2017年01月17日 (火) | Edit |
1月17日が、二人の結婚記念日と推定されている根拠は、どっかの碑文らしいです。
あいまいな言い方ですみませんが、参考書籍が英文で、注釈に略語ばかりで記述されてて、わたしの英語力では解読不能なもので、あしからず。

閑話休題。

小説は作品全体にその作家の価値観が投影されるため、共感できればいいが、少しでも違和感があると読むに耐えない。小説家が加工した歴史より、歯を食いしばっても学者が調べた事実を読むほうが有益だ、とは、青池保子さん(「『エロイカより愛を込めて』の作り方」)の言です。

たしかに、「この私、クラウディウス」をはじめとする虚構の世界に比べると、学者が書いた評伝はリウィアに優しいです。
なかで、「ローマの愛」の著者グリマルさんはリウィアに辛辣ですが。

関連エントリ:【グリマルさんはアンチ・リウィア】

公正に調査・研究した結果であって、「優しい」などと表現すべきではないかもしれませんが、わたしには優しいと映ります。
リウィアがマルケルス、ガイウス、ルキウス、アウグストゥスを次々と葬っていたという犯罪者説を一笑に付してくれているから。
そして、二人の間に愛情があった事を肯定してくれているから。

The ancient sources suggest that considerable affection existed between Livia and Augustus throught their marriage. Although we have noted that the image of an impassioned Augustus stealing Livia from her previous husband is largely a result of hostile propaganda and serves to obscure the political and family advantages that resulted from the match, there is no reason to deny that at the basis of these stories was the fact the two loved each other. <中略>Failure to produce offspring was a legitimate cause for divorce, so Augustus, in view of his desire for an heir of his own blood, could have divorced Livia for failure bear another child. Nevertheless, the factors that brought them together initially, reinforced by their good relationship, discouraged Augustus from terminating their marriage.
(E.D.Huntsman「The Family and Property of Livia Drusilla」P88-89)

古代の史料は、結婚生活を通じて、二人の間に相当な愛情があったことを示唆している。情熱にかられたアウグストゥスが、前夫からリウィアを奪ったというイメージは、多くは敵意ある宣伝によるものであり、この婚姻によって生じた政治的、家庭的な利益を覆い隠してしまうものであるが、二人が互いに愛し合っていたという事実が、それらの挿話の元になった事を否定する理由はない。<中略>不妊は離婚の正当な理由となるので、アウグストゥスの血を分けた後継者への熱望を考慮しても、不妊を口実にリウィアを去らしめることができた。しかしながら、最初に二人にもたらされ、良き関係によって強固となった要素が、アウグストゥスに離婚を思いとどまらせた。(日本語訳はわたし)



「要素」と訳した「factors」は、何を指しているかよくわかりません。
「愛情」と言いたいところですが、政治的・氏族的な結びつきなのか?


Mary Mudd「I,Livia The Countrtfeit Criminal」

Huntsman氏は、節度ある推測にとどまっていますが、リウィアさま大好き、アウ&リウィカップリング大好きなMary Muddさんは、さらに二人への愛に溢れた一文をお書きです。

Augustus enduring affection for Livia was no secret. Most ancient writers – includeing hostile Tacitus – allude to the imperial couple’s happiness and compatibility. This visible devotion conceivably grated upon Romans who were chafing in loveless, arranged marriages. It also must have irriated designing females, who aspired to usurp Livia’s place in her hasband’s heart, home, and political system.(p155)

アウグストゥスのリウィアへの変わらぬ愛情は皆が知っていた。古代の殆どの作家が、敵意あるタキトゥスをも含めて、皇帝夫妻が琴瑟相和していた事をほのめかしている。ひょっとすると、誰の目にもわかるこの強い愛情が、お膳立てされた愛情のない結婚に苛立つローマ人の気に障ったのではないだろうか。それは、また、リウィアにとって代わって、リウィアの夫の心を、家庭を、政治的な立場を狙う女たちをむしゃくしゃさせるものであったに違いない。(日本語訳はわたし)



「お膳立てされた愛情のない結婚に苛立つローマ人」って、ローマ中で愛し合ってる夫婦が、アウグストゥスとリウィアだけみたいに・・・(笑)、と、一種のうぬぼれにつっこみたくなりましたが、楽しい、楽しすぎます。
むしろ、わたしでもよう言えんことを、よくぞ言ってくださいましたあ!

