2017年02月14日 (火) | Edit |
再録エントリです。
過去にいただいたコメントは未再録です。ご了承ください。コメントありがとうございました。


電書にはないけれど、紙の本には背表紙があります。
本箱に並べて、「背表紙の美」を味わうことができるのは、紙本の長所であります。

(最初に謝っとく。ごめん。タイトルは「背表紙の美学」なのに、ほぼ、ななみんへの謗りばっかりです。)

◆なのに、そんな長所をないがしろにしてくれてる、ななみんの単行本版「ローマ人の物語」全15巻。
本作単行本の背表紙は、2巻以降、1巻と逆の体裁となって最終巻を迎えました。

nanami_romanstory

←向かって左端が1巻です。
1巻のみ上が「ローマ人の物語」、下が「該当巻のタイトル」の体裁で、2巻以降は逆です。
「悪名高き皇帝」巻までしか映ってませんが、2巻以降最終巻まで同じ体裁です。

一巻毎に、上下を入れ替えるとか、最終巻でもう一度1巻と同じスタイルに戻して、最初と最後のシンメトリーの美で決めるのとかであればまだしも、なんか、間抜け。
それに、各巻タイトルの文字数が異なってるので、黒地タイトルがでこぼこしてる。
「ローマ人の物語」を上で統一していたら、でこぼこも生じなかったのに。

単行本が版を重ねている時、1巻の背表紙を修正することも可能だったと思うのですが、なぜ1巻だけ異なったままで放置したんでしょう。

「ローマはなぜ滅んだか」より、この件が気になってしかたありません。

◆不統一で見苦しいけれど、めでたい件。
それは、1巻が無印で、2巻以降、巻数表記があるコミックス。

例えば、
竹崎真実さんの「金瓶梅」
市川ジュンさんの「この星の夜明け」
かすはしともさんの「オズの魔法使い」など。

2巻以降の刊行は1巻の売れ行き次第ってことで、1巻は無印。
無印が売れなければ続刊無しのままであったけど、売れたので次巻以降も出版しました~ってことだから、わたしの「背表紙は統一された様式こそ美しい」との美意識にはそぐわないけれど嘆かずにおきます。

現実には、無印1巻が出版されたっきりで、2巻以降の出版なしって例もあるのですから。

◆逆に、「1巻」と記されているのに、続刊が無かったケースもあります。
これも悲しいものです。

◆ところで上に挙げた中のとあるコミックスは無印の1巻と、続刊の2巻、3巻のページ数がかなり違います。

無印(1巻) 320頁
2巻 464頁
3巻 446頁
(2巻、3巻は1巻の約1.5倍)

以前ある漫画家さんに教えていただきました。
頁数が少ないほど原価は割高だと。
つまり、分厚いほど原価は割安になると。

以上のことから推測するに、この作品1巻と同じ頁数で出版しても、元がとれないと判断されたのか?

作品を貶めたくてこんな話題を持ち出したのではなく、霞を喰って生きていけない以上、儲けを目指すのは当然のことで、そういった点を考慮したうえで、作者さんと編集さんが、変則的な形であっても最終話までをコミックスで刊行して下さったことをありがたいと思っている、と言いたいのです。

◆「頁数が少ないほど原価が割高になる」のであれば、文庫「ローマ人の物語」は、大いに売れると踏んだ、随分強気の刊行だったってことなんだなあ。

著者は文庫版「ローマ人の物語」冒頭で、読者の便を考慮して一冊当たりの頁数を薄くしたと語っておられました。
真意でありましょうが、前提として「薄くしたって元はとれるほどの購買者が見込まれる」事を伏せて、自分の配慮ゆえであるように述べておられたのはなんだか釈然としません。

分厚いのよりは薄い方が持ち運びしやすくて便利なのは当然で、ななみんに限らず、他の作家も出版する側も常にそういった点を考慮していると思います。
ただ、売れ行きと儲けの兼ね合いを計算して、毎回「ローマ人の物語」の薄さで出せないだけで。

現在は新潮社から持ち運びしやすい厚さで分冊刊行されているななみんの著書「海の都の物語」および「わが友マキアヴェッリ」等は、昔、中公文庫で出された時はそれぞれ全一巻の分厚い一冊でした。
中公文庫化当時はブレイク前で、しかも、日本人読者が興味を持たない、ヴェネツィア共和国の一千年史や「目的のためには手段を選ばず」くらいしか知られてない中級官吏の伝記では売れないと予測されて、作者が読者の便を考慮しても、薄くできなかったんでしょう、きっと。

ローマ史ファン製造機である著書の作者であるこのお方にチクチクした物言いをしてしまうのは、少女まんが及び少女まんが読者を非常に貶められたことがあるからです。
わたしは少女まんが大好き人間ですから。

