ここはローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの妻リウィアのファン・ブログですが、だいたい、まんが感想で成り立っています。
2017年03月14日 (火) | 編集 |
(注意)ネタばれ有り。

漫画家の津雲むつみさんが逝去されました。
好きな作品の作家さんの訃報を聞くのは初めてではなく、津雲作品の熱心な読者ではなかったのに、自分でも意外とショックを受けてます。

訃報のニュースには代表作として、「おれは男だ!」「風の輪舞」、「彩りのころ」、「闇の果てから」等が記載されていました。
TVドラマ化、日本漫画家協会賞優秀賞受賞と、わかり易いアピール点があるのでそうなったかと思いますが、他にも多くの佳品を残しておられます。

わたしが好きな一作は「風と共に去りぬ」。
現在も読み継がれるマーガレット・ミッチェルの不朽の名作。
その映画版は、「世界中で必ずどこかの町で常に上映されている」との伝説すらあります。
なのに、津雲むつみさんによる漫画版の知名度はいまひとつです。
新書判コミックス、文庫本、ともに絶版。密林のマーケットプレイスでも品ぞろえ悪し(※)。Kindle化もされないし、

(※)古本市場(ふるほんしじょう)での流通ぶりって、ある程度、書店で売れた目安になると思うんです。ベストセラー本は古本市場へも多く流れる一方、売れてない本は古本市場にもなかなか流れてきません。
古い作品という点も考慮しなければなりませんが、今のマーケットプレイスでの取り扱いの少なさを見るに、当時もあんまり出回らなかったんだろうなあ。

わたしは文庫判を揃えています。今も、原作小説ともども、大事に所有しています。


津雲むつみ「風と共に去りぬ」1巻(全4巻)

エピソード、登場人物、人物造形すべてにおいて、映画よりも再現度は高く、さらに、アシュレの性的飢餓に切り込むなど、けっこう重要なとこを読み取っていらしたとわかります。

ということで、津雲むつみさんの描くアシュレに刺激を受けた、わたし版「アシュレ・ウィルクスのヰタ・セクスアリス」を披露いたします。
が、その前に、もうちょっと津雲作品語りを。

昼ドラ化された「風の輪舞」(2度)、文庫で11巻の長編「花衣夢衣」(これも昼ドラ化)等の知名度がある為か、津雲さんの作品は、女の愛と性のドロドロ劇で認知されているかもしれませんが、わたしには、「根底に少女まんがの精神がある作品」との印象が強いです。

「少女まんがの精神」と言っても、自分でもどう説明していいかわからないのですが、いわば、

怒りを歌え、女よ・・・。

男の肋骨より作られし弱き性の ―― 男の世に数知れぬ苦難をもたらし、あまたの男の気高き魂を堕落せしめ、楽園を永遠に失わせたとの、罪を負わされた怒りを。

イブがりんごを手に取った日、「不服従」という素晴らしき徳が生まれ出たのだと。
イブのまろやかな体の中には、素晴らしき知性が育まれているのだと。
最高神が存在するならば、そのものは、白髪の老女であるやもしれぬのだと、語り起こして歌いたまえ。
(「イーリアス」及び、オリアナ・ファーラチ「生まれなかった子への手紙」が元ねた)



こんな感じです。
わかり易く説明しようとして、よけいわかんないですかね?

「怒り」かなあ。
わたしにとっての「少女漫画の精神」は。
道の暗がりで性的な加害を受けることを怖れねばならない怒り。
それらの被害に対して、責められることへの怒り。
頭の良さもしっかりした気性も、女らしくない、可愛げがないと否定されることへの怒り。
世間に向けて主張する時に、女だからと相手にされないことへの怒り。
etc.
(「怒りは女にとっても最も禁じられた感情である」との格言もあるし、その「怒り」をすくい上げ、表現するのが「少女まんが」です。わたしにとっては。)

津雲さんの作品には、根底に、そういった「怒り」への理解があり、「怒り」に取り組み、作品のなかで表現していらしたように感じています。

「怒り」を理解してらっしゃるので、女の自立も肯定的にとらえてらっしゃいます。
「花衣夢衣」は昼ドラにもなったくらい、愛憎不倫劇でしたが、主人公である一卵性双生児姉妹の真帆、澪は、前者は染色作家として、後者は嫁ぎ先の呉服屋の女将として立派に成長していました。