そして、考えすぎでなく、リウィアにとって代わりたい女たちってのは有りかも。
女たちだけでなく、不妊の妻(リウィア)を去らせて、自分たちの身内の娘を後釜に据えようと企む、野心ある男たちはいたかもしれない。


Barrat「Livia First Lady of Imperial Rome」

Mary Muddさんの「I,Livia The Countrtfeit Criminal」から引用したので、そのMary Muddさんも賞賛する、Barrat氏の「Livia First Lady of Imperial Rome」からも紹介を、と、言いたいけれど、マジメな評伝のうえ、見出しが少なくて、萌え文を探し出しにくいため、かろうじて見つけた下記の一文を。

In his correspondence Augustus addressed his wife affectionately as mae Livia. The one shadow on their happiness would have been that they have no children together. <中略>Augustus knew that he could produce children, <中略>By the normal standards obtaining Rome at the time they would have divorced – such a procedure would have involved no disgrace – and it is a testimony to the depth of their feelings that they stayed together.(p120)

手紙の中で、アウグストゥスは妻に、愛情をこめて「わたしのリウィア」と呼んでいる。二人の幸福のただ一つの影は、子どものないことであった。アウグストゥスは自身が子を持てることを知っていた。この時代のローマの基準から言えば、二人は離婚できた。それは、なんら不面目なことはなかった。この事実こそが、二人が深い感情で共に過ごした事の証明であろう。(日本語訳はわたし)



紹介しておいて、なんですが、ひとつ疑問が。
「愛情をこめて『わたしのリウィア』と呼んでいる」、と、お書きですが、欧米では、親しい仲なら、まして家族なら言うまでもなく、”My dear” とか”My Livia”とか呼びかけるのはよくることと思ってました。だから、ラテン語の時代もそうだったろうなあと、気にとめてもいなかったのですが、わざわざ” affectionately”と強調するほどの表現なのでしょうか?あの「わたしのリウィア」って。
ティベリウスにも「わたしのティベリウス」と呼び掛けているし、家族への普通の表現だったんじゃないかな?

なにはともあれ、リウィア&アウグストゥス、カプ萌えの文章を三件紹介できて、わたしは幸せ。

なお、アウグストゥスとリウィアの離婚については、以前、歴史関連サイトにて、ローマ史の専門的な研究をされているとおぼしき方から、「アウグストゥス自身がリウィアを『家庭のを守る模範的な妻』としてアピールする為、リウィアから離婚の理由を削いでいった」との、ご意見を伺ったことがあります。

つまり、「不妊の妻を去らせなかった」事を「愛の証」と結び付けない考え方もあるわけです。

わたし自身は、リウィアを去らせるとしたら、機会は紀元前28年頃までであったと思います。
即ち、アウグストゥスの呼称を受けるまでなら、事実上の「皇帝」として、衆目を浴びる立場になるまでであれば。

ここらへんは、いろいろ想像を刺激される過程です。
前の結婚では無事子どもを儲け、死産に終わったとはいえ、再婚後子どもができた二人が、もう二度と授からない運命を受け入れるのに、どれくらいの年月が必要であったのか。

あるいは、

It has been the assumption of Willrich, and in my opinion with justification, that when Octavian and Livia, after their only offspring had been still-born, realized that the blessing of children was to be denied them, they contemplated a marriage of the young Tiberius to Julia, “in order that they might at least have grandchildren in whose veins the blood of both would flow.”
(William T. Avery「Julia, Daughter of Augustus : A Biography 」p27)

「オクタウィアヌスとリウィアは彼らの唯一の子供が死産となり、新たな子が誕生する喜びを拒否された運命を受け入れた後、ともに、ティベリウスとユリアの結婚を考えめぐらせたのではないか、『そうすることによって、少なくとも、二人の血が流れる孫を持つことができるのだから』とは、ウィルリッヒの仮定であるが、わたしも全く同意見である。」
(日本語訳はわたし)



こういう想像をめぐらせることが許されるのであれば、わたしもあえてひとつの想像を述べます。

「オクタウィアヌスは彼らの唯一の子供が死産となり、新たな子が誕生する喜びを拒否された運命を受け入れた後、リウィアとの離婚を考えめぐらせたのでないか。そうすることによって、新たな妻を娶り、待望の息子を得ることができるかもしれないのだから。」



後世の人間にとって、過去は全て確定事項ですが、当時を生きる人々にとって、未来は常に未確定であり、当人の選択の連続です。

16世紀、妻の懐妊能力を見限った時、ヘンリー8世は離婚(キャサリン・オブ・アラゴン)と処刑(アン・ブーリン)を選択しました。

けれど、アウグストゥスは、そうしなかった。
血縁の後継者にあれほどの執着をみせながらも、離婚が容易な時代であったにも関わらず、子を恵んでくれない妻と別れようとはしなかった。

やはり、

「この事実こそが、二人が深い感情で共に過ごした事の証明であろう」(前掲書)



しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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