蛇足だが、少女マンガをもっぱら読むという女も、単純バカ以外のなにものでもない。
私も自分の書いた短編の一つが少女マンガになったことがあって、原作者なのに、少女マンガに変形したそれを読みながら、苦笑せざるをえなかった。中年の抑えた恋愛を書いたつもりのものが、例の巻き毛と顔半分もありそうなパッチリ眼に変わった結果、紅茶カップに半分ものお砂糖を入れたような内容に変化し、原作者としては困惑するしかなかったのである。
こういうものを読む女も女だが、書く人も、その性格の成熟度は、紅茶カップの半分もお砂糖を入れた程度でとどまるのではなかろうかと思ったら気の毒になった。
(「男たちへ-フツウの男をフツウでない男にするための54章」第40章より引用)



いやはや、気に入らん言いようだからこそ、正確に引用せねばならん!と、責任感にかられ、図書館から借りてきて書き起こしたら、改めてムカついてきました
漫画作品本体のみへのワルクチにとどめておけばいいものを、作者と読者への人格攻撃までなさるんだから、いらん物言いの見本とはこういうもの。

売れる作家になった今、わたし一人の不買など屁の河童でしょうが、ぜったいななみんの懐に金は出さねえ。
なお、不読とは言ってない。

こんだけ嫌味たらたらの言い回しからして、ななみんにとっては原作を「貶められた」ことがよっぽど腹に据えかねたんだろうとお察しできますし、わたしも嫌いなものは辛辣に叩く性分なので(現にここでわざわざ、ななみんの少女漫画叩きの件を持ち出すくらいですから)、偉そうなことは言えませんが、ななみん性格の悪さがにじみ出てます。

そもそも少女まんがで「中年の抑えた恋愛」を描くなんて無理でしょう。

ある少女漫画家さんは「二十代後半の美女、一人で喫茶店を切り盛りしている」との設定を、「キャラの年齢が高すぎ!もっと下げて」と編集さんから指示されて、「女子高生、親が旧婚旅行中なので、留守の間、自営の喫茶店をまかされている」に変えたとか。二十代後半ですら、「高すぎ!」と却下されてしまうのですから。

プロならば読者のニーズにあった作品に仕上げるのは当然で、ブレイク前のななみん本人も、日本人になじみのないルネサンスやらヨーロッパ史やらを扱う歴史ものを執筆する苦労をエッセイで何度か触れておられました。

読者に受け入れてもらう為の工夫は自分だけの特権だとでもお考えなのでしょうか。

こういう「自分はトクベツ」感を再び感じたのは、「ローマ人の物語」における「クレオパトラはカエサリオンが処刑されたことを知った」のくだりです。

関連エントリ:「ななみんはクレオパトラが嫌い」

著作の随所から息子に夢中な母バカッぷりがこぼれでる著者であるにも関わらず、クレオパトラに対しては、あえて、カエサリオンの死をつきつけた箇所です。
愛する息子が殺される母の悲哀、苦しみを十分に想像できる立場でありながら、この仕打ち。
クレオパトラへの嫉妬もさりながら、「自分はトクベツ」って意識をお持ちだから、息子を持つ母であるクレオパトラを踏みにじれるんじゃないですかしらね?

追記1.
憶測ですが、ななみんが言及している原作はおそらく「エメラルド色の海」(「愛の年代記」収録)だと思います。
漫画化された作品については、心当たりはありますが、裏付けもない上、こんだけクソミソな言われようなので伏せておきます。
(コメント欄でタイトルを出すのはご遠慮願います。)

漫画を実際に読んだわたしの感想は以下の通りです。

「たしかに登場人物以外、原作からはかけ離れた内容であり、かなり甘ったるい話に仕上がっている。しかし、甘ったるい展開の一方で、海洋冒険活劇の面もとり入れた少女まんがであった。ななみんから品性下劣な人格攻撃を浴びなければならないほどの愚作駄作ではない」



強いてななみん寄りの意見を吐けば、こんだけ改変するなら、そして、ななみんがこだわる「中年男女の抑えた恋愛」を描くのが不可なら、「エメラルド色の海」を原作にしなくてもよかったんじゃない?ってことです。

原作にしなかったら、ななみんも毒を吐くことなく、「性格が悪い」との印象を広めることもなく、少女まんが愛好読者を怒らせることもなく、漫画家さんも貶められることなく、全てが丸くおさまっていたのに。

失礼ながら、漫画化当時のななみん作品てマイナーでしたから、原作にすることで漫画への注目度アップ!なんてメリットもなかったでしょうし。

追記2.
とある漫画家さんが連載中の、世評も高い「チェーザレ」は、参考文献の中にななみんの著作「優雅なる冷酷」が入っておりません。
何を参考にするか、しないかは作者の裁量なので、特に問題ないんですが、その「チェーザレ」が、「優雅なる冷酷」版チェーザレへのアンチ・テーゼに読めるのはわたしの気のせいか。

今までチェーザレのイメージは「優雅なる冷酷」に負うところが大きかったのですが、今後は、その方の「チェーザレ」がデフォになるくらいに、「優雅なる冷酷」を凌駕するといいなぁと思います。

(少女)漫画をバカにされた身としては。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。

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