その2.アグリッパとユリアの結婚

塩野さんによると、ユリアとアグリッパの結婚は幸福であったという事です。
塩野さんの叙述のニュアンスからすると、「父からも継母からもないがしろにされていたユリアは、アグリッパの愛に包まれてようやく幸福をつかんだ」ように読めます。

一方、「Jlia, Daughter of Augustus: A Biography」の著者、William T. Avery氏は、むしろ、アグリッパとの結婚がその後の彼女の転落の序曲であったのではないかと指摘しておられます。
なぜなら、「年齢、気質、嗜好がことごとく合わなかったのだから」と。

どちらが正しいかの判定には踏み込みませんが、ユリアにとって、アグリッパとの結婚は、マルケルスとの結婚と似て非なるものであったろうと、わたしは思います。

マルケルスはアウグストゥスの甥でした。
アウグストゥスに一番近い男子縁者であることと、一人娘の婿であること、どちらが後継者の条件として優位であったかは今となっては不明ですが、ともあれ、「アウグストゥスにもっとも近い血縁の男子」という強味をマルケルスは有していました。

それを持たないアグリッパが、ユリアの夫となったことによって、ユリアの立場が飛躍的に上昇したと思います。
二度目の結婚以降、「ユリアの夫になり、男児を儲ける」事が、アウグストゥスの後継者となる条件と認識されたのですから。

ユリアの奔放な男性関係の噂は、アグリッパとの結婚時から始まったと言われています。
また、アグリッパとの結婚と入れ替わりに、父と継母は東方遠征に出ており、頭を抑える者のいなくなったローマで、自分との結婚によって、自分の出産によって「後継者」の立場をより強固なものとした夫との生活は、十二分に羽目を外せるものではなかったでしょうか。

後々の東方行にて、川の氾濫時、ユリアに助力しなかった街の人々を罰したというアグリッパのエピソードもあります。

このエピソードから、わたしは「自分の立場の優位に目覚め、したい放題にふるまうユリア」と、「ユリアに気兼ねしている、ユリアに気遣っているアグリッパ」の姿が浮かびます。

「お腹さま」をつけあがらせる形にローマの帝政の継承を方向づけたのは「血縁の後継者」に執着したアウグストゥスにほかならないんですけどね…。

◆その3.マルケルスはアグリッパに殺された

有り得なさそうでも、あれこれ考えてみれば、別の局面がみえてくるので、一人ブレーンストーミングです。
一応注意しておくと、「アグリッパがマルケルスを殺した」説なんて、一次史料にもないし、現代の学者さんも提唱していないし、書いているわたしですら信じちゃいません。

さて、マルケルスの死が謀殺であるならば、犯人探しの原則、「利益を得た者を疑え」に従って、マルケルスの死で恩恵を被ったアグリッパが最有力容疑者です。

マルケルスの補佐役から、一躍、アウグストゥスの後継者に擬せられたのですから。
そして、動機も十分にあります。

BC23年春頃
 アウグストゥス危篤に陥り、指輪をアグリッパに託す。
 マルケルス、その件によりアグリッパに対して敵意を抱く。
 二人の諍いを止める為に、アウグストゥスはアグリッパをシュリアに派遣した。
同年秋頃、マルケルスは亡くなった。

アウグストゥスの心づもりでは、マルケルスの義兄アグリッパが、自分の死後もマルケルスを補佐していく計画であったことでしょう。

しかし、残念ながら、マルケルスはアグリッパに敵愾心を抱きました。

アグリッパの立場にてば、親友の為ならば火の中水の中を厭わず尽くそうとも、苦労知らずに育った甥っこに同様の忠誠心など持ち得ない。
親友の望みでもあり、二人で作り上げてきた「帝政ローマ」の為であればこそ尽くしてやろうと思っている。
ところが、世間しらずのひよっこが、力量不足も顧みず、おれに敵意を抱くとは!!

病気がちのアウグストゥスの早世した場合(現に危篤に陥った)、マルケルスとうまくやっていけるか不安になった。
アウグストゥスの死後、マルケルスが自分を排除にでる可能性が大いにあるのですから。

マルケルスが死ねば、将来の不安はなくなる。
否、指輪を託すほどの信頼をアウグストゥスが自分に寄せてくれていることを思えば、ユリアの新たな婿となる可能性も十分にあると踏み、マルケルスを謀殺する計画を立て、実行した。

疑えばアグリッパもマルケルス殺しの黒幕に仕立て上げることができる一例として書いてみました。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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