KIndleには、ドラマ化作品他、近年の読み切り集しか販売されてないけど、他の短編集も出して欲しいです。


津雲むつみ「ジャカランダ・ロード」

収録作品
「王国の獣たちへ」
「優しい場所へ」
「ジャカランダ・ロード」
「緋の闇」
作者さんによるあとがき



「王国の獣たちへ」「ジャカランダ・ロード」
日本人女性とケニア人(黒人)外交官男性との間に生まれたダブルの女性と、日本人カメラマン青年の恋を題材にした、躍動感あふれる2作品です。

エンターテイメントに徹する一方で、理不尽への鋭い視点が盛り込まれています。
日本人が有する有色人種蔑視と女性蔑視。

その1)日本人が有する有色人種蔑視。
この件、説明しようとすると複雑なんですよね。
いろんな要素がからみあっていて。
ヒロインであるマリアが受けた仕打ちのなかには、有色人種蔑視だけでなく、後述する女性蔑視がからみあってるし、一方、母方の祖父が彼女の母を勘当し、マリアを孫と認めないのは、有色人種蔑視よりも、一人娘が婿取りしなかったことと「外国人」との結婚がいやだとの気持ちもあるかもしれんし。

この件、どう説明していいかわからないので、とりあえず、経済産業省による、「クールジャパン商材・サービスの根幹となる日本の伝統的な価値観をまとめたコンセプトブック」に興味深いページがあったので、言及します。
(リンクは貼らないので、知りたい方はぐぐって下さい。)

3頁目に、「世界は日本に驚いている!」と、仰々しいコピーがあり、背景に日本に驚いた外国人のコメントが紹介されています。

イギリス(3名)
フランス(4名)
アメリカ(1名)

インドネシア(1名)
マレーシア(1名)
ベトナム(1名)
中国(1名)

見事なまでの欧米偏重。
アフリカは無視かよ。
しかも、欧米は個人名記載ですが、アジアは名無しで一律「留学生」とのみ。

「上行なえば下靡(なび)く」と言いますので、経済産業省がこうなら、国民だって多かれ少なかれ、欧米に媚び媚びして、アジアは下に見て、アフリカは人外扱いになるんじゃね?

その2)日本人男性による女性蔑視。
女性蔑視は日本人男性だけじゃないだろとのクソリプはさておいて、作中でマリアは二度セクシャル・ハラスメントを受けています。

一度目は、本国ケニアで。
ホテルのロビーで、日本人団体客の一人(男)が、酔っぱらって、「ケニアの女ならメイドでもなんでもいいからよぉ!」「お、あそこにもいるじゃんか、飛び切りの美女」「よお、ミス・ケニア!」。

「気にするな」との、男主人公の言葉を無視して、つかつかと近づいたマリアは、持ってたコーヒーをぶっかけ、啖呵を切りました。

この国も、この国の人間も、そしてわたしも侮辱することは許さない!
野蛮なあなたの国へ帰りなさい。あなたのような人にこの国お土を踏んで欲しくない!



ここで終わらず、翌日のエピが気持ちいいのです。
昨夜のことを謝るマリアに団体の女客が、「女性を買うとしか考えてない男には、コーヒーでもなんでもぶっかけていいんですよ」と、フォローしていたところが。

二度目は、日本のデパートで開催されるアフリカ・フェアの為に、来日したマリアが、顧客から受けたもの。会話を抜き出した方がわかり易いと思うので、そうします。

顧客の日本人男性は二人。松谷氏と関氏。

アフリカ・フェアの前日。準備も終わってほっと一息。
関 「よろしかったら少しお酒でもつきあっていただけませんか」
マリア 「ありがとう。でももう遅いし、疲れているし、今日は失礼しますわ。おやすみなさい」
関 「いやー、いい女だなぁ、美人だし頭はいいし」
松谷 「もの好きだな、おまえ。俺は外国人なんかごめんだな。
アフリカなんかわけのわからない風土病がいっぱいあるっていうじゃないか。
彼女と寝てみろ、あっという間に病気だぞ」
関 「おいおい」
松谷 「そりゃあ、外国人とやってみたいってのはわからんでもないが」
関 「よけいな心配してくれなくても、彼女は俺たちのことなんか、全く相手にしてくれな・・・」
ここで、マリアが女子トイレから出てきます。
マリア 「女を侮辱するなら女子トイレの前ではおよしなった方がいいと思うわ」



