ここはローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの妻リウィアのファン・ブログですが、だいたい、まんが感想で成り立っています。
2017年05月10日 (水) | 編集 |
◆賢妻の条件

「王妃さまは頭のいい人なのね。何年もエドワードの寵愛をつなぎとめておくほどだから間違いないわ。その秘訣は言うまでもないこと。国王の数知れぬ情事に目をつぶる――私が王妃さまの立場だったらそんなふうにできたかどうか心許ないわ。(後略)」

(ジーン・プレディー著「リチャード三世を愛した女」p311、リチャードの妻アンの母親が、国王エドワードの妃エリザベス・ウッドヴィルを評したセリフ。太字強調はわたし)



ちなみに国王エドワード4世は、かの「時の娘」(ジョセフィン・ティ著)にて、グラント警部が、「チャールズ2世を除き、我が国最高の女好きの王様だった」と言及しています。(「村毎に私生児有り」との逸話を読んだ覚えもあります)

リウィアも次のように言ったと伝わっています。

アウグストゥスに愛される(直訳すると「偉大なる影響を与える」)秘訣は、自分の貞節を守ること、夫の仕事には口をはさまないこと、夫の好む事なら何でも喜んで行うこと、そして、特に重要なのが、夫の浮気には目も耳もくれてやらないふりをすることだと。
(太字強調はわたし。出典ディオ・カッシウス「ローマ史」58.2.5)



現代人のわたしとしては、「夫の浮気を知らないふりをする」ことを「賢妻の条件」として、手放しで賞賛する前に、「タダシ、夫ガ国王アルイハ皇帝クラスニ限ル」と但し書きをつけておきます。

◆まご

It has been the assumption of Willrich, and in my opinion with justification, that when Octavian and Livia, after their only offspring had been still-born, realized that the blessing of children was to be denied them, they contemplated a marriage of the young Tiberius to Julia, “in order that they might at least have grandchildren in whose veins the blood of both would flow.”
(William T. Avery「Julia, Daughter of Augustus : A Biographjy 」p27)

「オクタウィアヌスとリウィアは彼らの唯一の子供が死産となり、新たな子が誕生する喜びを拒否された運命を受け入れた後、ともに、ティベリウスとユリアの結婚を考えめぐらせたのではないか、『そうすることによって、少なくとも、二人の血が流れる孫を持つことができるのだから』とは、ウィルリッヒの仮説であるが、わたしも全く同意見である。」
(日本語訳はわたし)



「仮説」ではなく、もはや、「想像」じゃないですか?
こんなの論文で書いていいの?いいの?

わたしは嬉しい。こんな小説もどきの「仮説」が読めて。

論文ではこの後、仮に二人が望んだとしても、政治情勢が許さなかったこと、殊にも、アウグストゥスの称号を得た後では、後継者人事にも関わることなので、ユリアの結婚は、夫婦二人の慰めではなく、国家的な見地から検討されるべき事柄となったと論を展開しておられます。

二人が市井の夫婦だったら、死産した子供の代わりに、ユリアとティベリウスを結婚させて、めでたしめでたしだったかもしれない!?
ユリアとティベリウスが親の都合で縁組させられる事実には変わりませんが、当時の結婚は親が決めるものだからこの点は非難されるものとは思えません。
それに、若いころに一緒になっていれば、うまくいってたかも・・・(仮定は常に現実より幸福である)。

◆祝婚歌

実の息子に恵まれなかったアウグストゥスは、甥のマルケルスを唯一の実子であるユリアと結婚させ、後継者にする心づもりであったのはよく知られています。

この二人、父であり叔父であるアウグストゥスの政略の駒にされたのは、この結婚が最初ではありません。
いまだオクタウィアヌスと名乗り、三頭政治家の一人として権力争いの真っただ中にあったオクタウィアヌスにとって必要な政略として、ユリアはほんの赤ん坊の頃、アントニウスの長男アンテュルスと婚約しました。マルケルスも幼少の頃、セクストゥス・ポンペイウスの娘と婚約を結びました。

しかしながら、周知の如く、ナウロクス海戦でポンペイウスは敗北して逃亡の果てに死にました。
アクティウム海戦でアントニウスも敗北し、巻き返しもならず自殺しました。

政略である以上、利益がなくなれば、婚約の約束など成就させる義理はありません。
当然ながらユリアとマルケルスのそれぞれの婚約は破棄されました。

こうして、幼少時の縁組が政治情勢の変化によって破棄されたケースを見ると、幼い頃の婚約が実ったティベリウスとウィプサニアの二人(婚約当時は9歳と0歳!結婚は12から14年後と思われます)の結婚は、そのまま、アウグストゥスとアグリッパの堅い紐帯、不変の友情の証でもあるよなぁと、一人で悦に入っておりましたが、最近、アウグストゥスと「ある人」との「深い絆」の証にもなり得ると気付きました。

もったいぶって「ある人」と書きましたが、えっと、その、つまり、リウィアです。
もし、アウグストゥスが実子の誕生に執着して、リウィアを離縁していたら、おそらく、その時点でティベリウスとウィプサニアの婚約も解消されていたでしょう。

ティベリウスとウィプサニアの婚約の成就は、アウグストゥスとアグリッパの、そしてアウグストゥスとリウィアの、変わることのなかった友情と愛情がもたらしたものに思えます。

しかるにリウィアは初代皇帝アウグストゥスにふさわしい、偉大なる貴婦人であった。
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