この短い会話で、松谷の陋劣な人間性がいやってほど表現されています。
同僚が「お酒でも」と誘ったことを、即、ベッドインと結び付けている。
れきとしたケニア環境局から来日した仕事の相手に対して、性的な侮辱と関心を公言している。
アフリカ・フェアに携わりながら、アフリカへの下劣な偏見満載。

後日譚もあります。

関 「あの、昨日はすみません。失礼なことを申し上げて」
マリア 「あなたが謝ることではありませんわ、関さん。
ミスター松谷は自分で詫びることもできないほど子どもなんですか?」
関 「その・・・、あいつも根は悪い奴じゃないんですが」
関 「あの・・・、ダンサーたちと一緒にアフリカ料理の店へ行こうと言ってるんです。もしよろしかったらご一緒に」
マリア 「いえ、行きたいところがありますの。昨日までは準備で忙しくて出られませんでしたから」
マリアが去った後、現れる松谷。
松谷 「けっ、なんて女だよ、お高くとまりやがって」
関 「もう・・・よせよ」



松谷、全然反省してねーーー!

この後日の会話をよくぞ描いて下さいました。
セクシャル・ハラスメントの、もろもろの膿が表現されてると思うの。
全然反省していない松谷。
良い人そうに見えるけど、代わりに謝罪という、本質的なこと(松谷にせめて形だけでも謝罪させる)を理解していない、あるいは、理解していても実行できない関さん。
「根は悪い奴じゃないんです」と、言わんでもいいことを言う関さん。

松谷は根っから悪い奴だと思いますが?
女を侮辱するくらいは、男にとって「悪い事」じゃないんでしょうかね。

セクシャル・ハラスメントの場面は、なくっても話は成り立ったと思います。
けれど、あえて、この場面を入れたことに、作者さんの「少女まんがの精神」を感じました。

他に、娘の結婚も孫の存在も認めん頑固な夫に従っていた奥さんが、このまま娘にも孫にも会えずに死んでいくなんてごめんだと、あい変らず反対する夫に「お気に召さなければ離婚してもよろしいんですよ」と、反旗を翻したとこも好きです。

一方で、男主人公の母は、アフリカに魅せられ、アフリカで死んだ夫への想いに囚われ、どうしても、息子とケニア人であるマリアとの結婚を受け入れられなかったのも、心に残りました。

「緋の闇」
尊属殺人を認めた刑法第200条を違憲へと導いた、「栃木実父殺人事件」を元にした作品。
かなりアレンジされています。

本作では、男主人公と母の会話が心に残っています。
本作は、女性読者向けらしく、実父になかば監禁され、強姦されている女主人公に心を寄せ、助けようとしてくれる男子が登場しています。

女主人公の実父が殺され、事件が白日のもとにさらされた後も、彼女への助力をやめようとしない息子に母は叫びます。

母 「かあさんは許しませんよ。許しませんよ、絶対!」
男子 「人を殺したから?」
母 「そうよ!」
男子 「僕はね、母さん。母さんのような世間の人たちから、あの娘(あのこ)を守る盾になりたいんだ。あの娘には助けが必要だ。誰か、あの娘を心から愛してくれる人が・・・」
母 「それがどうしてお前でなきゃならないの!お前はまだ子どもだから、そんなことを言ってるのよ!後で後悔するわよ!」



「それがどうしてお前でなきゃならないの!」
ああ、親だ。
親の言葉だ、と、なんとも言えない気持ちになりました。

「お前」でない、誰かであれば。
よそお子さんが、殺人犯に関わろうとしったこちゃない。
場合によっては、ご立派ねえと誉めてやれることもできる。
でも、我が子には関わって欲しくない。

「許さない」理由として、「人を殺したから」との返事を肯定していましたが、違うでしょう。
「人倫にもとる殺人を犯した人間だから」ではなく、息子が、他人から白い目でみられる立場になって欲しくないからでしょう。極端なはなし、人殺し相手でも、他人の噂の的にならなければ、こんなに取り乱して止めないと思います。

愚かしく、浅ましく、身勝手極まりない「親の言葉」。
けれど、親の愛の一面である、この「我が子さえよければ」とのエゴイズムによって、子は育まれていると言えます。

小さな場面でしたが、とても心に残ったセリフです。


津雲むつみ「暁の海を征け」全8巻

最初から文庫判コミックスで刊行。それの出版年から2008年から2011年にかけての連載と思わます。

好きだったことだけ語ろうかと思いましたが、どうしても、不満作品をひとつ。

明るく積極的で物怖じしない華子と大人しく従順な美鈴。
明治とともに誕生した、親友同士である対照的なヒロイン二人の波乱万丈な人生ドラマ・・・、のはずが、すごくつまんなかったんです(泣)。

時代と言い、舞台設定と言い、面白くない要素がないはずなのに、面白くなかった。
読み進めるうちに面白くなるはず、面白くなるはず、と半ば祈る気持ちで読み進めたのですが、とうとう最後まで面白くなかったです。

どことなく、描線からも絵力が失われたように見え、これを読んだ時は、失礼ながら津雲さんの衰えを感じました。
それでも、やはり新作を楽しみにしていました。


津雲むつみ「Moonlight Flowers 月下美人」

収録作品
「Moonlight Flowers 月下美人」
「Midnight Flowers ミッドナイト・フラワーズ」
「花鬼」
スペシャルエッセイ・コミック(ペット&ダイエット)



最初の大判コミックス発行時期からして1990年頃の作品だと思います。

「月下美人」「ミッドナイト・フラワーズ」

以前、別エントリで触れたのでそっちにリンクします。

関連エントリ:
【「月下美人」「クローディーヌ…!」「カルバニア物語」】
(お蔵に戻している為リンク切れ。)
(エントリ再掲載時に、リンクをつなぎます。)


好きな作品ですが、女と女のカップルで、一方の女性がボーイッシュに描かれているあたり、やっぱり男女カプの縛りから抜けられてないのかなとか、月下美人とかミッドナイト・フラワーとか、レズビアンを日影のようなイメージでとらえるってどうよ?とか思うんですが、推定初出年、1990年頃としては画期的な作品なのかもしれません。

 
左:杉本苑子「鳥影の関」上巻
右:山崎豊子「白い巨塔」1巻


もはや本当に叶わぬ夢となりましたが、津雲むつみさんに漫画化して欲しかった二作品です。

さて、では、わたし版「アシュレ・ウィルクスのヰタ・セクスアリス」へ。

Margaret Mitchell「Gone With the Wind」
↑Kindle英語版は安い。いろんなとこから出版されてて、全部、日本円に直して、だいたい100円から500円くらい。

わたし版「アシュレ・ウィルクスのヰタ・セクスアリス」と、きどったタイトルにしましたが、「性欲的生活(ヰタ・セクスアリス)」って、自分でもわけわからないので、わかり易く書き直すと、
「アシュレとメラニーのウィルクス夫妻は、なぜ医師の警告を破って子どもを作ったのか?」

他人の性生活を詮索するなんて下品極まりないです。
わたしは普段、そんな品性下劣なことはしてません。
今回は小説の登場人物に関する考察とのことでお許し下さい。

ものごとの発端は、アシュレ・ウィルクスの妻のメラニーが病弱であること。
戦争中(南北戦争)に息子を産んだのですが、それすら体の負担となり、お医者さん二人から異口同音に「もう子供は作らない方がいい。今度お産すれば命もあやうい」と警告を受けます。
警告を受け入れたアシュレとメラニーは「兄妹」のような関係になり、一緒に暮らしていきます。

けれど、読者が知ってる通り、メラニーは妊娠し、医師の危惧通り無事出産には至らず、流産が原因で死亡してしまいます。
それは、物語の終幕でもありました。

妊娠したってことは、性関係を結んだということなのですが、そこに至る、夫婦が求めるものに相違があるような気がしてなりません。

まず、妻のメラニーについて。
彼女は子ども好きです。結婚当初は1ダースの子どもを産みたいと願い、おおぴらに口にも出していたくらいです。
お医者さんから警告を受けた後もあきらめず、「今はこんなに健康なんだから大丈夫よ」と何度もお産の禁令解除を望んでいます。
だから、きっと子供が欲しくて、あえて警告を無視したのでしょう。

一方夫のアシュレは、メラニーの死をスカーレットに責められた時、弱々しく、次のように言い訳しています。

「医師(せんせい)から警告されて以来、僕がどんなに辛抱してきたか、それさえわかってくれたら…」
(ミッチェル「風と共に去りぬ」第五部-61)



わたしは女だから実感をともなった共感はないのですが、苦しかったんでしょうね。
推定年齢20代後半から30代前半にかかる男盛りに、妻と同じ屋根の下で同居しながら「兄妹」のように暮らさなければならなかったのですから。

産児制限の提唱者、マーガレット・サンガーの誕生は1879年であり、後に「オギノ式」とも呼ばれる避妊法の元となる「排卵と受胎日」についての論文が発表されたのが1924年です。

物語の時代である1861年から1870年代初頭では、確実な避妊法もなく、子供を作らないためには夫婦関係を絶ち「兄妹」のように暮らすしかなかったようです(※)

(※)このエントリを書くにあたって、ちゃちゃっと「避妊」の歴史についてぐぐりました。コンドームとかペッサリーに類するものは、意外と古い時代から使用されていたみたいですが、普及はしていなかったようです。だからアシュレも、そして警告した医師たちも、避妊については知識が無かったと思われます。



ここで、ロシア皇帝ニコライ1世の挿話を紹介しましょう。
ニコライ1世と皇后アレクサンドラ・フョードロヴナは仲睦まじい夫婦でした。七人の子どもを儲ける歳月を経ても、二人が互いに抱く愛は色褪せませんでした。
ところが何としたことでしょう。結婚20年を過ぎた頃、アレクサンドラ・フョードロヴナ皇后の心臓の状態がよくないことを理由に、夫婦関係を断つようにと医師から宣告を受けました。
結果、ニコライ1世は愛人を作りましたとさ。(参考:「ロシア皇帝歴代誌」)
わかり易い男だ、ニコライ1世。

しかしながら、アシュレは真面目な男性なので、不貞を働くこともありませんでした。
かといって、妻との交わりを断って平然としていられるほど禁欲な性分はなかったので、ただじっと辛抱していました。

「医師(せんせい)から警告されて以来、僕がどんなに辛抱してきたか、それさえわかってくれたら…」



なのになぜ、アシュレは医師の警告を無視して性関係を再び結んだのでしょうか?

アシュレは欠点もある男性ですが、自分の性欲の為に、警告を無視して妻に性関係を求める身勝手な人間ではないと思います。
むしろ自分の欲望の為であるなら、辛抱する方を選ぶでしょう。

けれど、メラニーから求められたとしたら・・・?
「あなた、アシュレ、わたしは赤ちゃんが欲しいの。女の子ならどれほど可愛いでしょう。もちろん、もう一人男の子でも嬉しいわ。わたしはこんなに元気なのよ。お医者様は大げさすぎるのよ。大丈夫よ。わたし、赤ちゃんが欲しいの」

こんな風に求められてなお、拒むことができる強い意志を持つ男ではないように思います。
「僕から求めたのではない」
「妻が子どもを欲しがっているのだから」
「妻のせいだ、妻の」
と、自分の責任ではないとの言い訳に縋り付き、欲望を吐き出す弱さはあった男だと思うのです。

そして、男性にありがちな妊娠に対する現実感の希薄さ。
「子どもが出来なければいいんだ。一度くらいなら子どもは出来るまい」
「二度くらいなら・・・」
「三度くらいなら・・・」
と、妊娠しないことをあてにしていたのではないでしょうか。

冒頭で、「ウィルクス夫妻は、なぜ医師の警告を破って子どもを作ったのか?」と問いを掲げましたが、わたしは、子どもを作りたかったのはメラニーだけで、アシュレは妻との肉体関係を欲していたから、妻からの子どもが欲しいとの懇願を自分への言い訳にして、妊娠の可能性に目をつぶり、関係を結ぶに至ったのではないかと思います。
読む限りでは、アシュレには、二人目以降の子どもを欲している様子はうかがえませんでしたから。

以上はわたしの解釈にすぎませんが、再び夫婦関係を結ぶに至った二人の、求めるところの相違が痛ましいです。
妊娠にメラニーの命を奪う危険性があり、事実、奪っただけに尚のこと。
メラニーは子どもを産む為に喜んで命を賭けようとしていたのに、アシュレは自分の性欲に促されて妻を抱いたのですから。

追記1.
アシュレに辛辣な事を述べましたが、彼の為に書き添えると、アシュレはメラニーを愛していました。メラニーを心から愛していました。
だからこそ、辛抱したのでしょう。
だからこそ、妻が子どもを欲しがって夫を求めた時、妻を心身ともに愛したい気持ちを抑えることができなかったのでしょう。

ただ、妊娠と出産がメラニーの命を奪うと警告されていたのに、それに対する危機意識が薄いと言うか、覚悟がないと言うか、結句、性欲に促された感があるのが、わたしは双方にとって痛ましいと思うのです。

追記2.
もしかすると、メラニーの側にも子供が欲しいだけじゃなく、「夫と愛し合いたい」気持ちがあったかもしれません。
メラニーは「夫婦」である喜びを否定する女性ではないように見受けられます。
以下は、戦争末期、クリスマス休暇で帰郷したアシュレに伴われて寝室に入るときの描写です。

おやすみなさいと言ったとき、メラニーのほおがさっとあからみ、からだがかすかにふるえるのを見た。メラニーはじゅうたんの上に目を落とし、おののく感情に圧倒されそうに見えた。はにかみながらも彼女はいかにも幸福そうだった。
(前掲書 第二部‐15より)



スカーレットは、男を魅了する覇気もなければ才覚もないメラニーを見下していましたが、スカーレットよりはるかに充実した性関係を味わっていたように思います。

スカーレットは、母から「『結婚』とは女が母となる喜びを得る代わりに、品位と剛毅を持って耐え忍ぶもの」と教えられ(ここでの『結婚』は性行為を指しているものと思われます)、彼女の官能を呼びさますべき夫も、一度目がおこちゃま、二度目が非モテ喪男であったこともあり、スカレーットにとってセックスは下記のような行為でした。

不可解な男性の凶暴さに服従することであり、女性のあずかり知らぬわずらわしいものであり、さらにもっと苦痛に満ちた出産への必然的に向かわせる過程にすぎない。
(前掲書 第二部-11)



あんなにも現実的に精力的に生きていける女だったのに、男をたぶらかす手段にも長けていたのに、スカーレットにとっては接吻こそが恋愛の充足でありました。

閑話休題。

「兄妹関係」をアシュレにとって気の毒と見ていましたが、メラニーにとっても、愛する夫と共住みしながら肉体関係を禁じられたのは、辛いことであったかもしれないです。

追記3.
ウィルクス夫妻に警告したお医者さんは二人とも男性なんですが、どうやら警告だけして、男ざかりのアシュレが妻と兄妹のように暮らしていくとについて、ケアはしなかった様子です。
19世紀終盤に生きてる男性なので、「女に性欲はない」とばかりにメラニーの気持ちをうっちゃらかすのはよくなくてもいいとして、男同士の誼で、「そういう辛さ」を察してケアしてやろうとは思わなかったんですかねえ?

当時はそんなの医者の領分じゃないとはなから念頭になかったのか。
あるいは南部の紳士たるもの、キリスト教徒たるもの、妻との夫婦関係が不可であっても、婚姻の貞潔を守り、性欲を抑えて当然と思っていたのか。
そういえば、キリスト教的には「性欲=悪」でしたっけ??

あまりよろしくないけど、「世界最古の職業婦人との気晴らし」を勧める男友達はいなかったんでしょうか?
いたけれど、アシュレが拒否したのか?
ベル・ワトリングのお店は、売春宿も兼用していた様子がありますのに。

下世話ついでだ。これも書こう。
メラニーの伯父、即ちアシュレにとっても義理伯父であるヘンリーさんは未婚独身を通してました。「男の事情」について相談にのってやるってことはなかったんでしょうか。間接的に、姪の為にもなるのに。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。
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